トロント国際作家祭(TIFA)小説『コンビニ人間』芥川賞作家 村田沙耶香さん インタビュー|トロントを訪れた著名人
自身の芥川賞作品『コンビニ人間』が英訳されたのを機に、小説家の村田沙耶香さんが国際作家祭に参加すべくカナダに訪れた。社会の「普通」や「人はこうあるべき」という考えを少し変わった主人公・恵子の視点を通して問う『コンビニ人間』。今回、村田さんには海外で自身の作品が読まれることについての感想、彼女の作品作りの原点、そして日本社会への葛藤や想いについて語ってもらった。
『コンビニ人間』が海外に広まるのは意外
ー今回初めてトロントに訪れたとのことですが、街の雰囲気はいかがですか?
楽しい街ですね。私は海外にあまり慣れていないのですが、治安もすごくいいような気がします。紅葉もとても綺麗でした。湖のそばも散歩したのですが、そこに置いてあるベンチで寒い中皆さん読書されていて素敵だなと思いました。
ー今回国際作家祭に参加されることでより多くの海外の方に『コンビニ人間』が読まれると思いますが、お気持ちはいかがですか?
とても嬉しいですが、海外の方が私の作品を読まれているのは意外だと思いました。私の同世代で友人の中村文則さんは自身の作品が英訳され、トロント作家祭にも参加し、海外の作家さんとも交流していました。彼のように海外の方の感想が聞けるのってどんな感じなのかなと憧れていました。でも『コンビニ人間』という小説はミニマルで日本的なものだし、描かれている働き方もとても日本的だと思っていたので、それが英訳されて広く読んでもらえることは意外であり奇跡のようでとても嬉しいです。
ー他の海外の文学祭の反応はいかがですか?
10月初旬に開催されたチェルトナム文学祭が初めて参加した海外の文学祭でした。とても刺激的でしたね。私は翻訳家のジニーさんなどと共に登壇して日本の文学について話をしました。日本文学を読んだことがないような方々や文学好きの方々が色々と質問してくださり、熱心に話を聞いてくださったので嬉しかったです。
『コンビニ人間』を読まれた方は日本語で読んでくださった方も多かったです。あと、登場人物の一人の白羽さんという男性は日本だと女性からも「共感しました」という声が聞かれますが、海外ではすごく嫌われていました。言動がひどい上に特殊だから嫌われ者になってしまったのでしょうね。日本で好かれている方が変なのかもしれません。
幼い頃から感じていた「違和感」
ー登場人物の白羽さんに対しての反応も含め、日本の社会の「普通」と海外の社会の「普通」は違うな、と感じましたか?
違うと感じましたね。本当に日本は遅れているな、と思っています。日本はやっと「これに怒っていいんだ」とか「これに傷ついていいんだ」っていうことに気づき始めた段階にあると思います。以前に訪れたイギリスではLGBTに対して理解は広まっているけど、パートナーがいない人に対しては風当たりが厳しいことがあるという話を伺いました。でも日本はまだそういう段階でもないような気がします。著名人が少しでもその話をしただけでも「カミングアウト」と言われてニュースになってしまうことやパートナーについて話しただけなのに「カミングアウト」って記事になってしまうことには違和感を覚えましたね。医学部受験の女性差別のニュースとか本当にひどい話ばかりで。
ずっと隠された中で暮らしていたことを考えると、やっと表面化されてそれに対して怒ることができるだけでも少しは変わったのかなと思いますが、それでもまだ本当にひどいなと改めて思いました。
ー村田さんがこのように日本の社会の「普通」を問い始めたきっかけは何でしたか?
デビュー作から「あまり普通じゃない」女の子を書き続けてきました。親とうまくいかない女の子とか、あまり普通に生きられない女の子とか。でもきっかけは自分でもよくわからないですね。「違和感」というのはすごく私にとって大きなテーマとしてあって、それは小さい頃からそうでした。私は子供の頃からいろいろなことに違和感を持つ子供でした。悪いことだけでなく、いいことに対しても疑問を抱いていましたね。例えば、親からすごく愛されていることに対しても「なんでだろう」とか。自分にとって良いことでも「なんでだろう」って考えるのが好きな子供でした。
ーその「違和感」は幼い頃から文章にしていたのですか?また、書いているうちにその違和感に対する考え方は変わりましたか?
小学生の頃から小説は書いていたのですが、違和感を文章に起こすようになったのは大学生になってからだと思います。初めは「絶対的なものとしてある世界に傷ついている主人公」という構図が多かったのですが、今は主人公を追い詰めている世界そのものにも流動性があり、だんだんと不確かなものになっている気がしています。作品の一つの『殺人出産』のように現実とは違う法律がある世界で「常識人」として生きるとしたらどうなのだろうとか、そういう想像もするようになりましたね。
素朴な疑問から生まれる独自の世界
ー現実とは違う法律がある世界やそのようなアイデアはどこから生まれるのでしょうか?
全く素朴な疑問から生まれることが多いですね。例えば、英訳して雑誌にも掲載させていただいた『素敵な素材』は死んだ人間の髪の毛でセーターを編んだりするお話なのですが、それはアイデアというよりかは素朴な疑問から生まれました。
「人間を素材にする」ということは「燃やすよりはそっちの方がいい」という考えの人がいてもおかしくないような気がするんですが、でもそれはしないし、人間の髪で編んだセーターはやはり気持ち悪いものですよね。人の爪で作ったシャンデリアとか出てくるのですが、自分でももちろん「気持ち悪い」と思います。でもなぜ「気持ち悪い」と思うこととか、子供が持つような素朴な疑問について考えるのがすごく好きなのだと思います。
ー男女の関係や役割についてもやはりそのような素朴な疑問が物語を作るきっかけとなっているのでしょうか。
そうですね。男女の役割については本当に幼少期から自分が苦しめられ続けていたことでした。自分が女性としての役割を押し付けられることとか、「女の子だから料理や家事ができるようにならなきゃ」とか言われるのは変だったし、歪んでいたなと思います。特にこうやって海外に行くと本当に変だったのだなと思いますね。
主人公・恵子への憧れ
ー主人公の恵子さんは村田さんと共通点がある人物なのですか?それともご自身とは全く違う人物なのでしょうか。
コンビニで働いていて三十代というところは同じですが、性格とかはとても違っていると思います。私は人目を気にしておとなしすぎる子供でした。「もっと元気な子にならなきゃ」とか「元気に作文を発表できるようにならなきゃ」とか、いろいろと人目を気にして頑張る子供でした。自分の意見を全く持たず「場がおさまればそれでいい」というような生き方だったので、そういう意味では日本の同調圧力に迎合している学生時代でした。
一方で恵子は本当に自分の言いたいことをなんでも言いますよね。自分もあんな風だったらいいな、と思います。「なんでそうなんですか」とか、いろんなものに疑問を投げかけてひどいことを言われても傷つくことなくいれる。私は自分が大学生時代に恋人に気を合わせたりした経験もあるのですが、恵子だったら絶対にしないようなことだと思います。そういう意味では彼女の生き様には「これくらい気持ちよく生きられたらいいな」という憧れはあります。
ーそれでは逆に村田先生が一番よく映し出されていると思う『コンビニ人間』の登場人物はいますか?
誰だろう…。あまり似ている人がいないかもしれないです。でも恵子や白羽さんの気持ちがよく分かる時もあれば、恵子の友達の気持ちが分かる時もある気がします。恵子の友達が発する「バイトって不安定じゃない?」とか「バイトしているんだったら社員になればいいんじゃない」という言葉は私がもし恵子さんみたいな人に会ったら悪気なく言ってしまうような気がしました。
ですので、いつもの小説と違うのは「カメラが二箇所にある」ということでした。そういう感じで小説を書いたのは初めてでしたね。自分自身は平凡な人間だと思っていますが、その平凡で普通な人間のグロテスクさみたいなのも自分にもあるなと思いながら書いていました。
ーその変化というのは新作の『地球星人』にも映し出されているのでしょうか。
そうですね。反映されていると思います。『地球星人』の主人公・奈月は、恵子よりかは私に近いような気がします。自分のことを「魔法使いだ」という空想に逃げたりとか、彼女自身が傷ついたりする人なので、恵子に比べるとすごく人間味のある人物だと思います。そういう意味では恵子と会わせてみたいですね。恵子に会ったら多分彼女も楽になる。友達になれそうな気がします。奈月には堂々と生きる恵子から学べるところがたくさんあると思います。
自分を苦しめていた「普通」を問う
ー村田さんの作品には社会の「普通」を問うものが多いと思うのですが、そのモチベーションや目指すところはどこにあるのでしょうか。
私自身、子供の頃はおとなしすぎる・内気すぎるととても心配されました。ものすごい泣き虫でしたし、恵子とは違う意味でナイーブすぎる子供でした。なので「普通の女の子」に対してコンプレックスがあったのだと思います。当時は恥ずかしがり屋で男子とも全然話せなかったのですが、友達のように男子とも恥ずかしがらずに男子と話せるのが「普通の女の子」なのかな、とか。
でもだんだん書いていくうちに私を幼い頃にあんなに苦しめていた「普通」や「ちゃんとする」って何だったのだろうと思うようになりました。ただ何も考えずに従っていたことが書くことによって次第にクリアになっていった感じがします。
ーやはり日本はまだ「普通」や男女の役割について問わない人が多いと思うのですが、これから日本が変わっていってほしいなと思うところはありますか。
本当に変わっていってほしいですよね。でも日本では#MeTooのような活動も「偽物のフェミニズムだ」と言われたり、ミソジニー的な言葉で叩かれたりして、きちんと意味が伝わって広がっている状態ではないと感じます。「痴漢」という言葉が海外で広まっているのも本当におかしくて、憤りを覚える出来事ばかりで苦しく思います。
でももちろん世の男性の中でも白羽さんのようにハラスメントを受けている方はいます。それこそLGBTの方々が「パートナー」と普通に口にすることができる環境など、海外では当たり前に広まっていることについて、日本が変わらなくてはいけない部分だなと思います。海外での『コンビニ人間』の感想を聞くとますますそう思います。
ーご自身が抱えた怒りを作品を通して訴えようと思ったことはありますか。
作品は登場人物のものだと思っているので、あまり彼らを自分の意見の代弁者にはしたくないと思っています。自分が小説を学んだ宮原昭夫先生がそういう考え方をする方だったので、それに影響されたのかもしれませんね。「小説が動き出す」ことが正しいことなので、自分の怒りをあまり代弁させないように書いてきました。たとえ私も書く際に怒りを持っていたとしても、小説家としてその怒りは冷静に扱わないといけないものなので、作品にそれをぶつけるということは出来ません。そのような感情は常に冷静に観察していかなかればならない部分だと思っています。
ー最後に、海外に飛び出して来た若い日本人や読者の方々にメッセージをお願いします。
私は留学の経験もなくて、最近になり若いうちに留学をしておけばよかったなと思うようになりました。海外に住むという経験は想像したこともなかったのですが、今やっと自分の作品が翻訳され、海外の人と話す機会が増え、本当に視野が広がったと思います。遅ればせながらやっと日本の有様に気付いているところです。
ですので、海外で暮らしているみなさんは素晴らしい経験をなさっていると思います。日本にいた時には持てなかった視点を得るのは素晴らしいことです。そのような経験はこれから糧になると思いますし、それを成し遂げているみなさんには憧れと尊敬があります。
「架空の自分」っていろんな人にとって何人もいると思いますが、私の中には「もし自分が留学していたら」という架空の自分がいて、その人は私よりもう少し考え方やものの見方が進んでいるのです。社会問題に対してもっとしっかりと戦える自分、怒りに気がつくことができる自分がそこにはいて、「その人だったらどんな小説を書いているのかな」と思うことはあります。海外で暮らしているみなさんはそれを叶えている人たちだと思うのでそれを大切にしていてほしいですね。
村田 沙耶香 ムラタ サヤカ
1979年千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003年「授乳」で群像新人文学賞・優秀作受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。最新作『地球星人』は、幼少期に「魔法少女として地球を守っている」という思いに取り憑かれた奈月を主人公にした物語。