TORJA東北復興通信
「復興の森」と「森の学校」の歩み
―「アファンの森財団」大澤 渉氏より
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●第3歩 「心に希望の木を植える」活動(前半)
例えば、人が独りで抱えるには辛い何かを抱えざるを得なかった時、どうやってそれを乗り越えてゆくのだろうか。東日本大震災によって、人に語ることのできない想いを抱えざるを得なかった人々は数えきれない。辛苦は誰にでも訪れる、だから自分の力で乗り越えろ、とは安易だ。辛い記憶を打ち消すだけの瑞々しい出来事を、もし、その後体験することができたなら、その時、人は希望を感じることができるかもしれない。アファンの森財団は、震災が起こった時、皆で知恵を絞ったそうだ。我々にできることは一体何なのか、何かあるのか。そして、見つけた答えのひとつが、「復興の森」と「森の学校づくり」だ。完成までの長い年月の傍ら、またひとつ取組んでいることがある。それは「心に希望の木を植える活動」だ。
2011年8月から東松島市の子ども達を初めて長野県黒姫のアファンの森に招いてから、飯館村や仙台市、塩竈市などからも子ども達を招き、延べ12回になる。28年の歳月をかけて、C.W.ニコル氏の情熱とスタッフの取組みとともに、かつて幽霊森だったアファンの森は、現在の豊かな森に生まれ変わった。その自然に囲まれて、子ども達は生まれて初めての体験をし、次第に心を開き、生き生きと森全体を使って遊び回る。そして、付き添いの大人達は、アファンの森に、「復興の森」の未来の姿を見るのだ。皆の心の中に、希望の種が植えられ、少しずつ芽生えてゆく、そんな「森の力で子ども達の心を癒す」取組みだ。
スタッフは、子ども達はどんな表情でバスから降りてくるだろう、と四季折々のプログラムを準備して、ドキドキしながら子ども達を迎える。遠路長い時間をかけてはるばるやってくる子ども達の心はどんな状態だろう、皆で仲良く遊べるだろうか。子ども達が打ちとけ易いよう、グループ分けは、子ども達が描いた絵を頼りに行われる。子ども達自身が、選び選ばれて作られるグループは、不思議と上手くいくそうだ。また、それらの絵には、子ども達が口には出さない事やその時の心情が表れる。
2011年9月放映のNHKのインタビューに応える海里(みさと)さんは、初めて心の中を語った。夜になると「何だかわからないけど、泣きたくなる」と母親に話していた海里さんは、3日間を森で過ごすうちに表情が変わり、それを口にしなくなった。震災当時、「津波や地震は恐くなかったけど、両親がもしかしたら死んでいるかもしれない」と思った時、恐かったそうだ。幸いに両親は無事だったが、その時の恐怖は海里さんの心から拭えなかったに違いない。頑張った木登りを褒められたり、仲間と歓声を上げたりすることで、恐怖は森のどこかへ消えていったのではないだろうか。(続く)
次回●第3歩「心に希望の木を植える」活動(後半)をお伝えします。
ドキュメンタリー映画「波伝谷に生きる人びと」監督 我妻 和樹氏より
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「被災」とは―? 失われたものと未来のために


「波伝谷(はでんや)」
東日本大震災の前の3年間、宮城県南三陸町の漁村「波伝谷(はでんや)」を撮影し続けた男性がいた。2008年3月から2011年3月11日までの間だ。監督の我妻 和樹氏は、住民が80戸余りしかない小さな漁村に一目惚れした。海と山に囲まれた豊かな自然で、牡蠣やホヤ、ワカメなどの養殖と丘陵地での農業を営み暮らす人々。自然の豊かさと厳しさに寄り添い、日々を懸命に生きる「普通」の人々。カメラは、その姿をありのままに撮り続けていた。そして、3月11日、我妻氏は、映画の試写会の日取りを決めるために波伝谷に向かう。氏もそこで被災した。かつてそこにあった人々の生活と姿は、津波が押し流して行ってしまった。「波伝谷に生きる人びと」は震災前の南三陸を記録した貴重な映画となる。
映像には波伝谷の人々の日々を生きる姿とともに、我妻氏の波伝谷への愛情が溢れている。愛して止まない対象をわずかも撮りもらすことのないよう、カメラを回し続けた結晶がこの作品だ。地域に残る「結い」や「講」といった独特のシステムを悩みつつ継承し、後世へ伝えようとする人々。「部落」という言葉に凝縮される地域の濃い繋がりに存在する「光」と「陰」。この両方の側面を持つ社会で、様々な人々の縁が繋がっているからこそ、人が人として成長することもできる、そして、土地で生きるためには切り離すことのできない、ややこしさに頭を抱えながらも、一方でそこに喜びや生き甲斐を見出しながら生きている人々。「土地とともに生きる」ということが一体どういうことなのか。これが、我妻氏が見つめ続けた3年間のテーマだ。
我妻氏は2014年の夏に、「震災3年を機に、沿岸部全体で被災地の未来について考えたい」との思いから、宮城県沿岸部を中心とした11市町での縦断上映会を開催していた。鑑賞アンケートの感想の中に、「震災後の被災地としてしか知らなかった」というものを散見する。ボランティアで現地入りした人々の感想だ。東北を訪ねる機会がそれまでなく、3.11がきっかけとなり、初めて東北を訪ね、その光景を見た人々は、この映像を通して、他にかえることのできない、かけがえのないものが壊滅してしまったことを知る。
我妻氏は、さらなる上映の機会を得るべく、現在も奔走している。2015年8月1日からの東京での劇場公開を皮切りに、名古屋・大阪・京都・神戸・仙台での公開が決まっている。製作中は目の前の現実と向き合えないこともあったそうだ。しかしその葛藤を乗り越え、「これから長い時間をかけて寄り添っていきたい」と、視線を未来に据え、自分なりの方法で被災と向き合っている。
7月の定点カメラ
@リアスNPOサポートセンター事務局長 川原 康信
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3月11日、大津波が押し寄せ風景が一変しました。流された車の残骸や瓦礫が散乱して足の踏み場もない状況でした。4年3ケ月が経過した今、瓦礫は撤去され新しい建物も建設され街並みはきれいに整備されたように見えます。確かに復興は着実に進んでいる、しかしまだ空き地のままの場所があるのも現実です。
















