第18回 海外で日本語を継承することについて考える|カエデの多言語はぐくみ通信
私のコラム読者には海外永住だが自分の子どもに日本語を話してほしいと願う親御さんも多いでしょう。子どもに自分の言葉を伝えたいと思うのは自然なことです。ただ、これが海外だとたいへん難しく、日常必要のない日本語を進んで学ぼうとする子どものほうが少ないでしょう。嫌がる子どもに日本語を教える時、私は民族の言葉をもぎ取られた日系の先人たちや先住民のことを考えます。教えたくても教えられなかった人たちと、教えようと思えば教えることができる自分。今回は、民族の言葉を伝承することができなかった人たちに思いを馳せてみます。
日系人は日本語を教えることを止めた
19世紀末から日本人の海外への移民がさかんになりました。その頃、日系人はコミュニティー内では日本語で暮らしていたようです。ご存知のように第二次世界大戦中、日本は大半の西側諸国の敵となり、カナダやたくさんの国で、日系人は家や土地、船を没収されて強制収容所に送られました。
戦後収容が解かれても、日系コミュニティーを形成することは禁止され、ちりぢりに離れて住むことを余儀なくされました。そして、日系人は敵視されないよう、カナダに同化すべく、子どもに日本語を教えることを止め白人のように育てました。
戦後しばらくは日本からの移民も禁止され、カナダの日系コミュニティーは大きくなることはありませんでした。日系人はカナダで最も異人種との結婚が多いエスニックグループで、実に現在は約80%のカナダ日系人は日系人以外と結婚しています(*注)。今の日系3世以降の世代で日本語を話す人はほとんどいません。また、戦後移民も、私のように日本人以外と結婚する女性が多く、日本語より現地の言葉を優先する日本人妻が多いのです。
海外での日系コミュニティーは小さく、また異人種間結婚が多いことから、日本語の継承は難しいものになっています。
アイヌやカナダ先住民の消えゆく言葉
日本のアイヌやカナダの先住民も、民族の言葉を子どもたちに伝えることを国から禁止された人たちです。日本の中でも、アイヌのお祖母さんが孫と会話できないということが起こっていました。彼らは言葉だけでなく、文化そのものを継承することを国から禁止されました。カナダのレジデンシャルスクールでは、先住民の子どもたちが虐待でたくさん亡くなりました。
今消えてゆく彼らの言葉と文化を残そうとする運動が起こっています。しかし、一度失われたものを取り戻すのはたいへんなことです。私は彼らのあせりと、自分の子どもたちの日本語教育の中でのあせりを重ね合わせシンパシーを感じます。カナダでの英語という海の中で、時に向けられる無理解の中で、子どもたちの日本語を守るのは戦いでした。しかし、私は彼らのように子どもに日本語を教えてはいけないと禁止されてはいません。私には子どもに日本語と文化を伝承する自由と権利がありました。
子どもたちが日本語より英語を好むことを時折腹立たしく思い、英語が私の日本語教育の邪魔をしているようにさえ感じました。子どもたちが日本語を話すことを当然のことのように考える日本の家族に腹を立てました。補習校に付いていけず、もがいている時に心無い言葉をかけられました。しかし、私はアイヌや先住民の人たちに比べると、ずっと恵まれた環境にありました。
子どもは大きくなってから親を責める
バイリンガル教育関係の書籍やインターネット記事、ブログなどを日本語や英語で読んでいると、日本人だけでなく世界中の移住者の子どもたちが、自ら継承語の勉強を嫌がって学習を止めたのに、大人になってから、「なぜ嫌がっても勉強させなかったのか」と親を責める場面がよくあることが分かります。日本語学校を辞めたいと子どもが言うので、「後で文句を言わないように」と念を押したとしても、大人になってから「あの時は子どもでわからなかったから」と言います。
子どもとは勝手なものです。10年後の将来よりも土曜日の朝のアニメのほうが大事です。子どもは成熟した判断力がまだ育っていないので、長期的な視野で考えられる大人が判断するしかありません。しかし、大人にも生活があり、忍耐力にも限度があります。毎週土曜日の朝になると、日本語学校へ行くのを嫌がる子どもとのバトルが、あちこちの日本人永住家庭で起こります。
教えるか教えないかは誰が決めるべきなのか
私は、以前は永住の日本人のお母さんたちに、子どもに日本語を教えることを勧めたり、弱気になったお母さんを励ましたりしていましたが、今はしていません。教育はデリケートな問題であり、バイリンガル教育を勧めたり励ますことは、親御さんに自分の考えを押し付けていると思われかねないと考えるようになったからです。今はブログで発信し、ツイッターなどで質問された時に答えるようにしています。https://warmankaede.com
海外で継承語としての日本語は、大人になってからでももちろん勉強することができます。しかし、日本ルーツの子どもの状況は外国人が日本語を勉強するのとは違います。日本ルーツの子どもは周りから流暢に話すことを期待されるためか、流暢でないことを恥ずかしがり、わざと日本語から遠のく傾向があるように思います。
言葉を身に着けやすい子どものうちに少し無理をして日本語を教えるのか、子どもの嫌がる気持ちを尊重して諦めるか。決めるのは親なのか、子どもにまかせるのか。難しい問題です。
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