「天使になった子供達」| カナダ・トロントにある幼稚園の園長先生コラム。気付けば息子も大きくなりました…第90回
バレンタインデーの夜、ここトロントで突然鳴り出したアンバーアラート。11歳の女児リヤちゃんが父親と共に行方不明とのこと。安否を心配していましたが、今までアラートが鳴ってもほとんどの場合無事保護さていましたので、きっと父親が脅迫まがいなことをしているだけで今回も大丈夫であろうと勝手に思っていました。しかし、事態は最悪の結果となり、リヤちゃんは二度と母親や家族、友達の元に帰ることはありませんでした。その日は、バレンタインデーというだけでなくリヤちゃんの誕生日、その上、母親の誕生日でもあったというのです。本来ならば、愛と幸せに満ちたこの日が人生で最も悲しい日になるだなんて、一体誰が予測していたでしょうか…。
この事件の真相は今現在なお捜査中ですが、日本でも同じく父親に虐待の結果、殺害されてしまった10歳の女児心愛(みあ)ちゃんの事件の詳細がここ連日、日本のニュースで流れていたため、心を痛めていたところでしたので、やり切れない思いでいっぱいです。
日本で虐待死といえば、幼い5歳の女児結衣(ゆい)ちゃんが継父によって殺害されたのがほんの昨年のこと。日本では虐待死が繰り返し何度も発生しているにも拘らず、なおも子供を取り巻く環境は改善されていません。どの事件も周りから幾度となく『虐待の疑い』が報告されていますが、児童相談所や警察が動かなかったり、調査されても大きな罪にならなかったり、虐待している大人への措置は非常に甘いものです。
今回の心愛ちゃんに関しては、はっきりと声に出して周りの大人達にSOSを出していたのです。それが学校の先生であったり、児童相談所の職員であったり。本来守ってくれるはずの両親が虐待する…殴る蹴る、食事を与えない、眠らせない…死の直前まで大人の助けを待ちながら、どんな思いで心愛ちゃんは日々耐え抜いていたんでしょう。心愛ちゃんのことを親身に思ってそばに寄り添ってくれる人が、せめて誰か一人でも信頼できる人が居たならば…。周りの大人達はなぜここまでとことん心愛ちゃんを裏切り、見殺し状態にしてしまったのでしょう。怒りと憤りしか感じられません。
日本でこういった事件が起こる度に思うのは、関係機関の連携不足が根底にありながらも、学校や教育委員会、児童相談所といった関連機関がそれぞれ責任転嫁をして、面倒なことはしたくない、聞きたくない、請け負うケースは一件でも少なく、少しでも早く処理してしまいたい、というように見えることです。
年々増えていく相談ケースの割にそれに対応できる児童相談所の職員数は極端に少ないのかも知れません。学校の先生も時間外勤務が異常で、まるでブラック企業のような勤務体制だということもよく聞きますから、もちろん自治体や国がその体制そのものを改善しないといけないのも分かります。ただ、一度出された子供からのSOSサインをなかったことには出来るはずはなく、それを無視してしまった事は許されるべきではありません。心愛ちゃんもいつかどこかの誰かが手を差し伸べてくれることをわずかな希望を持ってサインを出していたに違いないのですから。
心愛ちゃんの父親が虐待している横で、心愛ちゃんを守るどころか黙認していた母親が虐待の様子をビデオに撮っていたなどと聞いた時、大きな衝撃を受けました。
まず初めに母親が「娘が父親に暴行を受けている限り自分は暴行から逃れると思った」と聞いた時、その心境が全く信じられませんでした。
しかし、DV(ドメスティック・バイオレンス/家庭内暴力)の専門家の解説を聞くと、DVの状況は母親の心情や思考をも変えてしまう程心身を蝕むものなのだと思い知らされました。
児童虐待のある家庭にはほぼ間違いなくDVも共存しているという視点で見ることが出来ていれば、もっと早い時期に心愛ちゃんはもちろん、DV被害者である母親を救うこともできたはずだということでした。
カナダでの『子供を守る権利』は、日本よりもはるかに進んでいると思います。日本では、炎天下でも車内のクーラーをつけてパチンコや買い物…と、よく聞きますが、カナダでそのようなことをすれば親権を失ってしまうことも多々あり、一度でも前科が残れば信頼を取り戻すにも時間が掛かります。弱い立場の子供であるからこそ、多くの機関が子供の権利を守り、最善の環境を提供しようと努力しています。
日本も早急に、それぞれの機関が責任と余裕を持って個々へ対応出来るよう、その体制造りを整えて欲しい。また、私たち個人も虐待やDVを他人事と考えず、周りに少しでもその様子やサインが伺えたなら、知らん顔だけはしたくないし、して欲しくない。もうこれ以上一人として子供の命を失わないように、いえ、辛い虐待に耐えて生きている子供がいなくなるように、切に切に願うばかりです。
池端友佳理
京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。