頭の中での翻訳癖が抜けないんです、どうしたらいいですか|カナダ留学にきっと役立つめるもの英語
頭の中での翻訳癖が抜けないんです、どうしたらいいですか
って?
あんな、おっちゃん、こうやってドヤ顔で英語について書いとるさかい、あんまりおっきい声では言えんのやけどな…おっちゃんも翻訳しとるど。どや、安心したか?おっちゃんも大人になってから英語を勉強し始めたし、海外在住は10年ちょいやよってにな、英語は英語で100%理解しとるかって言うたらそんなことない。
ただ少なくとも、3年、5年と時間が経つに連れて頭の中で変換する度合いは減っとるわな。自分ら言うても、勉強して1年や2年っちゅうところやろ。そんなもん、すぐでけへんでけへん、安心せい。
確かに、「英語を英語のまま理解しよう」いうのはよく言われることや。これは、ある日急にそういう能力を手に入れて変身するっちゅーもんやない。慣れや。例えば、おっちゃんこっちに初めて来たときレジで「ぷらっしばー?」って聞かれてなんの呪文やこれヲイ!と焦ったんやけど、こっちでの生活に慣れた今なら「Plastic bag?(袋いる?)」やて分かってるし、頭の中でいちいち考えて返事せーへん。そういう慣れですっとそのまま理解できる表現、それから、口をついて出るようになった表現、考えたら結構あるやろ。それや、そのストックが増えていくことが、「英語を英語のまま理解する」いうことなんや。何回も聞いて、使って、自分のものにした表現が自分の貯金になっていくんやな。
ある言語が話せるっちゅうんはどういうことや、バイリンガル(二言語話者)やらマルチリンガル(多言語話者)の脳の構造がどないなっとるんや、いうのは色んな研究がされとる。例えば、1960年代とちょっと古いけどな、言語学の中でも特に人間の心理的過程と結びつけて研究する心理言語学っちゅう分野があるんやけど、スーザンちゃん言うんが、おもろい実験をやっとる。
バイリンガルの人にイラストを見せて、イラストから連想するストーリーをそれぞれの言語で話してもらったり、「文末をそれぞれの言語で考え、文章を完成させる」なんてことをやったんやな。そしたら、どうも「使う言語によって話す内容が変わる」いうことが分かった。その後の研究なんかでも色んなアプローチで実験されとってな、自分自身についての説明も、それぞれの言語で少々異なるんやて。ペルソナいう言葉があるけど、バイリンガルっちゅうのは、別の人格を演じるみたいに頭の中でスイッチ切り替えてしゃべってる、言うたら分かりやすいかな。
英語を勉強しはじめた時、「ワシは、ボブ(仮名)や、陽気でフレンドリーな外人、ボブや」と思いながらちょい大げさ目に、英語をしゃべった経験ないか?そういう「自分のイメージするペラペラ像」を持って、言うなればちょっと演技して英語しゃべっとる、言う感覚は結構みんな納得するんちゃうかいな。それでえぇんや。
ネィティブやら英語話せる人に「いやー、その言い方はせーへんなぁ。こう言うてみ」と言われて、「でも、文法的には合ってますよね?」「え、なんか文章の形全然違うくない」「この単語使ってなくない」と思ったことないか。いわゆる「翻訳癖をやめよう!」のほんまのところは、この、理屈で通るかで考えるのをやめよう、ってことやと説明したら分かりやすいんちゃうかと思う。「翻訳したらあかんのにしてもうてる」と罪悪感持ってもうてるんやったらそれは忘れてえぇ。
英語と日本語は全く別の言語でイコールにはならんのやから、As is(そのまま)で自分の中に取り入れる、いう感覚が腹に落ちたらガーッと上達する思うど。
ちなみにバイリンガル(マルチリンガル)の人は、集中力と司る前頭葉にあるACC(前帯状皮質)いう部分が発達しとるいう研究結果もあるそうや。話してる相手によって言語、ひいては自分の人格もちょっと切り替えるこのスイッチ感覚、これが物事に柔軟に対応したり、問題解決能力にも繋がるんやな。
今月のおっちゃんの格言
よう、「自分を変えたい」「自分のこういうところが嫌や」言うて悩むことあると思うけど、それやったらボブでもトムでもナンシーでもえぇけどな、陽気な外人バージョンの自分を頭ん中に作ったらえぇんちゃうか。外人バージョンの自分にまた日本人の自分も影響受けるしな。そない考えたら、言語を学ぶっちゅーのはただの勉強やのうて、性格・生き方なんかにも影響を与える活動やねんな。おもろいのぅ。
海野 芽瑠萌(Merumo Unno Thorpe)
グローバル人材の育成、コミュニティ貢献を理念とした留学エージェントBRAND NEW WAYのカナダ統括ディレクターとして、留学生・ワーキンホリデー・進学生の現地サポートを行う。コミュニケーションツールとしての英語の定着と、その活用を目的とした語学留学の提供を目指す。