ケベックという街 | 銀杏・木村オーナーシェフのカナダストーリー Vol.16
2005年4月、トロントの銀杏レストランの第2号店として、ケベックにオープンした“Ginko Restaurant Japonais”。多くの縁に引き寄せられながら、ケベックの地を選んだ木村オーナーだったが、移民の国カナダの大きな特徴の一つとも言える歴史的、そして文化的隔たりが待ち構えていた。
Vol. 16 ケベックという街
すでに閉店されていた店を改装し、新たに寿司バーや鉄板焼きを儲けた“Ginko Restaurant Japonais”。規模200席、1階が寿司レストラン、2階が鉄板焼きとパーティールームを兼ね備えたレストランとしてオープンさせた。ケベック市のシャンゼリゼ通りと言われるグランダレー通りに店を構え、好条件の立地で、集客を見込めるであろうと踏んでいた。しかし、客足は伸び悩んだ。1日10〜20人も入れば良かったと木村さんは話を始めた。
「場所も、内装も、料理も悪くなかった。何故銀杏がケベックで受け入れられないのか、自問する毎日でした。」そう木村さんは苦く語った。「宣伝や商業もいろいろ尽くしたのですが、それでもお客さんはあまり来なかったですね。もちろん夏の間は観光客で賑わいましたが、冬は地元客しかいない。フランス語もできない日本人が何をしているのだ、という感じでした。」
ケベック独自の文化、そして歴史的な背景を理解していなかったことが大きな壁となったのだと、木村さんは見解を述べた。カナダはフランス人が最初に入植をし、その後イギリスやヨーロッパ諸国が入植し開拓を始めた。英仏戦争でフランスが敗れた為に自分達の文化、言語をかたくなに守ってきたのがケベックの街であったのだと。
「ヨーロッパで最初に日本文化、日本食を認めたのがフランスであり、そのフランス系が住んでいるケベックで和食が受け入れられないわけが無いと私は考えていました。英語もフランス語も出来ないよそ者を受け入れるということは彼らにとっては非常に難しいことです。そういうことを知らずに、土足で入ってしまったことが私の一番の間違いだったのではないかと思います。例えば、ファーストリレーション(お客であってもハグをしたりする文化)が分からず、トロントのイメージのまま営業していました。それがわかるのに3年かかりましたね。4年目で改善してきたところに2008年のリーマンショックの波も受けて、閉店に至りました。」
2009年5月、お世話になった方、従業員、近接の店の方々を招待し、最後の晩餐会を盛大に開いた。トロントの老舗レストランの地脈を受け継いだケベックの店は、惜しまれながらも4年間の営業を終えた。