カナダでゲーム屋三昧#011
世界は人のサービスの固まりである
コンテンツづくりにとって、コストの多くは人件費によって占められます。よく人件費は「人月」といって1人が月に働く労働量で換算されます。スタジオジブリの『かぐや姫の物語』は製作期間8年、製作費は50億円、単純に1人月25万円で計算すると2万人月。ちょっと想像しにくい数字ですが、常時200人がいて、それが8年間かけて作った壮大な規模のアニメということになります。ゲームづくりでいえば過去最高額は『Grand Theft Auto5』の265億円、マーケティングコストも入っているとはいえ、250名のチームが5年間かけて作りました。歴史をたどると、創造物の偉大さをたたえる事例は枚挙に暇がなく、例えば、クフ王のピラミッドは、10万人が40年間かけて作られたと言われています。これだと5000万人月、だいたい総製作費で12.5兆円くらいですかね。
映画もゲームも、お金をかけて買っているものであればまだ理解もできます。でも皆さんが無料で視聴して楽しんでいるTVなんかも、実はかなりの製作費がかかってます。NHKの紅白歌合戦は3億円ですし、24時間テレビは40億円かかっています。我々が開発しているのは無料でできるモバイルゲームですが、3年前は3人で3ヵ月かけて1000万円なんて時代もありましたが、最近はiPhoneやら高性能のスマホにあわせて10人で10ヵ月で1億円なんてのもざらです。そうして作った高性能のゲームに10万人ユーザーがいても、結局お金を払ってくれるのは1万人、それでも9千人は1回300円でも払ってくれればよいほうで、結局1000人くらいの毎月1万円使ってくれる人たちでなんとかまかなっているのが正直なところです。
そしてこの仕事、何より一番恐ろしいのが、「人気が出てナンボ」の当たるか死ぬかのチキンレースのような商売特性です。これも逸話だらけですが、150億円かけて開発して1000億円以上の興行収入を得た『アナと雪の女王(Frozen)』なんて、本当にごくわずかな確率であって、この業界の黒歴史あるあるなんて、もう飲み会ネタとして散々語られております。そもそも当たる確率のほうが少ない商売なので…自虐ネタになりますが、バンダイがアップルと共同で作ったピピンアットマークという家庭用ゲーム機は数百億かけて売れたのは4万台強、「世界一売れなかったゲーム機」といった呼称までつけられる始末。スクウェア・エニックスのつくった映画『ファイナルファンタジー』も、157億円かけて開発したものの全米の興行収入は32億円、なんてことはザラにあります。
これはなかなか恐ろしいものです。ゲーム作りは1人月100万円と言われています。50人が常時ゲーム作りに待機していると、毎日250万円が失われているようなものなのです。毎日毎日それぞれが5万円分に見合うパフォーマンスを発揮しているか、1日インフルエンザで全員が休んでしまったらそれでも250万円は失われるのです。そうしたなかで手戻りもあり、1ヵ月皆で進めた作業が丸々無駄だったりすることもあります。それだけで5000万円の損失です。そこまでしながら、売れるかどうかわからない。もしかすると1年かけたのにゼロ、社会的には何も価値を生まないかもしれない。こんな作業、正気の沙汰では出来ません。
当たりはずれの激しい世界で生きるクリエイターたちは、ある意味、視野狭窄にならずにはいられません。100人が関わり、100億円かけたプロジェクトの総責任者は、ともすると、ちょっとしたマネジメントの齟齬によって彼らの1年間分の労力を全て無駄にすることだってあります。でもそんなリアリティに真正面から向かっていたら精神的にもちません。心を殺して、良いものを作るという一点のみに集中し、「当たったら1000億円」なんて夢をみながら日々開発にいそしみます。『100億円以下はゴミ同然』なんて豪語するファンドマネジャーもいます。毎日二桁億円の取引を行いながら、いつか1000億円のファンドマネジメントすることを夢見ます。会社のM&Aだってそうです。やれ1700億円で業界1位の会社を買いましたとか、400億円でサンフランシスコの会社を買いました、なんて、そのお金を積み上げた苦労を知っていたら、とても手が出せません。人が大きい仕事をこなすには、目先専従で感覚を殺し、本当に合理的な判断のみに集中することでしか、大きなプロジェクトを成功になんて導けません。だからこそ、経営者という職業が存在するのです。
こうした業界に身を置いて感じること。それは「この世にあるものは、人間の手で作り出されたサービスの最終形でしかない」ということ。我々は金持ちになればフェラーリでも豪邸でも建てることができます。ジェット機だって所有することは可能です。でもそれは、お金そのものの価値ではなく、それを作る能力を有した人のサービスを受けることに過ぎないのです。フェラーリを作るまでの仕組みを考え、お金を集め、材料から車にするまでの生産を経て、我々の手元に来ているに過ぎないのです。僕がゲームを作れるわけではなく、ゲームルールを考える人、ゲームに絵をつける人、ルールと絵をつなぎあわせてプログラミングでソフトウェアをつくる人、そうした人たちの能力の最終形としてのサービスを受けているだけなのです。
だから自分にしかできないサービスを使命と思って全力を尽くす。我々は他人のスペシャリティの上に、こんな安泰な人生を築けています。だから自分自身、他人の安泰な人生に貢献するために、自分だけが人よりもよりよくできることに人生をかけ、社会に貢献するのです。なんだか説教じみた話で恐縮ですが、開発費に汲々しながらハラハラ過ごすスタジオマネジャーの戯言として聞き流してくださいませ。
中山 淳雄
1980年宇都宮市生まれ。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 はBandai Namco Studios Vancouer. Incに勤務。コンテンツの海外展開を専門に活動している。著書に『ボランティア社会の誕生』(三重大学出版:第四回日本修士論文賞受賞作、2007年)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHPビジネス新書、2012年)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHPビジネス新書、2013年)、他寄稿論文・講演なども行っている。