ケベック店閉店から得た学び – 前編 | 銀杏・木村オーナーシェフのカナダストーリー Vol.19
木村さんがこれまでにトロント以外にもケベックにお店をオープンしていたことは以前お話いただいたが、今回はケベックというトロントとは歴史も文化も違う地域で店を畳んでからどのように負債を返したのか、そしてそこで得た学びを前編・後編に渡って振り返っていただいた。
やりたいという気持ちが止まらなかったケベック進出
ケベックに“Ginko Restaurant Japonais”という規模200席、1階が寿司レストラン、2階が鉄板焼きとパーティールームをオープンさせたのは2005年4月10日のことだった。その4年後の2009年、リーマンショックの煽りを受けて閉店に至った。
木村さんは「ケベックは完全なる失敗でした。自分の力量、持っているモノを見極めてやらないといけなかったです」と当時を振り返る。トロントから800㎞離れた地に一週間に2回往復することもあり、1年間で車の走行距離は16万㎞に達した。
「いま思うと、あの出店は無謀でした。なぜあそこに店を出したのかと今では疑問です。心霊的ですが、もしかしたら亡霊とかに呼ばれたのかもしれないとさえ考えてしまいます。」
ケベックの店に入るとやりたい気持ちが止めどなく溢れ、「ここは自分が建てたんだ」という気持ちが湧いた。しかし、開店前からやることなすことが裏目に出てしまったと少し苦い顔を見せる木村さん。最後に考えたのは「これはここにきて苦労しなさいという事だったのかもしれない」という結論。4年間お店を続けてきたものの、どこかで開き直りが付いたと語った木村さんは「きりのいいところまでやって、もう潰れるか引き返そうか」という決意を固めたという。
自分一人でできることには必ず限界がある
そして2009年の閉店によって抱えることとなった負債については弁護士と相談した結果、Trusteeを通して清算を行うことになった。その額は州政府やペナルティー、更にはテナント料や投資者の方への返済や負債が何十万ドルにも上ったものの3年でこれを完済したという。
「やっぱりお金のことはお金でしか解決できません。昔から言われていますよね」
ケベック進出での最大の学びを伺うと「自分一人でできることの限界は金額的、能力的に必ずあります」と木村さんは真剣な眼差しで応えてくれた。