マダム|頑張りましょうその日まで|時代をこえたチャレンジ:子供の言語教育石原牧子ー
毎週土曜日に娘が通ったヘリテージ・ランゲージ・スクールは日本企業関係の子弟等が通う補習校とは違い、年齢別に学年を決めたものではなく、子供の日本語脳力に応じてクラス分けされていたようだ。娘は年齢相応の学年に入学したが、学年が進むと中途から年長の生徒が入ってきた。娘が小学5年になったある日、日本語学校に行きたくないと言い出した。その理由を聞くと怖くて何のために一生懸命宿題をして学校に行っているのかわからないという。怖い?何が?体格のいい同じクラスの男子生徒に虐められるというのだ。年齢も三歳上なので、いつもビクビクしているという。鉛筆を取られたり、消しゴムをちぎってなげ捨てられたり、体の小さい友達がゴミ箱に入れられたり……信じられない話だった。当時の校長先生にそのことをお伝えしたが、残念ながら改善は見られなかった。さて、このまま娘を6年生まで頑張れと言って行かせるのがいいことなのか、悪いことなのかー宿題とイジメが混同するクラスで。
悩んだのはこのまま行かせて娘が学校嫌い、日本語嫌い、勉強や宿題をやらなくなったりするのではないか、ということ。娘の気持ちを考えるとこのクラス環境に通わせるのは精神的にいい影響を及ぼすとは考えられず、無理に行かせるのは親として無責任とも思えた。考えた末私が出した結論はこうだった。やめるなら、まず①日記を毎日書くこと(3行でも1ページでもいい)、②日本語の本、何でも好きなものを選んで声を出して私に読むこと、③漢字の百字帳を書くこと、④日本語の問題集(市販か私の自作)を解くこと。この提案に娘は万歳して喜び、家で勉強することを約束し、退学した。
東京の母が小学館の「小学○年生」の雑誌を送ってくれることもあった。付録を一緒に組み立てたり、カラー刷りのお話や不思議な科学の仕組みを学んだり、親子の会話の内容も深まっていった。幼児の娘を連れて日本に行った際、数年後のためにと私が買い込んできた教材が役に立つ日がきた。カナダで家族旅行する時も必ず学習材料は持ち込み、暇を見て学習時間をとらせた。嫌な時もあったと思うがよく頑張ってくれたと感心している。
さて毎日通う地元の小学校ではフレンチイマージョンがスタートしていた。娘に言わせると一年生の最初の授業はとても怖かったと言う。背の高いメガネをかけたマダム(女の先生)が聞いたこともない言語で喋り始めたからだ。一つのクラスでイマージョンに入っている生徒(FR)と普通の英語授業の生徒(EN)が二つに分かれ、授業を受ける。(FR)組はすべての教科がフランス語なので戸惑わないほうが不思議だ。当時の娘から苦情はなかったが内心不安の毎日だったに違いない。しかし、昔を振り返って彼女曰く、「子犬をプールに放り投げればショックでもがくけど、そのあとは自力で泳ぎ始める」とけろり。私も娘のフランス語の宿題を手伝った記憶はほんの少ししかない。日本語と英語の全く違う音声を聞き分け、発声し分けすることが年少の時にできていれば次の言語もそれほど苦になるものではないのかもしれない。まして学校という毎日行く環境の中で使われる言語なので、幼稚園で日本語が消えそうなくらい英語を喋り始めた時のことを考えればフランス語の習得も理屈は同じはずだ。
小学校は担任が全教科教えるが、娘のクラス担当は二人の教師がいた。一人のマダムはケベック出身、もう一人のマダムはフランスの大学を出たエジプト人で7ヶ国語を話す凄腕教師。二人ともとても思いやりがあり、優しく、娘の学習帳のコメントを見ても教師としての愛に溢れていた。娘もとても二人の先生を尊敬してよく学び、6年間通い通した。娘のクリエイテイブな面もこの小学校で開花したような気がする。彼女が表情豊かな10人の女性を一枚の紙に描いた鉛筆画は今でも書斎に飾ってある。






