中国での新店オープン、メディアの外側と内側|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第92回
先日、中国の内モンゴル自治区に位置する、北京から飛行機で1時間ほどの省都フフホトという都市で、ラーメン雷神の姉妹店「拉麺吉田屋」がオープンしました。
文化も商習慣もまったく違う、トロントから片道24時間の、内モンゴル自治区という中国の中でも特殊な環境で無事にオープンできたことを、本当にうれしく思います。
ラーメンに対する関心も高く、現地の日本食レストランや居酒屋には必ずといっていいほどメニューにラーメンがあるので、ローカルの方々にもはやく知ってもらって、軌道に乗せられるようがんばります。
ところで、中国でラーメン屋をオープンしたと言うと、必ず聞かれることがあります。
それは、「中国って大丈夫なの?」という一言です。
メディアでは、日中関係の悪化が繰り返し報じられています。政治的な緊張や対立構造が、断片的に切り取られた写真や映像とともに様々な媒体で伝えられ、それに対するコメントは、露骨な憎しみや悪意があればあるほど、イイネがついているように見えます。

そうした情報に触れていると、中国という国がどこか遠く、そして緊張に満ちた場所のように感じてしまうのも当然かもしれません。
しかし実際に現地にいると、そういった印象とはずいぶん違う空気を感じます。町は穏やかで、親切な人もたくさんいて、少なくとも日常の中で政治的な緊迫を感じることはありません。政治は政治として存在するのはたしかですが、同時に、生活は生活として淡々とそこにあります。
もちろんこれは僕個人の限られた体験でしかありません。ただ、メディアを通して見る中国と、実際に目の前にある中国には、小さくない隔たりがあるように感じます。
新聞、テレビ、SNSと、これまでメディアは形を変えながら発展してきましたが、メディアの本質として、人の「注意」を引くことが価値になり、お金になるという構造は変わっていません。
そして、よりたくさんの注意を引くものは、多くの場合、平和や穏やかな日常ではなく、対立や不安、恐怖などの強い負の感情を想起するコンテンツです。
また最近の研究では、従来の新聞やテレビといったメディアに比べ、SNSでは極端な意見がより多くの注意を集める傾向があることもわかっています。
結果として、極端な意見を発信するインセンティブが生まれ、実際にそうした意見が増えていきます。極端な意見が増えたというより、極端な意見ほど報酬があたえられる構造が確立された、と言った方が正確なのかもしれません。
こういったことを考えるとき、未来ある若者や自分の子供たちが、どのような世界を見ていくのかという事を、どうしても考えてしまいます。
ラーメン雷神は、SNSを通じて多くの方々に知ってもらいました。今では、さまざまなプラットフォームを合わせて、50万人以上の方にフォローしていただいています。それは本当にありがたいことではありますが、同時に自分自身もまた、人の注意を引き付けることを前提としたこの構造の内部にいるのだという事実に、複雑な気持ちになります。
もはや、自分のことを棚に置いて、外側からただ石を投げる者にはなれません。
昨年末、オーストラリアでは16歳未満のSNSの利用が禁止される法律が施行され、欧州でも同様の議論が巻き起こっています。これだけSNSの害悪が取りざたされている訳ですから、当然の帰結とも言えるでしょう。
YouTubeもGoogleもインスタも存在しない中国で、そんなことを考えていました。
いま世界を分断しているのは国境ではなく、私たちの手の中にある数インチのスクリーンなのかもしれません。






