#2 南米・ボリビア(2)アンデス山脈と砂漠|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』
全長約8000Kmあるアンデス山脈のちょうど中央部分にボリビアがある。ボリビアにさしかかるあたりから4〜6000m級の山脈は東と西にほぼ平行に分かれ、その二本の山脈の間に広がる標高約3650mの内陸盆地がAltiplano(アルテイプラノ)、俗にボリビア高原と呼ばれるところだ。このAltiplanoがボリビア国土の約3分の2を占めている。前回ご紹介した「ウユニ塩湖」もそこにある。
私達のSUVはウユニを後に砂塵をたてて高原を南下した。赤茶一色の砂漠でありながら見るもの珍しく、カメラから手が離せない。Eduardo Avaroa Andean Fauna National Reserve(エドアルド・アバロア・アンデス国立自然保護地区)に入るとレンズに飛び込んで来たのはVicugna(ビクーニャ)。家畜にもなるLama(リャマ)と違い、警戒心が強く逃げ足が速い。毛はリャマ、アルパカよりも遥かに高級で商品化した物にはお目にかかれなかった。 一般の狩猟は禁止されている。
見るまで信じられなかった赤い湖、群がるピンクのフラミンゴが大自然のスクリーンに現れた時、私は思わず歓声を上げた。Laguna Colorada(赤い湖)の赤は独特の色素や極小の藻類の蓄積物によるという。フラミンゴのなかで最も美しいと賞賛されるアンデイアン・フラミンゴとジェームズ・フラミンゴの2種が生殖している。4300mの高地と低気温と塩水のため他の動物に襲われずに済むフラミンゴの楽天地だ。カメラに納めきれない光景は何に例えようか。
何時間走り続けただろうか、砂漠の中の唯一のホテルに着いたときは星が出ていた。太陽発電しているこのホテルはお湯が夜8時まで。慌ててシャワーを浴びる。標高4500mなので酸素ボンベは5分間吸引無料のサービス付き。私達は高山地域に入る一日前から薬を飲み続けていたので幸い高山病も免れた。ダイアモックスという薬だが実は緑内障の治療薬で高山病予防にも効くというのだから面白い。
砂漠のまっただ中に吹き出ているのは Sol de Manana Geysers(マニャナの間欠泉)。ドロドロの粘土のような高熱の泥があちこちでボコボコ吹き出ている。「しっかり後について来てください」とガイドのロジャー君。間違って落ちた人は足を切断したというからドッキリ。なのに柵すら無い。そして期待していたAguas Termales de Polques(ポルケスの温泉)。といっても湯の出るところをセメントで囲ってあるだけの簡素なものだった。湯船で遠くアンデスの山々を眺めることしばし。小屋のドアには日本の協力を示す控えめのラベルが張ってあったから温泉は日本人のアイデアかもしれない、と一人思い込む。
あと15分走ればチリ国境、というところまで来た。眼下に美しいLaguna Verde(緑の湖)が広がる。駆け下りて行きたい気持ちに駆られたが、ロジャー君の「ヒ素が入っているから鳥が知らないで入って死ぬよ」で夢から覚めた私。深さ8mの湖は湖底からでるマグネシウム、炭酸塩、カルシウム、鉛、ヒ素、銅等の鉱物や金属類が湖水に混じり美しい緑色になる。その前に悠然と立ちはだかるのは500年眠っている6200mのLicancabur(リカンカブール火山)。
あたり一面針状の草でまっ黄色の荒野を車は一路北へ引き返す。少しロジャー君の思い出を語ろう。32歳のもとミュージシャン。お別れにと砂漠の岩陰で笛を吹いてくれた。哀愁のあるメロデイーが砂漠に響く。60年の間に数々の戦争に全て敗れたボリビアは土地を隣接国に次々と奪われ独立当時の国土の半分の小国になってしまった。その悲哀を謡ったものだろうか、それとも恋人を思う歌だろうか。ガイドというボリビアでは輝かしいキャリアの奥に祖国ボリビアを愛する一青年の人生を垣間みたような気がした。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
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