『味は4割』、時代の流行と湯気の向こう|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第82回
先日、アメリカの飲食業界に関する記事を読んでいたら、「料理は4割か5割に過ぎない」という、ちょっとセンセーショナルな言葉が目に飛び込んできました。これはニューヨークの人気レストランオーナーの言葉で、「残りの価値は雰囲気とサービスだ」と彼は続けます。察するに、言葉のインパクトがミスリーディングを誘いそうですが、これは料理の手を抜いているという意味ではないと思います。むしろ逆で、「美味しい」を突き詰めた先に、気づけば味は全体の4割だった、というのが実際のところではないかと僕は感じました。
記事によると、レストランの照明や音響に何十万ドルもかける店もあるらしく、メニューより先に帽子やTシャツを作るなんていう話も紹介されていました。よく考えると今の時代、味が「美味しい」だけでは人は動きません。そういった意味で「味は4割」は、リアルな感覚だなと妙に納得してしまいました。
別の言葉で言い換えると、料理以外の体験価値をどう構築するかが問われているのだと思います。
最近トロントでも、ミュージックバーやリスニングバーのような業態が増えてきていて、ただ食べたり飲んだりするだけじゃなく、「その空間にいること」そのものを楽しむ人たちが増えてきています。これはいわばグローバルなスローカルチャー、つまりファストカルチャーの対極にある流れで、Z世代を中心に、デジタル疲れや画面越しのコミュニケーションに限界を感じている人たちの間で、確実に根を張ってきている印象があります。
しかし、こうしたムーブメントを見ていて、ふと頭をよぎるのは90年代の喫茶店への懐古や、さらに時代をさかのぼった60年代のジャズ喫茶や歌声喫茶の流行です。当時も人々は「音」や「場」に魅了され、日常から一歩離れた空間を求めていて、それがカルチャーへと昇華し、時代を反映する流行となりました。
つまりこれは、新しいようで、どこか懐かしいカルチャーのリバイバルとも言えます。流行は30年周期で再燃するという周期にもぴったりとはまっています。
そして、流行には常にリスクがつきまといます。流行れば廃れる、というのが怖いところで、問題は「どんな付加価値を提供するのか」という本質に立ち返る必要がありそうです。誰もがYouTubeで簡単に技術を学べて、ラーメンのレシピさえもネット上に落ちている時代に、どう差別化を図るのか?
ロゴ、 マスコット、インスタ映え、そのすべてを超えて、「また行きたくなる理由」が問われており、デジタルに飲み込まれるのではなく、逆にそれをどう味方につけるのか。そしてデジタルの領域が大きくなるからこそ、どうアナログの価値を発揮するのか。そんな問いが常につきまとう、難しい時代を僕らは生きています。
ちなみに、ミュージックバーやリスニングバーの流行は、音楽好きな僕からしたらウェルカムで、こういう文化の広がりは素直にうれしいです。何なら流行に乗ってスピーカーを新調したい気持ちになっています。だからといって、僕はラーメン屋として、この流れに安易に飛びつくつもりもありません。
この新しい波が、昔ながらの飲食店を駆逐するわけじゃなく、少なくとも、うちはうちで、変わらずスープを炊き続けるし、変わらず湯気の向こうのお客さんと向き合っていくことが、雷神の付加価値なのだと思っています。時代は移り変わっていき、ラーメンもまた変わりゆくものです。しかし、どんな時代でも変わらないのは、「誰かにとっての居場所」であるという飲食店の本質なのかもしれません。