銀杏・木村オーナーシェフのカナダストーリー Vol.4 ~ 1970年激動のカナダ史、木村さんの大志
昨年10月より始まった銀杏オーナーシェフの木村重男さんのカナダでの歩み。今月号からは木村オーナーシェフの最初の日本食レストラン“笹屋”、その開店に至るまでの軌跡を、カナダ史の流れとともにご紹介していこう。
Vol.4 1970年激動のカナダ史、木村さんの大志
1973年、木村さんは初めてカナダに上陸し、改めて自分が日本より遠く離れた地にやってきたことを実感したと語った。その内に秘めた思いを胸に、職を探し、カナダに来て一週間で仕事に就くことが出来た。しかし、言葉の壁は大きく、理想と現実の差が、木村さんの前に立ちはだかった。
「当時の私には何もなかったのです。英語はできない、お金はない。でも力仕事なら誰にも負けないと思い、テレビのキャビネットを作る工場で働き始めました。英語は出来なかったのですが、教えられたことはきちんと出来ました。けれど、同じことの繰り返しで毎日つまらなかったですね。」と当時を振り返った。
1970年代のカナダは、当時の首相ピエール・トルドー氏により世界初となる多文化主義文化政策が発表・採用された。より良い生活を求めて世界各国からやってくる移民によって、カナダは成長の一途を辿っている時代でもあった。
「カナダは技術者を入れないと国が繁栄しないと思っていたのではないかと思います。これだけ広大な土地ですから、人材を欲しがっていた時代でした。ですので、仕事は本当にたくさんありました。あの当時はむしろお金をもらって英語の勉強に来られたので生活は楽でしたね。」と木村さんは当時の印象を語ってくれた。
しかし同時に、カナダの財政収支は失業保険給付などの移転支出、連邦交付金、国際比の増大などで赤字が続き、ケベック州でもその独立を主調する過激派の運動が盛んにあり、安定した時代背景ではなかったようだ。それは、木村さんの生活にも影響を及ぼした。
「カナダが不景気になって、工場の仕事がをクビになってしまいました。それがとても面白くて、ある朝、掲示板に自分の名前が書いてあったのですが、何が書いてあるのか分からなくて同僚に教えてもらったら、明日から来なくて良いということでした。やったー!って思いましたね。」と笑いながら語ってくれた。
それから半年後、カナダに来てからも続けていた剣道の関係者伝いで紹介された庭師を新たに始めた。
その中で木村さんは、“何かやってやりたい。”という思いを胸に燻り始めていたそうだ。そして、木村さんにとって最初の日本食レストランである“笹屋”のオープンに至った。次回はいよいよその経緯をお伝えしたい。