【第12回】サムライブルーを追いかけてー北中米W杯を、カナダから見る|文=海上誠|スポーツは武器になる|J Athletics Canada

文:海上誠| J Athletics Canada
2026年、史上初の3カ国共催となる北中米W杯が開幕する。現地の熱狂、チケット問題、日本代表強化の舞台裏、そしてカタールで体感したW杯の空気感まで。カナダ在住の視点から、日本代表とW杯文化を追う。
北中米のワールドカップの試み
2026年W杯は、カナダ、米国、メキシコによる史上初の3カ国共催大会であり、48チーム制へ拡張された最初の大会である(従来は32チーム制)。試合数は104試合に増加し、開催都市は16都市に及ぶ。
日本代表の予選開催地はダラスが2試合、モンテレイが1試合。キャンプ地は米国・ナッシュビルとなっている。
3位でも通過できる国は8カ国
今大会は、12組×4チームによるグループステージで行われる。各組上位2チームに加え、各組3位のうち成績上位8チームも決勝トーナメント(ラウンド32)へ進出できる方式である。
つまり、初戦で敗れても即終了ではない大会設計となっている。ただし、過去データを見ると、初戦を落としながらノックアウトステージ進出を果たした国は、現行フォーマットではわずか11%にとどまる。
「まだ終わらない」一方で、やはり初戦の重要性は極めて大きい大会である。
カナダで行われる試合数
カナダ国内では合計13試合が開催される。内訳は、トロントが6試合、バンクーバーが7試合。トロントではカナダ代表の開幕戦を含む6試合が行われる予定である。
カナダ在住者にとっては、比較的観戦しやすい時間帯の試合も多い。一方で、キックオフ時間は対戦カード決定後に各国向けの視聴環境も考慮して割り当てられている点が特徴だ。
そのため、開催地がカナダであっても、対戦国本国のゴールデンタイムに合わせたスケジュールとなる場合がある。トロントで観戦する場合、日本代表の第2戦は深夜0時キックオフ予定となっている。
BMOフィールドの賛否
トロント会場となるBMOフィールドは、大会期間中『Toronto Stadium』へと名称変更される。
他都市では、北米を代表する巨大NFLスタジアムが使用され、6万〜8万人規模を収容できる会場も多い。一方、BMOフィールドは約4万人収容のコンパクトなスタジアムであり、W杯開催スタジアムとしては史上最小規模の収容人数として知られている。
大会に向けては、約1億5800万カナダドル規模の改修工事と仮設席の増設が進められており、現在はその最終段階にある。
ただ、この増設された仮設席を巡っては賛否も起きている。特に外観から見える急勾配のスタンドに対しては、「怖そう」「安全性は大丈夫なのか」「本当に見やすいのか」といった声も少なくない。
一方、実地テストとして、TFCレジェンド対ロナウジーニョ・フレンズの試合や、Lionel Messi率いるInter Miami CFとの試合も開催されている。
ファンフェスティバル@Fort York
ワールドカップ開催期間中は、どの開催国・都市でも、スタジアムに行けないファンに向けた大型イベントが展開される。
トロント市では、Fan Festivalの中心会場としてFort YorkおよびThe Bentway周辺が予定されている。試合のライブビューイングだけでなく、食、音楽、アートなど、トロントらしいカルチャーの上にサッカー体験を重ねる設計となっているのが特徴だ。
ただし、こちらも日程ごとに入場チケットが必要とされている。スタジアム観戦チケットがなくても、この街全体でW杯の熱狂を体感できる場所が用意される点は大きい。
筆者自身もカタール大会でFan Festを訪れたが、その熱気はスタジアムに匹敵するものだった。各国サポーターが集まり、音楽やイベント、文化体験を楽しむ空間には、まさに「世界最大級の祭典」の空気が流れていた。
未知の国だったカタールで、ワールドカップが持つ圧倒的な力と、開催国の国力や国家ブランディングを肌で感じたことは、今でも強く印象に残っている。
チケット高騰に、ちょっと待った
すでにBMOフィールドで開催される初戦チケットは完売している。一方で、FIFAによる段階的なチケット放出に対し、一部サッカーファンからは「サッカー文化への冒涜だ」といった批判の声も上がっている。
実際、家族で観戦に行こうとすれば、チケット代に加え、航空券、宿泊費なども重なり、総額は非常に高額になりやすい。世界中の子どもたちが夢を見る舞台だからこそ、「一部の富裕層だけのイベント」にはなってほしくないと感じる人も少なくないだろう。
そんな中、トロント開催には一つ朗報もある。オンタリオ州の法改正に合わせ、トロント会場のチケットについては、FIFA公式マーケットプレイス上で、額面を超える価格での転売ができない「Face Value Only」の運用が導入される予定となっている。
本当に行きたい人へチケットを届けるためのルール設計が進められていることは、ホスト都市として大きな意味を持つ一歩である。
私と日本代表との接点
指導者である私にとって、日本代表は「時代を映す鏡」のような存在である。
海外でサッカーウェアを着ていると、「ナカムラ!」「シンジ・カガワ!」「ミトマ!」と声を掛けられることがある。1998 FIFA World Cupでの初出場から四半世紀。今や日本代表は、世界から「強豪国の一つ」として認識され始めている。
その躍進の裏側には、日本代表、そしてJapan Football Associationの、恐ろしいほど徹底された「準備」があると感じている。
ありがたいことに、日本代表の現強化部スタッフである伴さんとお話しさせていただく機会があった。トロント開催の可能性を見据え、気候、治安、文化交流、移動環境などについて、現地で協力してほしいという相談を受けた時の高揚感は、今でも忘れられない。
その後、組み合わせの関係で、日本代表がトロントで試合を行わないことが判明した時の落胆も大きかった。
だからこそ今は、その熱量を、日本代表パブリックビューイングの盛り上げに全力で注ぎ込みたいと思っている。
レジェンドが入閣
初めて人のプレーを録画し、何度も見返した選手がいる。
桐光学園時代、高校選手権で見せた左足から繰り出されるクリエイティブなプレーは、多くの人の憧れであり、時代を変えた選手の一人だった。
中村俊輔さんが現役を退き、現在日本代表コーチとして入閣したことは、我々世代のサッカーファンの期待をさらに高めてくれる出来事である。
カタールに行った時
実は前回大会の開催地・カタールで、日本代表の最後の試合を現地観戦した。
大会期間中は特別なビザシステムが導入されており、出発までに許可が下りず、本来乗るはずだった飛行機に搭乗できなかった。一度帰宅したものの、その直後にビザ許可が下りるという展開。すると妻から、「一生に一回行けるかどうかなんだから、今からでも飛行機があるなら行けば」と背中を押され、再び空港へ全力で戻ることになった。
車中で急いで航空券を確保し、なんとかチェックインカウンターへ到着。しかし職員からは「もう遅いよ。ただし、スーツケースを置いていくなら何とかしてあげる」と言われる始末。女神なのか悪魔なのか分からない対応だったが、急遽IKEAの青バッグに荷物を詰め替え、ぎりぎりで搭乗に成功した。
結果的に、それが功を奏した。預け荷物の受け取り時間を省略できたことで、私は日本対クロアチア戦の前半25分、スタジアムへ滑り込むことができた。そして、前田選手のゴールを生で目撃した。
いわゆる「持っている」瞬間だったと思う。
その後の展開は、サッカーファンなら誰もが知る通りである。そして、あれから4年。今の日本代表がある。
ちなみに妻からは、今でも「家族を置いて、よく一人で行ったね」と言われ続けている。
開催国となれば今でも思い出すのは、2002年の日韓ワールドカップ
開催国となれば今でも思い出すのは、2002 FIFA World Cup。
街が渋谷が青く染まり、Nipponコールが鳴り響き、日本がW杯というイベントを通して盛り上がったことを思い出せる人は同年代だろう。
当時の総理だった小泉純一郎氏がロッカールームまで応援に駆けつける様子も印象的だった。海上少年だった私を「スポーツ」の道に引き込んだのも、これが原体験である。
特にカタールで感じたのは、「W杯は試合だけじゃない」ということ。
スタジアムへ向かう道、国旗、知らない人同士のハイタッチ。街全体が一つの舞台になる。
日中は40度を超す気温、人々が夕方から活動的になること、開催中は学校が休みになったこと、カレンダー感覚が全く違うこと(日曜は普通の日)など、日本では当たり前と思っていた感覚が次々と覆された。
さらに、カタール政府が砂漠の国で20年をかけてW杯を誘致してきた歴史も知った。知らなかった国を知れること、それもW杯の魅力の一つだと思う。
街を挙げて、国を挙げて、何百万人、何千万という人が一瞬で盛り上がる。その熱狂こそ、スポーツの持つ力なのかもしれない。
日本代表のユニフォームの話なぜ青なのか

では、なぜ日本代表は「青」なのか。なぜ赤を基調としたユニフォームではないのか。これには諸説ある。
かつて日本代表は、大学主体で代表チームを構成していた時代があった。その際、中心となっていた大学のチームカラーが青だったことから、それが代表カラーの基調になったとも言われている。
一方で、国旗カラーに合わせる形で、赤を基調としたユニフォームを着用していた時代も存在した。しかし、その時期に成績不振が続いたこともあり、再び青へ回帰していった。
そうした流れを経て、現在の「サムライブルー」というイメージが定着していったとされている。
キリンとサッカー協会との関係

キリンチャレンジカップや「勝ちT」など、日本代表を絡めたマーケティング施策は、多くのファンや消費者の心をくすぐってきた存在である。
その関係は1978年まで遡る。当時の日本サッカー界は「冬の時代」とも呼ばれ、実業団ベースの日本サッカーリーグが存在するのみで、財政的にも厳しい状況にあったと言われている。
キリンホールディングス代表取締役副社長の西村氏は、当時について「高い志があってスポンサーになったわけではない」と振り返る。
「原宿の山手線を挟んで向かい側にキリンとサッカー協会の事務所があった。〝線路を渡ったご縁〟から始まった」
そんな偶然のようなつながりが、今なお続いているという話は興味深い。
その後、日本サッカー協会は、日本代表強化、Jリーグ発足、若手育成など、多岐にわたる取り組みを進め、日本サッカー界全体の成長を支えてきた。
一方で、キリンホールディングス側も、時代に合わせながら企業としての立ち位置や支援の形を調整し、長期的な関係を築き続けている。
キリンでは、こうした活動を「Social Good」と位置付けている。スポーツが持つ社会的意義を丁寧に捉え、一体感、高揚感、地域振興などへつなげていく取り組みであり、日本サッカー文化を支えてきた存在の一つであることは間違いない。
日本代表の選考基準

全方位に感謝を伝える森保一監督の姿勢は印象的だった。選ぶこと以上に、「選べなかった選手がいる」という苦悩を率直に語る姿こそが、ここまでの「森保ジャパン」を作り上げてきた要因の一つかもしれない。
多くのファンが期待していた三笘薫選手は、発表5日前の試合で負傷した影響もあり、今回の選出とはならなかった。
第2期森保ジャパンで代表招集を受けた選手は86名。その中から、本大会を戦う26名が選ばれた。
この時期になると、監督の好み、協会との軋轢、不祥事、大会直前の負傷など、各国代表の選考を巡るドラマもワールドカップの一部になっていく。
そうした「大会前の空気感」も含めて楽しめるようになると、W杯はさらに面白くなる。
なぜ強くなったのか日本代表スタッフの裏側

かつては強豪国相手の勝利が「奇跡」と表現されることも多かった。しかし近年の躍進は、それが決して偶然ではないことを証明している。
年々、欧州ビッグクラブへ移籍する選手も増えているが、注目すべきは代表強化の裏側にある取り組みだ。
静岡テレビで放送された、山本昌邦ディレクターへの取材内容を抜粋すると、日本代表強化には次のような要素がある。
- 強化試合実現のためのマッチメイク
- 世界各国のサッカー協会とつながる体制づくり
- 「選ばれる側」としての関係構築
- 選手、対戦国の徹底したスカウティング
- 「1秒先に前へ出る」ための情報収集
- それを現場トレーニングへ落とし込むまでのプロセス
さらに、大会期間中はグループステージだけでなく、その後ノックアウトステージへ進出した場合を想定し、対戦候補国の分析担当チームが、抽選直後からスカウティングを開始しているという。
例えば、当時のグループFは、オランダ8位、日本18位、スウェーデン38位、チュニジア44位というFIFAランキング構成だった。
特に印象的なのは、山本昌邦氏の言葉選びの丁寧さである。
日本サッカー協会が、本気で世界の頂点を目指していること。その思想と準備の積み重ねが伝わってくる内容であり、日本代表の「裏側」に興味がある人には非常に興味深い取材だった。
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今回のGo Team Japanイベントを陰ながら支えてくださっている、カナダそして海外にいるJACファミリー、JCCCボランティアの皆様、在トロント日本国総領事館、トロント商工会、トロント都道府県人会連合会、三井物産、Sleeman Breweries、Sharp Corporation、Fasken、伊藤園、NX Canada、Pasona、UNIQLO、Japan Society、Showflex、ROOK留学エージェントの皆様に、この場を借りて深く御礼申し上げます。

J Athletics Canada
「スポーツは武器になる」をモットーに、トロントを拠点にスポーツの教育的価値を大切にしながら、多世代・多国籍が交流できる日本語スポーツコミュニティー。スポーツを通じた人づくり・地域づくりを目指し、子どもからシニアまでがレベルに応じてスポーツを楽しめる場づくりを展開中。





