銀杏・木村オーナーシェフのカナダストーリー Vol.7 Ginko Japanese Restaurantとソロオーナーの軌跡
パートナーと共に始めた『笹屋』は毎日嬉しい悲鳴をあげ、レストラン事業の苦楽を乗り越えながら、木村さんは少しずつそのやりがいを見出していった。『笹屋』オープンから約5年を経て、木村さんはもう一つの決意を新たに胸に秘め出した。銀杏の英語名、Ginkgo Treeから由来を経ているGinko Japanese Restaurant、今回からそのオープンに至った経緯や当時の様子を紹介していきたいと思う。
Vol. 7 Ginko Japanese Restaurantとソロオーナーの軌跡
『笹屋』をオープンして数年経た1982年、レストラン事業が自分に合っていることを見出した木村さんは、他の場所で店を作ることを構想に描いた。しかし、ここで最初の壁に当たった。パートナーと意見の相違が生まれたのだ。
「当時はまだ庭師をして、剣道もしながらだったので、とても忙しかったのですが、ぜひとも自分の店を持ちたかったのです。けれど、パートナーと希望が合わなかった。そこでソロオーナーとして始めたいと計画したのです。」と木村さんは当時の心境を語ってくれた。
当時ダウンタウンに数件すでに日本食レストランは存在していた。しかし、木村さんの視点は郊外に向かった。その理由は、ミシサガやブランプトンに近く、車で簡単に行ける場所があれば良いのではないか、そう考えたからだそうだ。その条件に当てはまったのはCambridge Mother Hotel (現Holiday Inn) だったのだという。
「そのホテルだと、外からもハイウェイからも見えるし、CIBCの跡地もあったのです。もともと銀行だったものがGinkoになって良いのではないかとね。」と木村さんは笑いながら話してくれた。
ミシサガは特に日本企業が多く集まる所であり、日本からの出向社員が日本食に飢えていることを知っていた木村さんならではの発想だろう。他にも空港にも近いという利点もあり、駐在員や旅行者が気軽に日本食を食べられる場所にしたかったのだと、柔らかな表情で語った。
そうしていよいよオープンに至った木村さんの初めて個人店Ginko Japanese Restaurant。その当時の心境を木村さんはこう語ってくれた。
「その当時は笹屋もやって、庭師もやって、剣道道場を始めて、本当に忙しくて、家にも帰っていない状況でした。それでも自分の店がようやく持てることにとても興奮していました。たくさんの人に恵まれて、とても良いスタートをきることができたと思います。」
構想2年を経て、30年以上の歴史を刻むGinkoの始まりだ。次回はその当時の内装や料理のこだわりについて焦点を当てる。