広がる深夜営業、狂気的なこだわり|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第93回
最近、深夜料金を導入しながら深夜営業に力を入れる飲食店が、日本で増えてきているという記事を読みました。
コロナ前から、人手不足や労働環境の見直しを理由に営業時間を短縮する流れがありましたが、コロナを期に一気にその流れは進みました。ようやく需要が戻ってきたのだろうか、と思いきや、実情はそういうことでもないようです。
供給が減ったことで、需要との間にスポット的なチャンスが生まれ、各社そこを取りに行っているようなのです。
しかし、開ければ売れるという話でもなさそうです。明暗を分ける要素は何でしょうか。
サイゼリヤと山岡家の考察
記事で取り上げられていたサイゼリヤとラーメンチェーンの山岡家を深掘りしたところ、興味深い事実が浮かび上がってきました。
サイゼリヤは東京の都心部を中心に深夜帯の売り上げを伸ばしています。ちょいのみや、いわゆる居酒屋感覚で安くほろ酔いを楽しむせんべろ文化の受け皿になっている点も面白いですが、セントラルキッチンによる食材の一括管理、メニューの大幅削減、現場オペレーションの徹底的な簡素化という優等生的な合理化路線を軸とした価格戦略で、深夜営業においても結果を出しているようです。
一方、現在およそ200店舗を展開する山岡家は、スープもチャーシューも店舗で仕込み、ネギや野菜のカットも現場でこなすという職人気質のこだわりを前面に押し出し、売り上げを大きく伸ばしています。
しかも、山岡家は東京23区には店舗がありません。かつて都心に出店を試みましたが、極太麺の茹で時間が長く東京のランチ回転率に合わなかったとして撤退し、郊外ロードサイドの原点に立ち返っていました。
コスト構造も、強みの源泉も、商圏や客層すら違うのに、なぜ両者が勝てているのでしょうか。
選んだ道を狂気的なレベルまでやり切る

料理でもスポーツでもビジネスでも、一流と呼ばれる域に達するのは、誰にでもできることを誰にもできないレベルでやり切った、ほんの一握りのプレイヤーだけだと言われています。
同業者の目線で見れば、山岡家がやっていることは現代の外食ビジネスの常識から外れた非効率の極みとも言えます。しかし、味に対するそのこだわりには率直に尊敬の念を禁じえないですし、まったく頭が上がらないというのが正直なところです。それをおよそ200店舗の直営店でやり続けているのは、狂気的とさえ言えます。
サイゼリヤも向いている方向は違えど、本場イタリアのグラスワインがたった百円で楽しめるなど、同業者が追いつけないレベルまでやり切る姿勢にこそ、独自の強みがあるのは疑いの余地がありません。
そしてもうひとつ、重要な点があります。
それは、どちらも「深夜で勝とう」と思ってやっていたわけではない、ということです。自分たちが信じる方向に進んで、ただただ愚直に企業努力を積み重ねてきて、その積み上げが、環境の変化によって競合優位性として一気に花開いた、というのが実態なのではないでしょうか。それを先見の明と呼ぶか、愚直さの結果と呼ぶかどうかはわかりません。
しかし業界全体が苦しい今、「正しい戦略を選ぶ」ことより「選んだ道を狂気的なレベルまでやり切る」ことの方が、はるかに難しく、はるかに価値があるのだという事実を、両者は教えてくれます。
味において、接客において、他店との差別化において。愚直にやり切った先にしかたどり着けない境地があり、それは時に、よそから見れば狂気的とも言えるほどこだわりが昇華した結果と言えるのでしょう。






