第3回 南米・ボリビア(3)ラ・パズ|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』
ボリビアの首都はラ・パズ、と確か昔学校で習ったように思う。スペインの植民地時代に国王の命でラ・パズが建設され、行政の中心とした。だが19世紀のイスパニアアメリカ独立戦争でベネゼラ人のスクレ将軍が大勝利したことからスクレ氏がボリビア独立後の初代大統領の座につく。そんなわけでラ・パズから416キロ離れたスクレ市が憲法上の首都となり、いまもそのままだ。とはいうものの現在の国家機関はラ・パズに結集しており、各国の大使館もここにある。スクレ市は最高裁だけとなった。
革命家ムリ—リョの名にちなんで付けられたムリ—リョ広場 (Plaza Murillo)では観光客、靴磨き、学生、地元の人々がのんびり時を過ごしている。ここにいればこの国の人間模様がわかりそうだ。2009年にボリビア共和国からボリビア多民族国(Estado Plurinacional de Bolivia)と正式に名称変更され、その名の通り36の民族が共存する。赤・黄・緑色の国旗と一緒に公式のマルチカラーの多民族の旗が公館をはじめ至るところに翻る。
広場にある国会議事堂の時計は1から11までが逆になっている。外務大臣のチョケワンカ氏が‘南の時計’と称して、右回り時計にあえて挑戦したとか。“なぜ慣習にとらわれるのか、もっと創造性を働かせよ”、との意図らしい。G77の首脳会談がボリビアで開催されたとき左周りの時計をプレゼントしたそうだが、反響は今一だったとか。観光土産にプロモートするぐらい創造性を働かせてもよかったのでは、と思うのだが。 国会議事堂の向かいには大統領官邸がある。ちなみに先住民のアイマラ族出身のモラレス現大統領は独立以来の最長任期保持者だ。
国民の95%はカトリックといわれるが、本当はどうなのだろうか。リナレス通り(Calle Linares 通称魔女通り)へ行くとリャマや小さな動物の胎児のミイラが天井一杯に吊るしてある店に出くわす。先住民の宗教的伝統は根強く、結婚式、新築など祝いの儀式に動物のミイラや呪術グッズを一緒に燃やして、祈祷するのだそうだ。不気味という感覚はないらしい。彼らにとってはミイラは幸運をもたらす尊い犠牲なのだろう。棚という棚は怪しげな薬草、魔除け、精力剤などで埋め尽くされている。植民地時代の名残のあるハエン通り(Calle Jean)には店やミュージアムが立ち並ぶ。私達が入ったボリビア資料館も金博物館も民家とまちがえるほどこじんまりしていて中の陳列の仕方も素朴そのものだった。
ラ・パズは山に囲まれたすり鉢状の都市。高台に住むのは貧困層、低地に住むのは富裕層。山の方は酸素が稀薄なためか。ラ・パズは世界で最も標高の高い都市と言われるが実際はすり鉢状の一番高いところに位置するエル・アルト市にある国際空港の4150mが最も高く、ラ・パズの一番低いところが3000mだからその左は約1キロ。2016年にテレフェリコ(ケーブルカー)の一本目が開通し、2.6キロの距離を10分で走るようになった。
市の中心から10キロ離れたマリヤッサ(Mallasa)に月の谷(Valle de la Luna;Moon Valley)と呼ばれる月の表面のような異様な地形が観光客の目を引く。長年の歳月で山が浸食してできた砂と粘度の尖った不思議な造形だ。月の谷に立ってラ・パズの街を眺めているとタイムマシンの入り口と出口に立たされているようで微妙な感じがする。
ラ・パズを去る前の晩、ボリビアの民族舞踊のデイナーショーへ行ってみた。多民族国だけあって色彩もリズムもバラエテイーに富む。そればかりか「さくら」を歌ってサービスしてくれた日本びいきのチャランゴ奏者がいたり、“さだまさし”の若いときにそっくりの歌手兼パンフルート奏者がいた。携帯で“さだまさし”を検索して見せてあげると、「光栄です」と感激の一言。チャランゴ奏者が昔懐かしいビートルをガタガタ走らせてホテルまで送ってくれた。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
https://makiko-ishihara.pixels.com
https://nagatsuramovie.com