トロント国際作家祭『小さいおうち』作家 中島京子さんとカナダ人小説家 Lynne Kutsukakeさんが夢の共演@ジャパンファウンデーション|カナダを訪れた著名人
2010年に直木賞を受賞した『小さいおうち』の著者中島京子さんが、カナダの小説家Lynne Kutsukake氏と対談、イベントでは朗読会や質疑応答が行われた。『小さいおうち』は1930年代の戦争の影が忍び寄る東京が舞台で、山形から上京し平井家に仕えた女中タキの回顧録を、大甥が追っていく物語だ。2014年に山田洋次監督により映画化されたほか、既にイギリスとフランスにて翻訳され、カナダでは11月より発売となっている。
中島京子さんインタビュー
ートロントにお越しになった印象はいかがですか?
夜明けの湖の景色がきれいで感動しました。カナダはメープルリーフが有名ですが、紅葉のグラデーションが見事ですね。
ー2010年に直木賞を受賞された『小さいおうち』ですが、どのようなきっかけでこの物語が生まれましたか?
祖母から聞いた1930・40年代の思い出話では銀座の三越でのお買い物やタクシーなど楽しそうな話が多かったのですが、学校で習った戦争の時代の話とのギャップを感じ、どうしてかなと思ったのがきっかけです。
ー当時の婦人誌やレストランガイドも参考にしたということですが、リサーチは大変だったのではないでしょうか?
大変というよりは楽しかったです。編集者として婦人誌で働いていたのですが、図書室で過去のバックナンバーを全部見ることができ、流行は違えど雑誌の作り方が現代と似ていて…。戦時中の髪型などは面白く、資料を見るのはとても楽しかったです。
ー2014年には山田洋次監督により映画化もされましたね。お話をいただいたときはどのような思いでしたか?
突然山田洋次監督から「僕にしか映画化できない」とお手紙をいただいたので、是非とお願いしました。降ってわいたお話でしたが、嬉しかったです。
ー中島さんご自身は出版社やフリーライターを経て今に至っています。ご両親がフランス文学者ということですが、自然に書く道を目指すようになったのでしょうか?
そうですね。父が翻訳をしていて、面白い小説があると食後の団らんのときに読んでくれたんです。書いたりするのが苦痛な人には向かない職業だと思いますが、読むこと書くことが楽しいことだと自然に感じて育ちました。うまくいかないこともありますが書くのは毎回楽しく、幼少期から書いたものを見せて反応を見るのが好きでしたね。
ー中島さん自身、1年間渡米された経験をお持ちですね。その後小説家に専念したとのことですが、何かきっかけとなる経験があったのでしょうか?
学生時代に小説は書いていたので、目指していたことではありました。その後は仕事が忙しく小説家への道を諦めていましたが、頭の中を整理しようと会社を辞めて1年渡米しました。
アメリカでは、「30歳過ぎたらもう遅い」という自己規制から解放されて自由になり、自分が今一番したいことがクリアになりました。
ーそれを含め海外での経験が執筆に活きていることはありますか?
日本の社会の中にいるとどのポジションにいるのか強く考えてしまう自分がいましたが、アメリカのアイオワ大学で開催されたインターナショナルライティングプログラムで他国の作家と交流し刺激を受けたことが大きいです。イラクからの方もいて、世界の状況が新聞で読む話と違うというか、そこでこういう物語を書いてるんだと分かる機会は得難くてよかったです。
ー『小さいおうち』は今年2月にイギリスで発売され、11月にカナダで発売されます。何か反響はありましたか?
日本と変わらずタキに感情移入して読んでくれたり、タキと時子の関係に言及しているものが多かったです。丁寧に読んでくれているなと思いました。
お料理のシーンが多く、そこに反響があったので、ぜひ注目しながら楽しんでください。
ー将来していきたい活動や書きたい小説はありますか?
その時々で違いますが、長く暮らしていた東京が舞台の小説を定期的に書きたくなります。日本で今年5月に発売された最新刊『夢見る帝国図書館』も上野が舞台です。
中島京子さん × Lynne Kutsukakeさん対談
冒頭では、中島京子さんによる日本語での『小さいおうち』朗読とKutsukakeさんによる翻訳版の朗読が交互に行われた。主人公タキの山形弁を披露する場面では中島氏が感情を込めて朗読、会場を笑いの渦に巻き込んだ。
Kutsukake: 平井家にタキが仕えた頃、女中タキは14歳、時子は22歳ととても若い。この時代の家庭は多数の執事や侍女が付く「ダウントンアビー」とは違いますよね(笑)。当時の一般的な家庭の形態について説明いただけますか?
中島: 田舎の大きいお家に女中が何人もいるという時代もあったみたいですが、1920年代からサラリーマンや工場労働者など新たな階層ができ、核家庭に女中一人、というのが一般的な形として昭和40年代まで続きました。
Kutsukake: 作中ではタキが仕える平井家の主人が玩具会社に勤めています。なぜ玩具会社を設定として選んだのでしょう?
中島: 1つは軍事産業ではないブリキを使う業界にしたかったからです。戦争の時代に突入するに従い、戦争で使うために金属を扱う業界は大変な変化が起きました。勢いの良かった会社が戦争のためにダメになった、それを小説で書きたかったです。もう1つは子供のための夢のある平和的な産業にしたかったことですね。
Kutsukake: 当時は東京オリンピックが1940年に開催予定でしたよね。タキと平井家に変化はありましたか?
中島: 今の日本も2020年のオリンピックに向けて準備に一生懸命になっていますが、この時代も似たようなシチュエーションで、日本のことを世界の人に知ってもらういい機会、いい商売になると、平井家の主人はオリンピック向けの玩具を考えていました。
Kutsukake: 戦意高揚のスローガンによって玩具はお国のために重要なものになりますが、それでも平井家の主人は玩具を製造しようと奮闘しますね。
中島: 私はこの小説を書くためにリサーチをたくさんしましたが、様々なものが戦争のために変容した時代でした。玩具も本来戦争とは関係ありません。あとは、ただのキャラメルが、強い子供を作るため、戦争に勝つためなんて言われて販売されたり。スローガンにより様々なものが変わっていく、そこが興味深かったです。
Kutsukake: 当時の暮らしがつぶさに描かれていますが、リサーチはどのくらいしたのですか?
中島: 実際どれくらいしたのか言うのは難しいですが、書くこと自体は5年かかりました。当時の新聞や雑誌、小説や映画、またその頃の小説家や子供の日記を参考にしました。のちの時代の回顧録は、戦後の価値観が書き込まれていると考えたので参考にしていません。その時代のもの、当時書かれたものが中心です。
Kutsukake: 女性の髪型も信じられませんでした。時子は当時の規律に従わずに派手な髪型ですよね。
中島: 「銃後まげ」というのですが、私のでっちあげではなく、当時の女性雑誌に実際に載っている髪型です。見つけたときは悲しいと同時に可笑しかったというか。
Kutsukake: 1930年代の歴史が舞台ですが、執筆のきっかけはありますか?
中島: 学校で習う真珠湾攻撃や二二六事件などの歴史的事件と、祖母の体験した1930年代40年代の三越で着物を仕立てて資生堂でお食事、タクシーで帰って…などの話が頭の中で結びつかず、知りたいというのが大きな理由でした。
Kutsukake: タキの回顧録を大甥の健史が見つけますよね。健史がしきりに言う「おばあちゃん嘘はついちゃいけないよ」の言葉が印象深かったです。
中島: そうですね。その言葉には複雑で重要な役割があります。1つは、回顧録だけだと戦争の時代ということが分からなくなるので、当時の東京の市民が持っていたような楽しい生活感覚と教科書で習う戦争の知識のずれ、世代間のギャップを健史に表現してもらうことです。もう1つは読者が質問を通じてその言葉を聴きながら読むということに意味があります。その言葉が読むための1つのカギになります。
Kutsukake: カズオ・イシグロの小説『日の名残り(The Remains of the Day)』を思い出します。タキは過去を回想してメモを残していますよね。記憶と歴史的の事実についてはどう考えていますか。
中島: 『日の名残り』は私の大好きな小説で、その他女中が出てくる小説など、とても影響は受けていると思います。記憶していることは真実とは限らず、感じていることです。小説は長い時間を扱うことができるものだと思っているので、その人の生きた長い時間の中で何が残って何が変質して、何が人を慰めたり傷つけたりするのか興味があり、この小説を書きました。
Kutsukake: なるほど。次は中島氏個人についてですが…。編集者やフリーライターを経て小説家になっていますね。小説家はいつ頃から目指しましたか?
中島: デビューしたのは39歳ですが、15歳の頃からなりたかったです。学生時代も書いていたのですが、職業とは結びつかなかったので雑誌社に勤め、忙しくて書く機会がなかったです。あんなに小さい時からなりたかったので今思えば道はまっすぐだったと思いますが、実はものすごく蛇行しています。雑誌の編集やフリーライターは作家になるために重要でした。女性雑誌の編集では、リサーチと言っては昔の雑誌を図書館で見ていましたね。いかに古い雑誌が面白いかが小説を書く遠いきっかけになったと思います。
Kutsukake: 中島さんは東京で生まれ育っていますね。それが東京を選んだ理由ですか?
中島: 東京のことを書くことが多いです。一番知っているし面白い町だと思っています。古い町はどこもそうですが、一見新しいもののなかに少し道を曲がるとものすごく古いものがあったり…。重層的な歴史がそこに刻まれている町なので、驚きやインスピレーションを与えてくれています。
Kutsukake: 『小さいおうち』はチャールズ・ディケンズのように連載小説ですが、連載当時プレッシャーはなかったですか?
中島: こないだフランス人作家にもアレクサンドル・デュマみたいと言われました。日本では珍しくないですが、大変です。人によっては出来上げてから載せる人もいますが私にはできないので、博打の感覚ですね。はじめて連載小説をしたときはストックなしでスキー板で滑るような、「どこに行くの私は!?」という感じで怖かったです(笑)。でも幸い深刻に書けない状態に陥ったことはないです。
Kutsukake: Virginia Lee Burtonの同タイトルの絵本『The Little House』にはインスピレーションを受けましたか?
中島: 日本でも大変人気があって小さいときに何度も読んだ大好きな絵本です。のどかな田舎で、小さいおうちの周囲に道路やビルが建ち環境が変わっていきます。最後は丘の上に引っ越してハッピーエンドですが、小説を書いたときにこの絵本を思い出していました。小さいおうちの中で幸せに暮らしたイメージが頭の中にあったので、連載の結末が分からない中でこのタイトルをつけました。
Kutsukake: そうですよね。タキと時子の関係があって、その周り、日本では暗い戦争が忍び寄っていきます。歴史小説と事実の違いについてどう感じますか?
中島: 急に難しい質問になりましたね(笑)。歴史小説を書くのは真実を伝えるためで、ノンフィクションで歴史を伝える方法とは書く方法が全然違うと思います。私はこの小説で実際の新聞を調べましたし、事実を書きました。フィクションは事実自体に改変を加えて何かの真実を伝えることもできると思います。小説でしか浮かび上がらせられない真実を扱うことが歴史を扱う小説を書くことだと思っています。
来場者からのQ&A
Q 作家として、映画化に関してはどう思いましたか?
大変恐ろしい質問ですね(笑)。山田洋次さんは日本映画界の伝説的な人です。そういう方がおとりになったから…いいに決まってるじゃないですか(笑)。映画化に関して、フランスの作家の「映画化で自分の本を売ってくれるから、文句を言うのはあり得ない」、中国作家の「映画化されるのは自分の娘を嫁に出すようなものだ」という言葉に共感しています。嬉しいですが、大事に育てた娘をよその男に取られる感じはあるので大切にして、変にされたら許さないという気持ちはあるかもしれないですね(笑)。
映画の好きなところは、監督は自分の小説の時代を経験されているので、アイロンをかけるときに上から電気を取ったり、着物を洗濯するときはほどいて布にする、伸子張りなどのシーンがあって、「見てから書けばよかったな」と(笑)。よくなかったところも言った方がいいんでしょうか(笑)?奥様の恋愛する相手である板倉さんが、わたしのイメージとは違うかなと。とてもいい俳優さんなんですけどね。
Q なぜ女中を主人公にしたのですか?
女中さんは小説の語り手として面白いからです。一緒に住んでいるので、家族の中の他者というか異質な存在でありながら娘のような存在です。全部見ることができる存在でとてもいい語り手なのでずっと書きたいと思っていました。
中島京子さんプロフィール
1964年東京都生まれ。出版社勤務を経て渡米し、2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年に『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞を受賞。2015年は『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞受賞と受賞作品多数。新作『夢見る帝国図書館』も好評発売中。