TONDOU「沖縄ナイト」イベントレポ!シンガーソングライター東風平 高根さんインタビュー|三大特集で送る「戻ってきた日常」

沖縄には切ることのできない縁がある。
トロントで琉球ラーメンを楽しめるTondou Ramenで、Okinawa Nightが開催された。今回はシンガーソングライターの東風平さんがスペシャルゲストとして登場し、トロントに住む沖縄の人たちに向けて沖縄の音楽を届けた。日本から遠く離れた地でも故郷を思い出させる音楽で、熱気に包まれた夜となった。世界で演奏する東風平さんに、三線を弾く理由や沖縄に対する思いについてインタビューを行った。
世界の「うちなんちゅ」に会いにいく音楽がつなぐ郷土愛
コロナ禍以降、海外で演奏するのは今回が初めてです。2010年ごろから世界を回り始めました。JICAに勤める友人に演奏しにきてくれと頼まれてから、中南米や東南アジア、北米など30か国以上を回りました。今ではライフワークです。

沖縄の人のことを「うちなんちゅ」と呼ぶのですが、世界中に「うちなんちゅ」はたくさんいます。5年に一回、「世界のウチナーンチュ大会」が沖縄で開催されます。世界に約20万人うちなんちゅはいると言われていますが、5年に一回、世界で活躍するうちなんちゅが家族に会うために必ず沖縄に戻ってきます。
郷土愛が嬉しい一方で、海外にいる方はなかなか沖縄には帰れません。それならば、三線を持ってこちらから会いにいこうということで世界を回るようになりました。世界でうちなんちゅと一緒に、沖縄をホームタウンとして盛り上げる機会になればいいなということで活動しています。
歌手になるために19歳で上京アイデンティティになったものは三線
―三線を始めたきっかけについて教えてください。
おじいちゃんが三線、おばあちゃんは琉球琴を弾いていて、母はピアノの先生だったので、音楽になじみのある家系ではありました。歌手になりたくて19か20歳で上京しました。僕は弾き語りみたいなことがしたくてライブハウスで歌っていましたが、いつも「お前はだめだ」と言われていました。
ある日、26歳の時に三線を沖縄から送ってもらいました。三線を弾いてみたら「お前はそんなことをやったほうがいいんだよ」と、滅多に褒めないライブハウスの主人に褒められました。
10年以上触れていなくても三線の弾き方を覚えていることに涙が出て、自分でも「これだな」と思いました。それから、三線が自分のアイデンティティになりました。沖縄を離れたくて上京して、東京に出て自分の歌を歌いたいと思ったのに、結局今はふるさとを思いながら三線を鳴らしているのは切っても切れない縁があるのかなと思います。

朝ドラ「ちむどんどん」のロケ地・大宜味村「やんばる」の人として沖縄本土復帰を伝える
―ご出身は沖縄のどちらでしょうか?
両親が宮古島出身で、僕は那覇市で育ちました。親父が畑仕事をする際に、沖縄本島北部の「やんばる」という地域にある大宜味村に畑を持ち始めました。その後、親父の畑でライブするというツアーを行ったんです。そうしたら、いつも応援してくれている本土の人たちが来てくれるようになり、コロナ禍前まで10年以上にわたり毎年ツアーを開催するようになりました。
その経緯があり、那覇市出身ではありますが、大宜味村の広報大使に任命されました。任命されてからもう6年になります。もう畑は手放したのですが、今も僕は何かあるたびに大宜味村で演奏したり変わらずツアーをしたりして、大宜味村を広めようとしています。
―朝ドラ「ちむどんどん」に出演された経緯について教えてください。
ちむどんどんのロケ地はいくつか大宜味村にあったんです。今年が沖縄本土復帰50周年なので、出してくれとずっといろんな人に掛け合っていましたが、なかなか出演に繋がりませんでした。ほとんど諦めていたころに連絡が来て、最終週にぎりぎり出演できることになりました。本当に嬉しかったです。
連絡が来た経緯は僕もよくわかりません。「なんくるないさ」という映画が今年の夏まで吉祥寺で公開されていました。ロサンゼルス国際映画祭で賞を受賞した作品で、僕は準主演として出演していました。その時は三線をひかずに役者として出演したのですが、その映画を見て、この人は三線も弾けて出演もできるということで連絡をくれたのかなと想像しています。
沖縄をテーマにした朝ドラは本土復帰の10周年ごとに放送されます。50周年という節目で、表で活動をしている以上どうしても出たかったです。沖縄出身の役者さんは主演の黒島結菜さんと仲間由紀恵が出演されていましたが、自分も広報大使としても仕事ができた気がして嬉しかったです。

10年後に沖縄出身の人が活躍できるように次の世代に場をつくる
本土に沖縄のミュージシャンはたくさんいて、今その人たちと一緒に劇団をつくるという話をしています。今回ちむどんどんにも沖縄の役者さんがもっといても良かったと思っています。だから、本土復帰60周年の朝ドラには、10年かけて役者の勉強をして、沖縄出身の人がもっと出演できるようにしたいんです。来年の10月から公演が実際に始まります。
劇団をつくることで朝ドラに出演できるかはわかりませんが、いつ話が来てもいいように皆で下地をつくっておこうという話で盛り上がっています。芝居をやったことはないけれど表現したいという人は多くいます。でも、多くの人はいざどうしたらいいか分からない。それならば、まず僕らがその場を作り、10年続ければ「こういう劇団がある」と認知してもらえるだろうと思います。
お芝居をしたい、お笑いをしたい、あるいはマジックをしたいという人もいるかもしれませんが、劇団はそういう人たちにとっての窓口にもなれます。そうすることで、何人かでも拾われて朝ドラに出演できるのではないか、それこそ高校卒業したての子がヒロインに抜擢されるかもしれない。それが僕の夢です。
だから、そういうことができるような環境を我々が次の世代につないでおこうということもあります。自分たちがのしあがるというよりも育てる側としてというのがありますね。

来年からは再び世界に進出「外」に出てみることで視界が広がる
国際芸術祭というイベントに招待されて、来年の4月後半からスペインに行くことが決まっています。住んでいないから言えるのかもしれないけれど、海外を回ると自由だなと思います。
日本は島国だから、初めて外に出たときに自分が日本人だとわかると思います。沖縄の人も同じで、自分がうちなんちゅなんだとわかるのは、東京であろうが海外であろうが沖縄の外に出た時です。一回外に出て自分を見つめてみると、幅広い視野で仕事ができると思います。

上京して3、4年はホームシックもありましたが、音楽仲間ができてからは本土もいいなと思いました。最初はとても住めないと思ってもだんだん適応して、そうすると海外に出たくなって、また新しい世界に対して「すごいな」と思います。そんなことを若いうちに感じた方がいいのかなとは思います。
今も関東に住みながら沖縄を行ったり来たりしていますが、音楽で全国を回っていければいいなと思います。
Okinawa Night @Tondou Ramen
大盛り上がり!沖縄ナイト・ライブの模様




21時半ごろから始まったOkinawa Night。お店に集まったお客さんは約50人ほど。そのほとんどは、トロントで暮らす沖縄出身の人で埋め尽くされていた。Tondou Ramenのラーメンをいただきながらお酒を飲めば、まさしく日本の居酒屋そのもの。お客さんの一人が笑いながら「日本人の溜まり場」と評したように、故郷を思い出すための空間が作り上げられていた。

MCは東風平さんの軽快なトークで大盛り上がり。東風平さんが「しにまぎー」と言えば、トロントではまず聞くことのない沖縄の方言にお客さんは大爆笑していた。ちなみに「しにまぎー」は「超大きい」という意味らしい。
東風平さんと一緒に演奏するのはモントリオールを中心に活動するアーティストの方々。「島人ぬ宝」などの有名な曲に加え、「娘ジントヨー」など沖縄の方にはなじみ深い曲も演奏された。特に盛り上がったのは「オジー自慢のオリオンビール」。お客さんのほとんどは歌詞を知っているようで、皆で口ずさんで大合唱。「オリオンビール」のコールアンドレスポンスもばっちりで、沖縄の絆の強さを感じた。
沖縄らしく、「イーヤーサーサー」という合いの手や指笛が響く会場は、トロントにいることを忘れてしまうような沖縄らしいあたたかさで満たされていた。














