新連載 第1回 南米・ボリビア “ウユニ塩湖の旅”|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』
今月からスタートするこのコラム、私のお気に入りの旅行先を自分の体験を通してご紹介したい。「旅」は遠近に係らず、世界を広げてくれる大事な活動、チャンスがあれば思い切って出かけている。
ボリビアのSalar de Uyuni(ウユ二塩湖)の美しさを知ったのは日本の本屋の店頭だった。私は友人と二人でカナダからペルーを観光しながらボリビアへ入国し、ラパズ(La Paz)から南のウユニに飛んだ。ペルーの旅は後日書くことにして。塩湖(正しくは塩原-エンゲン)や奥地へ出発する前に、ここで米ドルをボリビアーノス(US$1=7B)に両替し、マーケットでバナナ、ボトル入り飲料水を買い込み、売り場に積んであったAjinomoto(味の素)の袋の山に敬礼して出発。
大塩原は街から車で約1時間。面積約10,582K㎡と世界最大の塩原は東京・横浜・トロント・ハミルトンが全部すっぽり入ると言えば感じがつかめると思う。アポロ11号の宇宙飛行士、ニール・アームストロングが1万2千キロメートルの距離から地球のキラキラ光る場所を目撃したのが発端だ。だから実際に現場へ行き塩原を確認した彼が観光客第一号というわけだ。
標高3700mに位置するため気温は炎天下でもひんやりしている。雨期(12月〜3月頃)に冠水すると50cmの高低差しかない塩原は「天空の鏡」となる。アンデス山脈の隆起で残された海水がそのまま流れ出すことなく溜まったもので乾期(7月〜10月頃)には乾燥して真っ白になる。その光景が一般に塩湖と呼ばれる所以だ。英語ではUyuni Salt Flatという。
湖上は目印になる物が何もないため素人の運転は危険。迷えば命取りになるとも言われるほど。地元の旅行会社のSUV Land Cruiserで白の道無き道を走ること半日あまり。湖中央のサボテンが密集する高さ40mの魚島(Isla de Pescado)に立ち寄る。民家はないが唯一の休息所だ。頂上から見える白くだだっ広い駐車場に佇む車が玩具のようで可愛い。
サボテンが古くなると木材になるのもここで初めて知った。魚島を去り、人っこ一人いない白一色のド真ん中で下車し、撮影タイムとする。ユニークなトリック写真が撮れるのが売り物の塩湖。地面は果てしない単一色のため遠近感の錯覚を利用して面白い写真が無数にとれる。トリック写真を考えだしたのは恐らく日本人だろう、と私は思っているのだが。
ガイドの青年によると、これだけの塩を有しながらも塩の輸出を生活の糧とすることは難しく、人々の生活は今も貧困のままという。「塩はどこの国でもあるからね」と彼。工場のトイレに入って納得。洗面用のシンクは蛇口が壊れたまま、というか穴だけだった。近くのバケツの水で手を洗う。しかし全世界の50%のリチウムが地下資源として埋蔵されているというから、経済発展はまだまだこれからだ。
夕方、塩のホテルに到着。「May I sit here?」と、私達のテーブルに座ったのはもとアルバータで駐在員をしていたという日本人の男性。ウェイトレスが持って来たお湯をカップラーメンに注いでいた。ホテルは日本語の表示も有るほどだからよほど人気があるのだろう。塩のブロックで出来たホテルの壁をこっそりなめてみた。超ショッパッ! 床も粗目の塩。歩くとザクザクと心地よい音がする。塩に囲まれた生活は美肌にもよいのでは、と勝手に思い込む女心。初めて見る南半球の星空に感無量の念にひたる。南十字星は残念ながら見つけることが出来なかったが神秘的な天の川の星屑が瞼に残る。朝には砂漠をチリ国境まで南下する。
現地の旅行会社の話では、日本からの観光客はウユニ塩湖だけが目的で来るが、もう少し足を伸ばして観光してほしい、とプロモーションに力をいれている。カナダから行けばペルーとボリビア観光を合わせても日本から出発するより格安、と記しておこう。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。 makiko@makikoishiharaphotography.com