「気ままにインド大陸を歩いて横断したこと」Shuichiさん カナダ歴:4年半|私のターニングポイント第31回
カナダ歴:4年半
職業:金継ぎ師・Kintsugica
海外放浪の後、営業戦略コンサルティングを経て画廊勤務の経歴をもつShuichiさん。それらのキャリアを活かして伝統工芸界に貢献したく、まずは海外マーケットを作る事が重要だと感じて英語を学びにトロントへ来たという。コロナ禍の中で18年ほど前に始めた金継ぎのお直し受注・教室から始めた折、カナダで唯一の金継ぎ師且つ講師となり、仕事が殺到することに。現在は、北米・西欧中の割れた器をお直しする傍ら生徒さんに金継ぎを教え、本物の金継ぎと伝統工芸、日本独自の哲学やマインドセットを伝えるために講演などを行っている。
半生の大半がサバイバル。
身ひとつでどこまで生き延びられるかという挑戦と確認を、国内外で強迫観念的に繰り返していた
元々歩くことが好きで、人のいない雪山に引きこもるのが趣味でした。夏に歩荷(重りを背負って山を歩く訓練)や荷揚げ(壁材や軽量鉄骨を主に階段で運ぶ建設現場の仕事)で身体を作り、冬はテントやピッケルを担いで雪の山脈へ向かい、ひとりで7~10日ほど歩くのです。他にも「この状況でもひとりで稼げた、ひとりで生還した、だから今まで起こったことは取るに足らないことで、今なら対処できるから大丈夫」、という理屈で様々な無茶を行っていました。
しかし、人生はひとりで完結する訳ではなく、人間社会の中で調和を持って生きなければなりません。そこで、己のことで精一杯だった自分を、社会的人間に寄せていく必要がありました。まずは、取り繕ってではなく、本心から人に慣れなければいけません。
そこでインドを歩くことを選んだのですが、これは雪山引きこもりにしてはだいぶ極端な発想だったと思います。下手に文化が近いより、大きく離れていて、且つ様々な価値観が入り混じっている方が良い刺激を受けられそうだと思ったのですが、今考えるとほぼショック療法でした。
裸足で、時計やカメラや電子機器を持たず、お金を持たず、様々なカーストに混じって仕事をし、地面で寝、樹上で寝、小さな村々を見てまわった
インドではデリーからコルカタへ東進し、途中のビハール州では仏跡を辿って南北へ歩きましたが、この旅は自分の内で様々に抱え込んでいたものを整理し、自身を自由にする確実な転換点になったように思います。
何にも縛られず気のゆくままに歩く経験は、社会生活をしっかり営み始める前に得ていて良かったことのひとつです。日にちも時間もどのルートで進むべきかも知らなくて良いですし、夜はインドで多くの人がそうするように路上や開放された寺院で眠ればいいので、宿の心配もありません。日の昇る方へ進めば大体東で、進む道が遠回りだったとしても、急ぎの旅でなし。現代社会では中々味わえない感覚です。
インドは何もかもが強烈で開けっ広げですが、道端で会う人々は信仰心が深く、辛抱強く、温かい心を持っていて、自分の度量の小ささに恥じ入ったものです。
何も持たない旅人として人々と接すると、否が応でも普段目を背けてきた自分の醜い所が露わになります。
ある時、一人用テントほどのサイズに積み上げた土のブロックの家に住んでいる方に声を掛けられました。「旅の人、お腹が空いているでしょう。ここで食事をして行きなさい」その方は所有品も殆どなく、その食事を私に差し出したら次いつ食べられるかも分からないであろうほど困窮した様子でした。私はショックを受け、自問しました。「私は貧しい時に、この人のように誰かに施しが出来たことがあっただろうか?この先、同じような事が出来るだろうか?」
実は、その方だけでなく、多くの貧しいインド人が見返りを求めずに助けようとしてくれました。私は道中一人でサバイバルできる用意はあったのですが、何度も、人々の心に深く頭を下げたものです。この度重なる経験は、彼らほどではありませんが、今現在自分の利益のためではなく伝統工芸の未来のために貯金と自分の時間を費やしている所に繋がっているような気がします。
また、インドにはお釈迦様が悟りを開く際に行っていた瞑想法を実践する人々があり、そこに混じって1ヶ月半ほど、1日12時間の瞑想を行っていました。瞑想を行うと雑念がなくなるのかと聞かれることがありますが、私の場合はむしろ雑念がクリアになって一層その雑念に邁進する人間になりました。振り切れたというか、開き直ったというのがいいのでしょうか。より等身大に生きるようになる第一歩でした。
現在、プライベートでは道楽者として生きているのですが、それにはこの瞑想経験が大きく関わっているように思います。恐らくその瞑想法が目指している所ではないと思いますが、そのお陰で、自然と文化とアートと実用性の要素が絶妙なバランスで詰まっている日本の伝統工芸という所に焦点が当たったように思います。
■ いまの自分に点数をつけるとしたら?
1点
1点満点中1点です。存在しているだけでえらい!
■ 子ども時代
メディアにほぼ触れずに育ったので、世間の常識や、リアクションのお約束や、有名人や、流行歌などに疎い所がありました。興味のない事に興味関心を向けることが苦手で、興味のあることには周りを気にせず没頭しました。年齢性別職業その他のラベル関係なく「しゅうちゃん」というポジションを確立していたので、物を知らなくても、話題についていけなくても、言動がおかしくても、「しゅうちゃんだから」と許されて(諦められて)いた事が多かったように思います。けれどそれって、愛されていたのですよね。有り難いことです。
■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?
雲か霞か土か、何だかそういうものへのコースへ進む分岐点まで戻して頂けると嬉しいです。
■ 将来の夢・ライフプラン
まずは金継ぎの技術とそれらを生み出した文化的背景や心構えを含めてしっかりした金継ぎ師を数年かけて育成します。金継ぎ全般のお仕事を任せられるようになったら、本来の私の目的であった伝統工芸全般の海外マーケットを展開し、その収益で次世代の職人さんたちを育てるためにサポートをしたいと考えています。
-好きな本:谷川俊太郎『歩くうた』、『唐詩選』、『ペンギンの憂鬱』、画集
-尊敬する人:素直な人、思いやりのある人、明るい人
-カナダの好きなところ:良くも悪くもゆるいところ。思考したことが行動に結び付きやすいところ