「うどん棒 大阪本店」店主十河隆一郎氏、カナダ・トロントのZEN SANUKI UDONを6年ぶりの再訪
大阪梅田にある手打ち讃岐うどんの店「うどん棒 大阪本店」店主の十河隆一郎氏が、トロント・スカボローにある「ZEN SANUKI UDON」を6年ぶりに再訪した。2004年に大阪で創業して以来、ミシュラン・ビブグルマンや食べログ百名店に選ばれ続ける実力店「うどん棒」。その店主である十河氏が同店を訪れたのは、店舗立ち上げ前の準備段階に遡る。2019年にオープンした「ZEN SANUKI UDON」の立ち上げ当初、まだ店舗が完成していない段階で、十河氏はトロントを訪れ、技術指導やレクチャーを行った。今回の訪問はそれ以来であり、現地で働く弟子・石井氏との再会もあって、店内にはどこか懐かしい空気が流れていた。
十河氏は、香川県で三代続くうどん屋の家に生まれた。祖父は1950年に高松で「川福」を創業し、「ざるうどん」を広めたことで知られる。1981年には父が「うどん棒 高松本店」を開業。そんな環境に育ちながらも、十河氏はすぐに家業を継がず、まずは大阪で和食料理人としての道を歩んだ。だがやがて、「大阪で本格的なうどん屋をやってみたい」という思いから、2004年に現在の大阪店を開業したそうだ。
訪問当日、十河氏はZENグループオーナーの柏原氏を交え、主に自家製麺について技術的・理論的なアドバイスを行った。実際に小麦粉を広げ、水を加え、塩を溶き、手でこね、足で踏み、麺を休ませ、延ばし、切り、茹でる。その一連の流れのすべてを、身体を通して伝えていた。
讃岐うどんは、小麦・塩・水という
たった3つの素材からできている。

「水と塩だけで、麺の性格はガラリと変わるんですよ」座談の中で十河さんがそう語ったとき、厨房にいたスタッフたちの手が一瞬止まった。原料がシンプルなだけに、逆にその“わずかな違い”が味を左右するのが讃岐うどんという料理だ。
特に、うどんづくりにおける水の質は、地域によって大きく差が出るという。だからこそ、香川では昔から“水”に恵まれていることが、讃岐うどん文化の礎でもあると話す。「香川では水がやわらかく、ミネラルのバランスも良い。だからこそ、あのうどんが成立する。」
一方で、塩にも注目する必要があるそうだ。シンプルだからこそ奥が深い。素材と向き合うことでしか生まれない味がある。それは十河さんのうどん作りの根本にある信念でもある。
「Zen」でもそのことを深く理解しているからこそ、開店当初から水への徹底したこだわりを貫いている。専用の装置を導入し、店舗で使用する全ての水を軟水に変換している。これはトロントの一般的な水道水が硬水寄りであるためだ。小麦粉が締まりすぎてしまい、うどん特有の“もちもちとした粘り”や“なめらかな喉越し”が損なわれやすくなる。ZENの麺が、日本と変わらぬ透明感としなやかさを保っているのは、水に対する徹底した配慮の賜物である。
「この硬さなら、この温度では……これくらい寝かせます」そう言いながら、十河隆一郎氏は生地の感触を確かめるように手を動かしていた。そして讃岐うどんの特徴でもある「足踏み」工程。生地をビニールに包み、均等に踏み込んでいく。讃岐うどんは、コシと粘り、のどごしが命だという。実際に仕込みの現場で十河氏の話を聞いていると、その食感を生み出すには、驚くほど多くの判断と調整が必要になることがわかってくる。
トロントでの再会と、広がる価値観

今回のトロント滞在では、多くの店を巡り、現地の飲食文化に直接触れたという。柏原さんは、「海外では日本では簡単でもここではできないことがたくさんできる。食材の制約もあるし客層も違うけどそれを理解しながら工夫していく。現場に立って、お客さんの声を聞いて、食べる様子を見て、初めてわかることがある。メニューの価格や量、サイドメニューやデザートも含めて、現地に合わせて調整する必要があります。カナダのお客さんは、チップ文化もある中で飲食店への期待や温度が日本とは違う。その中で、どうやってうどんを届けるか。どうやって価値を感じてもらうかが問われていると思います」と語る。
今回久しぶりに再会を果たした柏原さんについても、深い共感を覚えたという。「寿司に対する情熱を持っていて、海外で本物の日本食を広めたいという強い想いが伝わってきた。本当に素晴らしいことだと思います。」
出汁、肉、そして土鍋 ― 広がるうどんの可能性

「“肉出汁”もうどんとよく合うんです」そんな一言から始まったのは、スープと出汁の話題だった。十河さんは、現在のうどん事情について、素材の組み合わせ方と味の好みによる変化を語る。「日本でも豚骨スープを使ったうどんがあったりするんです。時には動物系の旨味を加えたスープもいいですよね。」
話題は、うどんの食べ方にも及ぶ。「僕らが子どもの頃は、つけ麺ってなかったんですよね。そばにはあったけど、うどんでは“冷たい麺を温かい出汁で食べる”といういうスタイルはなかった。でも今では、釜揚げや温かいつけ汁スタイルも増えて、定着してきました。」
「鍋焼きうどんも人気でしょうね。土鍋によって粉の旨味が細部まで引き出されてるというか、もちもち感が増す感じですよね」土鍋ならではの熱のまわり方と保温力により、うどんの食感や香りが際立つという。そこにさらに動物系の旨味が合わされば、相乗効果も期待できると語る。
「たとえば動物系のスープに、のりや揚げ物といった海鮮系を組み合わせていく。鶏と魚介の出汁って相性いいんですよね。だから“肉+海鮮”で、より奥行きのある一杯になる可能性は十分あります。」
ZENの柏原さんも話に深く納得しながらうどんを“ヘルシーな選択肢”として捉える層も多いと語る。「ラーメンほど脂っこくなく、罪悪感が少ない。女性や年配の方には、うどんのほうが人気ある。60代、70代でも“やっぱりお肉が食べたい”っていう人、実はけっこう多いんです。なのでコンビネーションが幅広いうどんは奥深いですよね」
健康志向、素材の掛け算、温度帯の演出。現場の座談で交わされた話の中には、うどんという料理の可能性をさらに広げていくためのヒントが、いくつも詰まっていた。
6年ぶりの再訪と、うどんに込める「顔の見える店づくり」への思い

「6年前、声をかけてもらったときは本当にうれしかった。僕も行きたかったし、ようやく再び来ることができてよかった」
実は昨年も訪問を考えていたというが、ちょうど大阪の店で主力スタッフが独立し、人手不足のため見送らざるを得なかった。その独立したスタッフは、現在京都で自身の店を開いている。「同じ屋号でチェーンのように展開していくスタイルには、少し違和感がある」と十河さんは語る。「広げすぎると、店の熱量や空気感が伝わりにくくなってしまう。僕はそれよりも、名前が知られていなくても、オーナーの顔が見えてこだわりがわかるような店が好きです。」

そうした苦い経験もあってか、父親の引退に伴い香川の本店を引き継ぐ際も、当初は迷いがあったという。「でも、子どもの頃から育ってきた場所だから、やっぱり放っておけなかった。やるからには、ちゃんとやろうと思った」と語る。表情は穏やかで、しかし一つ一つの言葉には、現場に立ち続けてきた人間ならではの重みが感じられた。
競争ではなく、支え合いの時代へ
「今はもう、同業者同士がライバル心をむき出しにする時代ではないと思うんです」十河さんはそう話す。横のつながりを大切にしながら、業界全体で食文化を支えていく。それが今の時代に合ったあり方だと感じている。
「今回の旅を通じて、自分自身もたくさん学ばせてもらいました。日本に戻ったら、この経験を讃岐うどん業界や仲間たちに伝えていきたいと思っています」かつては一人で黙々と仕事をしていたという十河さんだが、今では業界の仲間たちや若い人たちに慕われる存在になった。十河さんのまなざしの先には、うどんという料理を超えて、人と人とが支え合う未来の厨房の姿があった。

















