グランド・キャニオン アリゾナ州 | 紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第14回
アアリゾナ州のフィーニックス(Phoenix)市で行われたカンファレンスの出席を切っかけにグランド・キャニオンへ行く機会をゲットした。州の首都からグランド・キャニオンへ行くのにフラッグスタッフ(Flagstaff)まで3時間のシャトルバスにのる。15ドルは安い。電車も出ているが、アメリカの鉄道とシャトルとどちらが快適か微妙なところだ。現地の交通事情はわからないので着いたらレンタカーを借りる。
普通グランド・キャニオンというとラスベガス方面からツアーで公園の西側を観光するルートが急ぎ足の観光客には人気のようだ。だがグランド・キャニオンの醍醐味はサウスリム(South Rim)とノースリム(North Rim)にある。人ごみを避けたればノースへいけ、と言われる程、北側は一般的というよりバックパッカーやキャンピング向きのようだ。年間通してオープンなサウスリムと違いノースリムは5月中旬から10月までのみ。私は南のフラッグスタッフから北上して公園の東側から入り、南側から抜けるコースをとることにした。
フラッグスタッフの守り神のようにそびえるハンフリーズ・ピークが後に見えなくなるまでハイウェーをひた走りに走る。やっと出て来たナバホ民族の10軒余りの集落が赤茶色の砂漠に寄り添うように建っている。各家の外にはタンクがついている。井戸も水道もないのでタンクの水をつかっているのだろうか。町らしいものが見当たらないのに砂漠の中にキャメロン(Cameron)の町の看板が立つ。休憩所があり、トイレや水分の供給をここでしておかないとグランド・キャニオンまで何もないだろうと思い、エンジンを止める。
グランド・キャニオンに近づくと、先住民達の屋台が見えてくる。工芸品は彼等の貴重な生活の糧の一つだ。記念にペンダントを買う。公園の東門から入るとユニークな石のタワーが見えてくる。ここでアメリカ生まれの建築家メリー・コルター(Mary Colter 1869-1958)を紹介しよう。砂漠の展望タワー(Desert View Watchtower)を設計した人で、そのデザインは緻密なまでに先住民の異文化を取り入れている。繊細な彼女の建築技術は高く評価され後世にその名を残す。Desert Viewからは道なりに走ればサウスリムのグランド・キャニオン・ビレッジに着いてしまう。コルター女史のミュージアムやLookout Studioもサウスリムにある。
5600万年前にコロラドリバーの繰り返す浸食作用で出来たのがグランド・キャニオン。それによって20億年昔の地層も出て来たとも言われる程、地球の大異変だったのだ。グランド・キャニオンが国立公園になったのは1919年、世界遺産に指定されたのが1979年と比較的遅い。
ビレッジは宿泊施設、土産物店、レストラン等でにぎわい、有名なブライト・エンジェル・トレイル(Bright Angel Trail)もロバに乗るか、自分の足で歩くかして出発する。ロバはかなり前から予約しないと無理。深さ2㎞以上もある渓谷を緩やかな坂道を歩いて底の小屋まで下るとその先には延々と16㎞のハイキングコースが北に向かって続く。いつかやってみたいと思うが、今回は予定していなかったので1㎞程下りて引き返した。直射日光が肌を直撃する。
グランド・キャニオンの東西の広がりを見せるHopi Pointは言葉もでない程圧巻。西側の渓谷を披露してくれるMohave Pointは何百万年もかけて地を削り取ってきたコロラドリバーの威力を見せつける。幾つもある〝見晴らしポイント〟を巡るにはサウスリムを15分間隔で巡回している無料のシャトルバス(Hermit Drive Shuttle)が便利。私が行った時は4月末でオフシーズンのため、狭い駐車場でも問題はなかったが、シーズン中はNGだろう。なにせグランド・キャニオンを訪れる人は年間600万人、サウスリムはその90%だから。いい時期に訪れた私はスイスイと車で走って、駐車して、歩いて、撮影して、の繰り返しで思いも寄らなかった氷河時代の遺産、自然の芸術作品を難なく観賞させてもらうことが出来た。
石原牧子
オンタリオ州政府機関でITマネジャーを経て独立。テレビカメラマン、映像作家、コラムライターとして活動。代表作にColonel’s Daugher (CBC Radio)、Generations(OMNITV)、The Last Chapter(TVF グランプリ・最優秀賞受賞)、写真個展『偶然と必然の間』東京、雑誌ビッツ『サンドウイッチのなかみ』。3.11震災ドキュメント“『長面』きえた故郷”は全国巡回上映中。PPOC正会員、日本FP協会会員。
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