第95回「ノーサイド」|カナダ・トロントにある幼稚園の園長先生コラム。気付けば息子も大きくなりました…
2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は、日本チームによる前代未聞の快進撃によって、今(私が執筆中の現在)も日本中がラグビー熱で盛り上がっています。特に10月は酷い台風が日本を直撃、死傷者多数並びに家屋や建築物なども甚大な被害が出ていた最中だっただけに、日本チームの勝利は明るく嬉しいニュースとしてみんなの希望と夢のような存在でもありました。
私は今までラグビーなど見たことも無かったですし、正直、興味すらありませんでした。しかし、W杯の前に見た日本のラグビードラマと、カナダチームの出場、そしてカナダでも放送されていて簡単にTV観戦できたことなどで、にわかファンとして観ていました。
そんな中、今大会では唯一の白星を狙った最終のカナダ―ナミビア戦が台風19号の影響により中止に!戦わずして最下位決定とはなんとも無念だったろうと思います。でも、その後のカナダチームの行動は、日本でもそしてカナダに住む私たちにも心温まるニュースとして届けられました。
カナダの代表選手達は台風の爪痕が残る釜石に残り、住宅街の道路に溜まった泥を除去するためスコップを手に、ポリ袋に泥を詰め込むボランティア活動に参加したのです。
大会公式ツイッターなどが実際の様子を公開すると、日本・カナダのみならず多くの国で称賛の声が上がりました。
実際に参加したカナダ代表選手は「試合がキャンセルとなって、我々は落胆しました。しかし、こんな時だからこそ、ラグビーよりも遥かに重要なものが存在するのではないかと思ったのです。ここでは(台風で)壊された家を何軒も見ました。そして、我々に出来るなら、どれほど些細なことでも皆さんの手助けになればという思いで(ボランティアを)したのです」
「この(日本)人たちのおかげで、大会が成り立っている。これほど友好的な国ですから、出来る限り恩返しするのが正しい道だと思ったのです」との声明を出しました。何とも爽やかなスポーツマン精神、またノーサイド(戦いが終われば両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという)精神でしょう。
カナダに住む私としてもやはり嬉しくて、あちこちで目にする記事を誇りに思い、いちいち感動しながら読みつつ、またいろいろな事を考えさせられました。
「目には目を、力には力を」と、武力行使の連鎖が後を絶たない昨今のこの世界情勢。国と国とはいがみ合い、協調性などとの言葉は何処へやら、他国に圧力をかけ、自国の利益や正義ばかりを主張し合う国々。隣国との戦争も止むどころか、他国を巻き込みどんどん広がって行き、一般市民達は翻弄されるばかり。
私たち大人は本来、子供たちに何を教え、何を見せていかないといけないのか?子供同士のケンカはしないよう説得し、どうすれば仲良く過ごすことが出来るのかを考え、行動出来るように子供を育てて行くはずの大人たち。
ところが実際には、当の大人や国のリーダーたちが子供顔負けの自己中心的な態度を露わにし、守るべきはずの子供たちを危険にさらし、子供たちの行き場も、未来をも奪い去って行くこのご時世。恐ろしい次第です。
オリンピックでさえも、勝ち負けやメダルの数にこだわり続け、国の政治的要素も多いので、興ざめする事もたまにあります。だからこそ、今回のこのラグビーのノーサイド精神に基づいたカナダ代表選手たちの行動は輝いて見えるのでした。
こんな姿こそを今の子供たちに見せたい。そこから何かを学んで、こんな大人になって欲しい。
また、このような行動を友好的な国(カナダ)が友好的な国(日本)だけにするのではなく、敵対的(というと大げさではあるけれど…)な国に対しても行えるような、そんな人になって欲しい。目には目をではなく、どんな相手であっても受け入れたり、許したり出来るような、願わくば、そんな寛容な人になって欲しいな、と思うのです。
もちろん、言うのは簡単、とは分かっているのですけれどね。私たちだって、好きな相手に優しくするのは簡単ですが、嫌いな相手や自分に攻撃的な相手に対して思いやりのある行動を取るのは並大抵なことではありませんから。それに、そうした行動に出たとしても、その嫌な相手が自分に対して嫌な態度をやめないかもしれないのですから。だけど、こうした一人一人、個人の行動を変えていかない限り、世界は変わっていかない気がするのです。逆に言えば、子供たち一人一人が思いやりのある子に育っていけば、世界は変わるんじゃないかと…。そんな子供たちを私たち大人は育てていかないといけないんです。
まずは、見せてあげましょう!お手本として。恥ずかしくない、自分の背中を…。ラグビーの代表選手が見せたような、誇りある行動を。
池端友佳理
京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立、園長を勤める。