【新連載】「20年越しに叶った海外留学」|37歳で人生初の海外留学に挑戦中
私が初めて留学に憧れたのは、高校1年生のとき。部活の先輩がバンクーバーに留学しており、私も「海外で学びたい」という気持ちが芽生えました。しかし、英語の得意科目である自信があったにもかかわらず、交換留学プログラムの面接で緊張し、英語が話せずに失敗。それがトラウマとなり、大学進学後も留学の夢を抱きつつ、面接の恐怖に向き合えず、結局行動に移せませんでした。
大学卒業後は国内の報道機関に就職し、記者として文字通り24時間体制の多忙な日々を送りました。英語を学ぶ時間や余裕などなく、インタビュー力や執筆力を鍛えることが優先事項でした。その間、友人たちが海外でMBAなどの学位を取得する様子を見て羨ましいと感じつつも、自分には「手遅れだ」と思い込んでいました。
転機が訪れたのは30歳のとき。夫がアメリカの大学院に進学し、私は日本に残って仕事を続けていましたが、卒業式に出席するために渡米しました。そこで、国籍や人種を超えて学びを通じて仲間を作る学生たちを目の当たりにし、「自分もこのままでは後悔する」と強く感じました。そこから本格的に留学準備を開始。新型コロナの影響や二度の妊娠・出産を経て、時間はかかりましたが、ついに今年、37歳で夢だった留学を実現しています。
超マイノリティ環境での挑戦
私が現在参加しているプログラムは、ヨーロッパを中心とした33カ国が加盟する国際経営学の修士コースです。学生の約9割がヨーロッパ出身。私が通うポルトガルの大学院はアジア系の学生は5%ほどで、日本人は私ひとりです。このようなトロントでは感じなかった圧倒的マイノリティの環境にまだ慣れていないのが正直なところですが、一方で日本人というだけで話しかけられる機会も多く、日本文化への関心を感じることもあります。特にSUSHIやMATCHAはヨーロッパでも大変人気があり、寿司パーティを開くなど、クラスメイトに日本文化を紹介する場をこれからもっと増やしていきたいと考えています。
「人生はすべて実験」だと考える
留学当初から、私が一番苦労しているのは言語の壁です。私が通うプログラムでは、学生がバイリンガルであることが求められ第三言語の取得が修了条件に含まれており、「英語が第二言語で苦労している学生も多いだろう」と楽観的に考えていました。
しかし実際には、ほとんどの学生が幼少期から英語を話しており、初日から自分とのレベルの違いに愕然としました。
今はまだ授業で教授が話していることも完全にはわからないことが多く、議論についていけず、言葉が詰まってしまうことに悔しさを感じています。
そんなとき、日本で所属している研究室の教授が「人生はすべて実験。失敗はただのデータポイントにすぎないよ」とアドバイスをくれました。「実験」と捉えることで、恐れは和らぎ、少しずつチャレンジする気持ちが生まれました。
少しでもコンフォートゾーンから出られるようにと、授業中は前方の席に座り簡単なことでもいいから発言するよう心がけています。クラスメイトに圧倒されているのが現実ですが、間違ってもそれが「データポイント」として自分の成長に繋がると考えていきたいと思っています。
また、授業だけではなく、知らない人ばかりの集まりにも積極的に参加し、新しい友人を作る機会も作っていこうと思います。
10代や20代の頃に留学する友人を羨ましく思いながら描いていたキラキラした留学のイメージとは違って、実際は悔し涙を流す日々もあります。それでも、その経験こそが私にとって20年間ずっと望んでいたものだし、必ず人生の糧になると信じています。そして、10年以上の社会人経験がある37歳だからこそ得られる視点やスキルを活かし、これから色々と挑戦していこうと思います。