“新しい「自分」に出会うと人生は楽しくなる” コンテンポラリーダンサー井上勇一郎さん
「現代舞踊」と訳されるコンテンポラリーダンス。そのダンサーとして活躍してきた井上勇一郎さんが、18年間所属したカンパニー「カナダ・トロント・ダンスシアター(TDT)」を5月に退団した。4月に開かれた最後の公演では、ダンサーとしてではなく初めて振付師として携わった井上さん。振り付けのテーマにした日本文化についてのお話から、バレエ経験をもとにコンテンポラリーの世界に移りTDTで過ごした18年間について、そしてこれからの未来について話を聞いた。最後の公演で初めての挑戦

―カンパニーを退団されたということで、まずはお疲れ様でした。退団を考えたきっかけは何かあったんでしょうか。
一番大きな理由は年齢です。48歳になって、カンパニーの中で私より一回り以上若いダンサーが増えてきましたし、若い人に席を譲るべきではないかという考えを持つようになりました。
それだけではなくて、ディレクターが変わったことでカンパニーのスタイルが変わったんですね。環境が変わると、年を取ったからか適応させるのが難しくなったなというのも感じました。もちろん、他のことに挑戦したい、次のステージに行きたいという思いもありました。
―最後の公演では初めて振り付けに挑戦されたそうですね。
カンパニーのメンバーに振り付けをするのは初めてでした。ディレクターから話をいただいて、即答で「やります!」と答えましたね。作品を作るということは、自分をさらけ出すような感じがします。何も隠せないし、自分の考えや選択、自分の中にある感性がストレートに出てきます。そのことについてはいつも葛藤があったし、創作期間中は自分と向き合って自答自問の毎日でした。
「間」テーマに葛藤しながらの振り付け

―振り付けのテーマはどのように考えたんですか?
タイトルは「KIOKU NO MA(記憶の間)」です。日本には独特の「間(ま)」というものがあると思います。自分の体験から生まれる動きの間、時間の間などがあって、時には空っぽの間の中に残像があることもあるかもしれないし、自分の間と他の人の間が重なることで違った間ができ、その中で自分が心地よいと感じる間ができることもあると思っています。そういうようなことを考えるうちに、実は間には記憶が深く関係していると感じるようになったんですね。記憶によって間が変化する時、体がどう反応するのか探究する中で今回の作品ができあがりました。
―公演の中でところどころ日本語の音声が流れていたのが気になりました。
あれは僕の記憶ですね。15歳まで日本にいてそれからずっと海外に住んでいるわけですが、小さい時のことでうっすら覚えているのが、親戚の家かどこかで私たち子どもが畳の間で寝ていた時にラジオかテレビの音が聞こえてきたことでした。1975年~1980年ごろの古いラジオニュースの音声を使って、そうやって残っている私の記憶を表現したかったんです。
―テーマに合わせて振り付けを考えて、それをダンサーたちに教えるということをされたわけですね。
教えながらも3人のダンサーそれぞれの「間」を大切に、それぞれが自分の間を表現してほしいと思っていました。カンパニーで一緒に働いてきた仲間なので、私のことをよく理解してくれていましたし、私の伝えようとするニュアンスや世界観、体の動きをうまく汲み取ってくれたのでありがたかったです。公演で使った音楽は妻のSarah Shugarmanが作曲してくれて、私の考えつかないようなことをダンサーたちやサラからもらってこの作品ができたと思っています。TDTでの最後にこの作品を作ることができて本当に嬉しかったです。
ドイツで働きたい情熱バレエからコンテンポラリーへ

―そもそもコンテンポラリーダンスの世界に入ったきっかけは?
小さい頃から妹と一緒にバレエをしていたんですね。嫌々続けていたものの、15歳になってバレエの先生から「プロの学校がある海外でやってみたら?」と言われたんです。当時冒険好きだった私は海外に行ってみたいと思って、ドイツのバレエ学校に行くことにしました。
3年ほど学校でバレエを学んで、卒業後はドイツで働きたいという思いが強くなりました。バレエ団のオーディションをいくつか受けましたが、実力が足りないのか身長が足りないのか、どこにも受かりませんでした。日本に戻る選択もあったかもしれませんが、ドイツに残ろうという情熱だけはあったのでバレエ以外のものに挑戦してみようと思ったんです。ネオクラシック(バレエを基にしたコンテンポラリーダンス)などいろいろ考えて、この世界に入ることにしました。
―バレエという違う分野から入ったんですね。
それでも通じるところはあったので、どうにかやれたんだと思います。カンパニーに入ることになって、最初に契約をもらったのが19歳の時でした。そこから8年と3ヶ月ほどドイツの4つのカンパニーで経験を積みました。
―コンテンポラリーダンスとはどういうものだと感じていますか?
難しいですね(笑)。バレエやヒップホップ、ジャズダンス、ブレイクなどカテゴリーに分けられる踊りがある中で、コンテンポラリーというのはジャンルにとらわれることなくいろんな要素を集めて表現できるプラットフォームのような感じだと思っています。コンテンポラリーには取り入れないといけない伝統もないし、いろいろな角度から観察をして自由な表現ができ、その材料を振り付けや作品に取り入れる事ができると思っています。
人との出会いが18年間の思い出

―ドイツの次にカナダに来ることになったわけですが、どういった経緯があったんですか?
カナダナショナルバレエスクールで2年プログラムの教師コースがあり、トロントに住んでいる妹からその情報をもらい、「こっちに来たら?」と誘われたのがきっかけです。28歳の時でした。卒業後、トロントダンスシアターでコンテンポラリーダンサーのオーディションが開かれたんです。受けたら合格して、18年間所属しました。カンパニーのフルタイムダンサーになることで、個人ダンサーよりも自分にフォーカスできる余裕ができたのは良かったです。個人だと助成金をもらって自分で公演の全てを計画しないといけません。でもカンパニーに所属することで、給料もスケジュールも場所も全部もらえるから自分に集中できる環境にいられたのは幸せなことです。
―18年間で一番心に残っていることはなんですか?
いろんな振付師に出会えたことでしょうか。私が考えたこともないような振り付けをする人もいたので、また違う自分に出会えるという感じはとても楽しかったですね。ダンス業界も今は多様性にあふれてきていて、国を超えた繋がりがダンスを通してできたというのも良かったです。
挑戦したい場所で空気を吸ってみる
―これからの未来で挑戦したいことはなんですか?
まずは教えるということにフォーカスしたいと考えています。今もバレエスクールなどで講師をしてはいますが、振り付けなども含めて機会があればもっと多くのことをしてみたいです。日本を含め海外で仕事をしてみたい気持ちもあるし、他のダンサーとコラボしたいという思いもあります。でも最終的には、ダンスを通してもっと自分について知るという「挑戦」をしてみたいように思います。
―挑戦する人へ向けて、井上さんがもし今言葉を贈るとしたらどんな言葉をかけたいですか?
挑戦したい場所に行って、その空気を吸ってみてほしいです。話だけ聞いても、本当のことはわからないものです。インターネットで情報を集めるのは簡単ですが、それよりも大事なのは、自分で行ってみて空気を確かめて、自分がどう思うかを見ることだと思います。その過程の中で、自分には何が足りないのか、何がしたいのかを理解することも必要だと私は思います。あとは情熱です。がむしゃらに「自分」を探して、それが見つかればもっと人生は楽しくなるような気がします。人生はそうやって開けてきますよ。
井上 勇一郎(いのうえ ゆういちろう)
波多野澄子バレエ研究所出身。15歳でドイツ シュツットガルト・ジョンクランコ・バレエスクールに単身留学。19歳から27歳まで4都市でドイツ州立劇場のダンサーとして活躍。2004年からカナダ国立バレエ学校で元プロフェッショナルダンサー用の教師コースで学び卒業。RAD公認教師の資格を取得。2006年から2024年までTDTに所属し、国内外で公演を重ねる。カンパニークラス、カナダ国立バレエ学校、トロントの高校などでゲスト講師。ショートフィルム、世界のコンクールで振付師として活動。2019年には3+ Dance Collective結成。カナダ国内で公演を重ねる。2001年に広島国際コンクールで振付賞を受賞。











