「仕事は青春だった」トロント・ブルージェイズ・菊池雄星選手の妻で元アナウンサー深津瑠美さん(前編)|Hiroの部屋
メジャーリーガーである菊池雄星投手と結婚し、アメリカを経て昨年からはカナダのトロントで生活している深津瑠美さん。メジャーリーガーの妻として、そして一児の母として多忙な日々を過ごされているが、日本ではニュースやスポーツ番組のアナウンサーとして輝かしいキャリアを掴んできた。
夢を抱いてから実現するまで、一体どんな道のりを歩んできたのだろうか。
ヒロ: 瑠美さんとお話しさせていただく際、いつも申し上げるのですが本当に「才色兼備」&「良妻賢母」という言葉がお似合いです。ご職業は元アナウンサーですが、いつからその夢をお持ちだったのですか?
深津: 高校生の時です。幼少期は教育番組の「うたのおねえさん」に憧れていたので、小学1年生のときに人生初のオーディションを受けてNHKの児童合唱団員に所属、教育番組に出演するなどしていました。学校の放課後は毎日のようにテレビ局に通っていました。
アナウンサーになりたいと具体的に思ったのは、ある方との出会いです。実は実家の近所にイチローさんの取材を長年担当していた記者の方が住んでいて、その方の奥様がアナウンサーでした。当時高校生だった私は進路について考えていたときに、「見学にいらっしゃい」という奥様のお言葉に甘えて初めて早朝の生放送の現場へ同行し、見学させていただきました。報道番組の現場を見て「かっこいい」と、とても感動したことを覚えています。
ヒロ:そんなお方が近所に住んでいたのも凄い環境ですね
深津:アナウンサーという、人に何かを言葉で伝えて番組を円滑に進行するという裏側を見せてもらってとても興味を持ちました。テレビに映っていないところでもゲストやスタッフに気配りする姿も見て、なんてすばらしい職業だろうと感銘を受けましたね。そこから目指してみたいと思うようになりました。
でも私の性格はシャイで人見知り。まず人前で話すことに慣れるためにも、高校で選挙管理委員長に挑戦してみました。
大学進学後の1年生の時には大学側から大学のPRをしないかというお話をいただき、そこでも人前に立つ機会をいただきました。
その後ADとして報道番組に携わる中で様々なアナウンサーとの出会いがあり、自分がなりたいアナウンサー像、女性像が明確になりました。スタッフからも愛され、一緒に番組作りを楽しめるようなアナウンサーになりたいと思ったのはその頃です。
アナウンサーは狭き門と言われていましたので、途中で心が折れそうになったこともありましたが、同時に、アナウンサー試験を共に乗り越えた友人たちとの絆が深まりました。アナウンサー、タレントとして日本や海外で活躍している仲間たちとの交流は今でもとても大切にしています。
ヒロ:凄いですよ、本当に。幼少時から確固たる夢があり、そして実際に学ぶためにテレビ局で働く、常に目標に前進し続ける。さすが瑠美さんとしか言えません。
深津:のちにフリーに転向しましたが、とにかくニュースを伝えられるアナウンサーを目指していました。あるとき事務所からNHKのスポーツ番組のオーディションを受けてみないかという話があり、私はそれまで報道番組に携わってきたため自信がなかったのですが「合格」と聞いたときは飛び上がるほどに嬉しかったです。新たなキャリアが始まるという高揚感がありました。
それと同時に知らない世界に飛び込むから大変だなとも感じていて、勉強のためにバッティングセンターでバットを振ることから始めました。小さなところから体験することが大事だというのは、ニュースの現場から学んだことでした。
ヒロ: 今までとは違う新しいキャリアの幕開けだったのですね。
深津:アナウンサー時代は毎日が充実していて刺激的でした。スポーツ番組の生放送を担当していたので体力勝負の毎日でしたが、それでもマネージャーには休みがいらないと伝えていたほど仕事が大好きでした。当時海外スポーツが大好きだという明石家さんまさんが番組をご覧になっていたことがきっかけで、そこからバラエティへの露出が増えました。とても感謝しています。新しいことに挑戦しようという原動力、エネルギーは日々仕事を通じて得ていたので、まさに仕事が青春でしたね。
ヒロ:結婚を機に仕事から一旦離れられた後に先日、古巣の番組に復帰されていましたよね。久しぶりの現場に、何か特別な感情とか湧き上がりましたか?
深津:最初に思ったのは、野球で言うところのブルペンが必要、つまり肩慣らしが必要だということです(笑)。生放送の感覚は現場を続けていないと鈍くなってしまうという不安がありました。でも不思議なもので、カメラの前に立つとスイッチが入る感覚がありました。もちろんスタッフのみなさんは私が話しやすい雰囲気をつくってくださったんだと思います。「戻ってきたんだな」と感じましたし、やっぱりテレビって楽しいなと思いました。
ヒロ:とても素敵ですよね。本当に、良い意味で前例もないじゃないですか。
深津:もともとメジャーリーグを担当していたので、いつか現地から生の声を届けられたらいいなというのは以前から思っていたことでした。今回はシーズン中だし時差もあるから難しいかなと思っていましたが、夫から「絶対やったほうがいいよ!」と後押しももらって、とてもありがたかったです。
挑戦してみる勇気が大事
ヒロ:トロントには就職・転職・キャリアアップを目指す留学生や新移民の方もたくさんいらっしゃいます。瑠美さんが考える就活のポイントはどのようなことでしょうか?
深津:就職は人生のターニングポイントの1つになりますよね。何をしたいのか、自分は何が好きなのかを考えるタイミングだと思うので、私は紙に書き出していました。やりたいことやゴールが決まると逆算して考えるようにするのも良いかもしれません。逆算することによって、何が必要なかが明確になりますよね。だから就職活動は自分が好きなこと、やりたいこと、なりたい大人像を考える大事なタイミングだと思うんです。ヒロさんは?
ヒロ:僕は、幸運にも幼少時から美容師になりたかったので、高校卒業時に同級生から「ヒロは自分のやりたいことがあっていいよね」と言われたことがすごく印象的でした。瑠美さんも幼少期から自分のやりたいことがあり、更にいろんな経験をされた上で、最終的にアナウンサーの夢を見つけられた。夢を持つことに「遅い」はないし、とにかく行動するのが良いかもしれませんね。そうすると自分の好みや、適正に気付き、より具体的な夢のイメージを持てると思います。
深津:体験してみるというのはいいかもしれないですね。あともう1つ、夢は大きい方がいいと思うのです。叶えられないかもしれない夢の方が、取るべきステップが大きくて、たくさんやらないといけないことがあるから、結果として成長できるしゴールを達成した時の達成感も大きいはずです。人生は一度きりだから、「できないよ」という消極的な声には耳を傾けずに一度挑戦してみる。その勇気が大事なのかなと思います。
(聞き手・文章構成TORJA編集部)
深津瑠美さん(Fukatsu Rumi)
地方テレビ局にアナウンサーとして入局後、2010年よりフリーへ転向。主にニュース番組を担当し、バラエティやラジオでも活躍。NHKの生放送番組「ワールドスポーツMLB」では月曜~金曜までメインのスポーツキャスターを担当した。2016年に菊池雄星投手と結婚。菊池選手のメジャー挑戦に伴い2019年からアメリカ・シアトルへ拠点を移し、同年現地で長男を出産。2022年よりトロント在住。1986年生まれ。
Hiroさん
名古屋出身。日本国内のサロン数店舗を経て渡加。NYの有名サロンやVidal Sassoonの就職チャンスを断り、世界中に展開するサロンTONI&GUY(トロント店)へ就職。ワーホリ時代から著名人の担当や撮影等も経験し、一躍トップスタイリストへ。その後、日本帰国や中米滞在を経て、再びトロントのTONI&GUYへ復帰し、北米TOP10も受賞。2011年にsalon bespokeをオープン。今もサロン勤務を中心に、著名人のヘア担当やセミナー講師としても活躍中。世界的ファッション誌“ELLE(カナダ版)”にも取材された。salon bespoke
130 Cumberland St 2F647-346-8468 / salonbespoke.ca
Instagram: HAYASHI.HIRO
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