四国ってどんなところ? ―(2)愛媛県 内子から伊予灘へ|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第73回
四国の道路
四万十市の小さな集落「中村」が四万十川(12月号記)の入り口にあたるが、その上流でカヤック遊びをした後、宇和島湾の方へはいかず、伊予盆地を通って城下町大洲の隣の小さな町、内子へ来た。ところで車で四国を巡るのは距離的には比較的短時間、つまり2~3時間程度走ればおおよそ目的地にたどり着ける。例えば、高知市を出発して3時間で中村についた。ただし四国は山が多いのでどこもカーブだらけにトンネルだらけだ。疲れていては絶対に運転できない。箱根の有名な「いろは坂」のように何秒か後にカーブが出るといったパターン化していないので100%の集中力が課される。
内子の木蝋(もくろう)
長い名前、「八日市護国重要伝統的建造物群保存地区」こと内子町は江戸時代から明治にかけて日本の木蝋生産量一位を誇った町だ。海外へも輸出していたという。江戸時代の大洲藩の経済を支えた木蝋とはどんなロウソクなのか。創業200年の大森和蝋燭屋に入ってみた。一般に出回っている少し透明感のある白い蝋燭とは違い、ウルシ科のハゼノキの実を蒸して作られるロウはクリーム色で透明性はまるでない。実際に火をつけて見せてくれた。ロウがたれないし、炎も大きい。女将さんの話ではテレビや映画の武家屋敷のシーンではこの木蝋が使われているのだとか。今は主に寺院仏閣などから注文を受けている。一般のものよりも長持ちするので震災用に私は小ぶりの木蝋を三本二千円で購入する。600メートルの保存地区は18世紀から木蝋生産を始めた豪商、芳我家(はがけ)の本家、分家があり、町屋に混じって独特の風格ある格子戸をかまえている。
散策していると、なんと民家の軒先に「一袋100円」と書かれた富有柿の5個入り袋詰めが目に飛び込んだ。こんなお買い得を見過ごすわけにいかない、と100円玉を一個箱に入れる。東京のスーパーなら一個250円はする立派な柿、ホテルで毎日一個を二人で食し、四国のあたたかみを味わう。
「内子座」って何?
保存地区から数ブロック離れたところにある木造ニ階建ての芝居小屋が内子座だ。大正天皇の即位を記念して有志の職人たちが建てたものとか。老朽化で取り壊しになるところを内子町と一緒に重要文化財に指定され、改修されて今も歌舞伎、文楽、映画、演劇その他の催し物に利用されている。2021年には市川海老蔵の特別公演があった。瓦葺き、入母屋造の劇場は昔の東京の歌舞伎座の超縮尺版のような形で建て混んだ民家の一角に鎮座している。
到着するとなんと都合によりあと5分で閉館。遠路遥々ここまでやって来て引き下がるわけにもいかず、受付嬢にお願いしてその5分を頂戴することに。もちろん入場料を払って。おそらく一生ここに戻ってくることはないだろうという私の気持ちがそうさせたに違いない。桟敷席の板の温もりがご褒美として伝わってきた。
下灘駅「日本一海に近い駅」
内子を後に愛媛県の北側伊予灘の海岸へでる。海岸と並行して走っているのは単線の予讃線。その無人駅、下灘駅は路線が廃線の危機にさらされていたにもかかわらず、スター観光地として生まれ変わった運のいい駅だ。1977年の「男はつらいよ」のシリーズでロケ地となり全国に知られるようになったのだがその後がすごい。1998年から3年間JRが「青春18切符」のポスターに採用したからだ。それをバネにドラマ、アニメ、ドキュメンタリー等々に使われ廃墟となるべき駅の運命が一変した。
そんな脚光を浴びる駅を大事にしようと無人駅の美化活動をするのは地元のご老人たち。昔あった売店は閉店、今はリヤカーから作ったような可愛い「下灘珈琲店」が道を隔てた駅の向かいで大繁盛している。私たちも興味津々で行ってみた。確かに紺青の日本海が目前に。線路の崖下には私たちが走ってきた、昔はなかった道路が。列車「伊予灘ものがたり」は一日2往復のみ。下灘駅の180度転回物語は後世に残せるおとぎ話のようではないか。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daughter(CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回記念DVDを2018年にリリース。PPOC正会員、日本FP協会会員。www.makikoishiharaphotography.com
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