Z世代の憂鬱、8時間労働は人類にとって最適か?|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第65回

先日、Z世代の女性の、9時から5時までの8時間労働はクレイジーだという主張が、ティックトックでバズっているという記事を目にしました。家賃が高くて会社の近くには住めないし、朝7時半に電車に乗って、帰りは18時15分になる。シャワーを浴びてゆっくりディナーを食べて寝たいけど、ワークアウトをする時間もデートをする時間もないし、何かをするエネルギーが残っていない、というような主張を彼女は涙ながらに訴えています。
この主張に対して、賛否両論さまざまな意見が飛び交っているようですが、労働時間というものについて考える良いきっかけになりました。

かつて、労働は権力者にたいする奉仕活動でした。しかし、貢ぎ物や税金という金品が奉仕にとってかわり、それによって偶然、余剰の富が生まれることになります。この余剰の富が資本家に集中し、労働生産性を上げることを目的に再投資されるようになったのが資本主義のはじまりです。
そしておよそ200年前、産業革命により、農業中心の生産活動が工業へとシフトしていき、生産機械への再投資が進み、爆発的に生産性が向上することになります。当時、長く働けばそれだけ生産量がアップしますので、人々は1日14時間以上も働いていたそうです。しかし当然、過酷な労働条件下における健康被害が発生し、労働者の不満は高まります。
1886年、シカゴのメーデーではおよそ35万人が「8時間労働」を要求してストライキに突入、「仕事に8時間、休息に8時間、やりたいことに8時間」をスローガンにして8時間労働が労働者によって勝ち取られます。しかし、8時間労働が人々にとって最適か、という議論はまた別の話です。また、生産性という観点からなのか、人々の幸福にとってという観点からなのか、議論の立脚点によって結論は変わってくるでしょう。ただここで押さえておきたいのは、8時間労働は長い歴史においては通過点かもしれないという可能性です。
別の切り口から労働時間というものを考えると、このコラムでも何度か触れているケインズの主張が思い起こされます。
およそ100年前、ケインズは、20世紀末までにテクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう、と予測しました。21世紀になってもそれが達成されていないのは、皆さんの知るところです。
テクノロジーの観点からすれば、ケインズの予測は実現可能ですが、消費の増大が彼の予測の実現をはばんでいるというのが一般的な説明です。つまり、人類は労働時間をより少なくすることより、おもちゃや娯楽をより多くすることを選択してきてしまった、という事です。しかしそれは、裏を返せば、私たちの消費行動を見つめなおし、大量生産、大量消費社会を脱却することで、週15時間労働も可能かもしれないということ意味しています。
個人的には、まずは週30時間ぐらいを目指していきたいと思っています。
またそれは、8時間の週4勤務なのか、6時間の週5勤務なのか、10時間の週3勤務なのかなどなど、今後、ラーメン雷神の「様々な立場や価値観、考え方を尊重し、時代とともに変わりゆく多様な働き方と、従業員の豊かな生活を模索し続ける」というミッションにのっとって進めていくつもりです。
ただし、所得が減ってしまえば、今の社会で豊かな生活を送るのは難しいかもしれません。それを避けるためには、時間単価を上げることが必須ですが、そのあたりの戦略はまたの機会に。















