起業は得か?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明
ハリス大統領候補がアメリカに起業家を増やすべく方針を打ち出した。カナダは長年起業家には優しい税制とインフラがあるとされ、多くの人たちが自分のビジネスを立ち上げている。雇用されるのが良いのか、会社を立ち上げたらよいのか、その原点に立ち返ってみよう。
ズバリ申し上げる。子供は親の背中を見て育つ、これほど忠実に再現をしているケースは少ない。つまり親が政治家なら子も政治家を目指す、文化人なら文化人、商人なら商人だ。だが世の中の80%は勤め人か役人だろう。役人と言っても官僚ではなく、スタッフの方の意味だ。とすれば勤め人の子は勤め人になるケースが高い。
これは確率論であって断言する話ではない。しかし、なぜ確率論からしてそうなりやすいか、これは比較的簡単に説明できる。
子どもには親の仕事が最も身近なのだ。高校大学と進み、いよいよ就職して社会人になるのは避けて通れない選択だ。通常は企業に勤めるケースが大半であろう。
仮に親が政治家であろうと、音楽家であろうと科学者であろうとそういうものだ。但し、お勤めを数年経験すると親のやっていた仕事と自分が今、何気なくやっている仕事と比べてしまう時が必ず来る。その時、職業の再シャッフルが行われる。
大企業に勤めた方の「3年3割」という言葉を聞いたことがあるだろうか?入社3年で3割が辞めるという意味だ。何故辞めるか様々な理由がある。ストレスフルだ、給与が安い、やりがいがない…何でも言うのは勝手だ。
ただ、多くの第三者はそれを真に受けないのも事実だ。だから私は月に4〜5人ぐらいコンスタントに採用面接をしているが、「なぜ、前職を辞めたの?」という野暮な質問はしない。ワンサイドな話を聞いたところで意味がないからだ。辞めたという事実が全てなのだ。
では辞めた本当の理由は何だろうか?私は何故、その会社に入ったか、そこが間違いの元凶だったのではないか、と問いたい。
学生の頃、就活は人気コンサートのチケットをゲットするぐらいの軽さで「内定、いくつ出た?」「20社回ったけど全然ダメ」「商社と銀行、受かったけど、もうちょっと廻ってみる」といった具合で会社で何をやりたいかではなく、どれだけ皆が知っている企業にどれだけたくさんの内定をもらえたか、それが全ての自慢なのだ。そんなのは就活とは言わない。就職ゲームでしかない。
それ故、社会人になってから数年たつと気がつくのだ。親がやっていた仕事、あれ、生きがいを持ってやっていたよなぁ。俺も(私も)やっぱりあれが天職なんだ。だから転職しよう」である。
それは気づきなのでよいこと。前向きな転職だと考えて良い。
では、本題の起業は得なのか、である。
ズバリ申し上げよう。
商人の子は商人のちまちましたビジネスに長けるであろう。創業家の息子や娘は大きなビジネスを張るのに向いている。
ではサラリーマンの子に今から銀行で1億円借りてきて事業を立ち上げよと言っても困難であろう。理由は簡単だ。論理的に何をどうしてよいかわからないのだ。何を事業化したらよいかもわからないだろう。
お前、言い過ぎだろう、と言われるかもしれないが、おおかた当たっているはずだ。それは私自身がその世界にいて見続けてきたからだ。
先日、大学を休学してカナダに来ている学生と懇談した。
「コンサル会社に入りたい」
「ほう、ではその先は独立だね?」
「ハイ、飲食業をやりたいです」
これでずっこけた。彼は日本でも超一流の大学に在籍している。コンサル会社にもその気があれば入れるだろう。だが、なぜ飲食なのか?別に飲食業を蔑んでいるわけじゃない。彼には起業のアイディアがないのだ。だから身近な飲食に走る。
起業はニッチの世界の勝負とされる。ブルーオーシャンを目指せともいう。だが、ブルーオーシャンに魚が一匹もいないこともあり得る。これはリスクだ。だが、飲食はよほど不味くなければ客は一応は来る。それが経営的に続くかどうかがカギだが、これに騙されるのだ。
ではお前は起業をしてどうリスクをヘッジしてきたのか、と聞かれたらズバリこう答える。まずは自分でプロと言えるような領域を作り、そこで手堅いビジネスを立ち上げよ、と。そこから生まれる利益で自分が深掘りをしてニッチと思われる領域に新展開するのだ。そうすればそれが仮に失敗しても元々やっている手堅いビジネスが残っているから全部なくなるリスクは少ない。
あと、初めはジャンプをし過ぎるな、と申し上げたい。手が届かないところに無理に手を伸ばすと必ずしっぺ返しが来る。つま先立ちぐらいでよい。そこで成長する癖をつける、成長軌道に乗り、自分に実力がついてきたらジャンプしたらよい。一生に一度の大ジャンプのつもりで飛ぶのだ。
起業してある程度成功すると良いことがおおい。まず、他人から指図されるストレスから解放される、給与は自分の働きに応じてなので文句を言えない、それより定年がない。よって80歳までやってもよし、50歳でFIREしてもよい。全ての人生の設計図は自分の手元にあるということだ。
私の同年代は続々とリタイアしている。好む好まざるにかかわらずだ。私はあと20年、やる気だ。私のキャンバスの描きかけの絵には白いところがまだ残っている。そこをどうやって描くか、夢を追い続ける。なんと嬉しい人生ではないだろうか。
了