「亡き友から学ぶ事–⑴」| カナダ・トロントにある幼稚園の園長先生コラム。気付けば息子も大きくなりました…第93回
5月下旬、私が兄のように慕ってきた友人が亡くなりました。
私が小学生の頃から我が家に出入りしていた、本当に家族のような存在の人。約30年前、私がトロントに来たのも彼を訪ねて来たもので、主人マークと知り合ったのも彼を通してでした。
そんな彼に喉頭癌が見つかり、手術をしたのが丁度1年前の今頃でした。「発見が早かったから、手術したら治るって。だから、頑張って治療していかなきゃ」と、とても前向きな彼。
マークと同じ和食のシェフだった彼は、術後マークの手伝いもしてくれて「仕事が出来るっていうのは本当に有難い事だな、やっぱりキッチンに立ってないと駄目だな」と、嬉しそうに職人気質な言葉を漏らしていました。その頃は、まさか一年も経たないうちに私たちの側からいなくなってしまうなんて、思いもしませんでした。
今年に入って、肺への癌転移が見つかり、また闘病生活に戻らないといけませんでしたが、彼には家族や親戚などの身寄りがカナダにはいませんでした。独りで癌と闘うには余りにも過酷すぎる…せめて私たちが家族同様、サポートして行こう!!マークと健人が率先してそう言ってくれたので、彼には我が家に移り住んでもらうことにし、カナダで初めて真剣に病気と向き合うことになったのでした。
私は日本で医療従事者でしたから、何となく勝手が分かるかしら…と思いましたが、とんでもない。日進月歩な医学の世界、30年前とは比べものになりません。しかもお国柄が違うとシステムも全く違いますから全てが初心者気分でした。
日本で父の癌が発覚した際は直ぐに入院、治療も日常生活も全て病院でしたので、私たち家族は付き添うだけで良かったのですが、今更ながら改めて父の心情などを考えてしまいました。父は家に帰りたかったのではないかしら。自分の家で息を引き取りたかったのではないかしら。また、当時は本人への告知は一般的でなかったため、『死』について父には一切触れませんでした。その事も心残りです。「もしも余命について話していれば、残りの時間をもっと父の使いたいように使えたのではないかしら」と、後悔の念が出てきました。
私の友人も癌の術後、ずっと独りで闘病してきましたので、我が家に来た時は本当に嬉しそうでした。通院に時間がかかっても、待ち時間が長くても、家が良いと言ってくれていましたので、出来る限り、もう限界だというところまでうちに居させてあげたいと思っていました。
しかし、今まで別々に暮らして来た者同士がある日を境に一緒に住むというのはお互い色々な遠慮があったのは確かです。ずっと一緒に暮らしてきた家族であったなら、もっとワガママや文句も言い合えたでしょうし、逆にお互いが言い合い過ぎても気にも留めなかい状況だったでしょう。
彼は、辛い時に辛いと、しんどい時にしんどいと言うこともなく、私たちに迷惑を掛けないように我慢していたのが伝わってきました。
私たちも少々無理をしても彼に合わせるようにしていたので、心身共にしんどかったこともありました。
後になって、あの時こうしておけば良かった、あんなことしなければ良かった…と、後悔ばかりが頭の中に蘇ってきます。後悔しても始まらないし、「そんなことないよ、よく頑張ったよ」と色々な方が言ってくださるのですが、それでもなお、人間というものは取り返しがつかないからこそ、考えなくても良いことばかり思い返し、くよくよしてしまうものなんですね。
せめてもの救いは最後に見た彼は満面の笑みだったということです。入院して3日目、ホスピスケアの個室に移ることができ、「じゃ、今日は帰るけどまた明日の朝来るからね」そう言った時、手を上に挙げて見せてくれた彼の笑顔。それからわずか4時間後、彼は静かに一人で息を引き取りました。
全く予想外の早い展開に、あれもこれもと後悔が込み上げてきました。仕方のないこともたくさんありますが、今後同じ過ちを繰り返さないように注意出来るとしたら、『時間』を甘く見ないこと、でしょうか。頼まれたことを忘れないように、すぐに対応してあげること。「明日までに」や「時間のあるときに」するのではなく、すぐに対応できることはする。
入院した時、彼が信仰していた宗教の神棚を持って来てほしいと頼まれたのですが、置く場所が無いから個室に移ったら持ってくるね、と言っていたのです。彼にとってはとても大切なものだったに違いありませんから、出して置かなくても入院と同時に持って行っておけば良かったのです。健康な者にとっては「次の機会」はたくさんありますが、ターミナル期を過ごす人の時間に保証はありません。わかっているはずだったのに…。
私もこれから年を追うごとに失う人の数も増えていくでしょう。ひょっとすると私がその立場になる可能性もある訳です。どちらの立場でも、後悔のないように時間を大切にしたいものです。
池端友佳理
京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立、園長を勤める。