南紀熊野 世界遺産―熊野古道をいく(1)|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第64回
和歌山県 紀伊半島
カナダから神戸に里帰りしていた友人と旅することになった。神戸と東京の間にあってお互いに行ったことのない場所―世界遺産の熊野古道―に決めるのにそう時間はかからなかった。古代の日本人のDNAでもある自然崇拝に根付く霊場の参詣道。ロマンチックな響きを持つ熊野古道は神道や外来の仏教が結びつき、上皇から庶民まで多くの信者が神社や寺院を目指して歩いた道だ。我々に同じ信仰心があるわけではないが、その足跡を21世紀のトレッキングシューズを履いて歩き、一生に一度ぐらい平安時代の日本人の心に想いを馳せてみるのも楽しそう。半島南部のヘソにあたる熊野本宮大社を通る古道がいくつかある。その中でよく知られているのが小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)の3本だ。私たちは和泉式部も歩いたといわれる中辺路へ向かう。
南紀白浜海岸
2泊3日の短い旅なので、効率よく巡るため紀伊半島の西に位置する白浜駅でレンタカーを借り、横断して東の新宮駅に乗り捨てるプランを立てた。直行したのは有名な南紀白浜海岸。古くからリゾート地として栄え温泉、海水浴場、アドベンチャーワールドと家族向け観光要素が盛り沢山だが我々の目的地は広大な岩畳が重なり合う千畳敷。砂岩が長い歳月をかけて浸食され、異様な形相を見せる。12世紀の人々がみた光景は今とどう違っていただろうか。飛ばされそうな強風の中、一羽の鷲が私の頭の上を旋回する。
古道にフレンチ旅籠(はたご)
国道311号線で中辺路のスタート地点、滝尻(たきじり)王子に到着。健脚な人はここから急な山道を登って中辺路に入る。小さな滝尻王子宮神社があり、後鳥羽上皇がかつてここで歌会をやったとか。中をのぞくと天皇陛下御即位の祝誌がかかっていた。滝尻から熊野本宮大社までは40㎞の長距離。我々が歩くのはそのごく一部。泊まった宿は熊野の山並みを背景に建つ古民家「まさら」だ。地元の男性とフランス人の奥さんがカフェと宿泊を経営している。泊まりは1日2組限定。風呂から上がると出てきたのはフレンチオニオンスープに熱々の鍋料理。可愛いサラさんの日本語がほほえましく、話に花が咲く。ご主人のマサさんには無理なく歩ける中辺路のルートを教えてもらい、夢は古道へ。
「王子」って何?
滝尻王子のように「王子」という場所の名前が地図に頻繁に出てくる。これは何なのか。12~13世紀の熊野古道、特に中辺路の沿道に参詣者の祈願や儀礼の場所として建てられた神社が「王子」と言われ、熊野の神の御子神を祀ったのだとか。平安時代の皇族、貴族の道中の安全を守るために設置されたようだ。今は歩く人の〝道しるべ〟のようなもの、中辺路だけでも20箇所ほどある。滝尻王子のように建物があるわけではなく、立て札だったり、小さな岩だったり、名前が刻まれた石碑だったりで注意していないと見過ごしてしまうほど目立たない王子も多い。
発心門(ほっしんもん)王子から熊野本宮大社へ
マサさんのサジェスチョンにしたがって、朝食後熊野本宮大社へ直行。ここに駐車してバスで発心門王子へ戻る。発心門王子から熊野本宮大社までの古道は7㎞、と中辺路のほんの一部だがワクワクしながら足を踏み入れた。ちなみに、滝尻王子から途中まで国道はほぼ並行して走っているので駐車場さえあれば、どこからでも古道に入れそうだ。我々のコースは国道からかなり離れていた。歩く道は平坦な舗装道路から石畳、細く傾斜のある山道、木の根がボコボコ出た自然道など、バラエティーにとみ、飽きることなく足がすすむ。
霊場なのでレストランはない。ある集落で無人の〝干し芋〟スタンドを発見した以外は伏拝(ふしおがみ)王子跡にたった一軒の茶屋があるだけだった。たどり着いた人たちはベンチに座って持参の弁当を食べる。平安時代にはどんな食べ物を持ち歩いていたのだろうか、握り飯はあったのか、と考えながらありつけたコーヒーに感謝する。熊野本宮大社まではもうすぐだ。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
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