母であり起業家の NY発人気ブロガー コモンるみさん
日本でマスメディアの仕事に関わった後、NYに渡り不動産業やライターとして活動し、子育てや起業などを経験。 様々なチャリティ活動を行い、さらにはNY発のブログ『だれも書かない★ニューヨーク1%未満★』を発信し、多くの読者を持つコモンさんにNY在住だからこそ発信できる時事やトレンド、さらには女性起業家・ワーキングマザーの視点から、NYでの生活を振り返ってもらった。
■ブログには様々な時事問題や世界で話題になったことも書かれていますが、 印象にのこっている話題をいくつか教えてください。
・NYといえば2001年の同時多発テロです。世界中の方がこのときは気持ちが凍りついたのではないでしょうか。このニュースをLAで知り、当時ディスニーの建築総責任者だった友人が、意を決し、命がけでグランドゼロの再開発に尽くしたいと、職を辞し、気丈な妻と5才のお嬢さんを連れ、家を売り払ってNYに引っ越してきてしまいました。以来、彼はダウンタウンの再開発の中心的な理事として、また金融大手の新本社ビル建設に向けてすばらしい貢献をしてきました。有事に使命感に燃え、命がけで行動できる人が身近にいるということは私自身の人生観も変えてしまうエポック的出来事でした。
・USエアウェイズの機長がラガーディアを飛び立った直後にエンジン不良に気づき、すぐにハドソン側に無事緊急着陸し成功をさせたこと。
http://ameblo.jp/rumicommon/theme43-10003928653.html#main
・NY・ウォールストリートといえば世界金融の中心地。
2008年の百年に一度といわれた大不況、サブプライムローンのこげつき、リーマンブラザーズが一瞬に消えてなくなってしまったことを震源地NYで身近で体験しました。オバマ政権の舵取りは大方成功だったと思います。これほど迅速に回復できるとは夢にも思いませんでした。
・ナスダックの元会長、バーナード・メイドフが運営していたファンドがポンジースキームで詐欺だった事件。
メイドフのファンドは、円に換算して1兆円以上の規模でした。あのスビルバーグをはじめ、超がつくお金持ちたちが信頼して巨額の貯金を預ける名門のファンドだったのに、実は、すべてねずみ講的「ポンジースキーム」にのっとったものだったのです。
メイドフ氏の会社で働いていた息子たちもこのことは知らず、ニュースになって仰天、ということでした。現在メイドフ氏は刑務所、このことを苦にした息子さんの一人は自殺。本当に切ないニュースでした。
http://rumicommon.exblog.jp/9334361/
■NYで子育ても経験してきたコモンるみさん。NYでの教育事情をご自身の体験をもとに教えてください。
NYは小学校(4年生まで)の公立校はかなりレベルが高いです。が、中学以降は公立校の数自体が限られているので、小学校までは公立に通ってもそれ以降は私立校に転校する人が増えます。
マンハッタン、特にアッパーイーストには全米レベルでトップ10に入る進学校が何校もあり、全米から高学歴で教育熱心な親たちが集まってくる場所でもあります。
トロントにも名門といわれるエスカレーター式に高校まであがる私立の男子校と女子校がありますが、NY、特にアッパーイーストの場合も、1校をのぞきすべてが別学の学校です。8年生までの男子校5校、12年生までの女子校が7校あります。
中には学年の半分以上がアイビーリーグの大学に進学する学校も数校あります。ちなみに今、アイビーリーグへの入学はラクダが針の穴を通るぐらい難しいといわれており、一般の公立校からは1人でも2人でもアイビー合格を果たした年があればすごいといわれるほどの狭き門です。そう考えるとNYの特に私立女子校の進学率はすごいとしかいいようがありません。
我が家の娘もキンダーから女子校に13年間通いました。共学育ちの私には慣れないこともたくさんありましたが、小さな学校(学年50人前後)で教員と生徒の割合が1対6というめぐまれた環境で、勉強だけではなく、チームワークの大切さをスポーツ、チャリティ、オーケストラ、アート、演劇を通じて、その他、人生のライフスキルについても総合的に学ぶチャンスがあったことはとてもよかったと思っています。
また思春期の中学時代はだれにとっても揺れる難しい年代ですが、その学年を女子だけでのびのびと過ごせたメリットも大きかったと思います。
■起業家でもあるコモンるみさんですが、NYでのビジネスについてご自身の経験をもとに教えてください。
カナダに比べ、年々グリーンカードや就労ビザの取得が不可能に近いほど困難になっているアメリカですので、まずはビジネスのスタートラインに立つ=就労ビザをもつことがとても大変です。
また、英語ではアメリカ人には太刀打ちできないわけで、日本語も使って勝負をするほうがアドバンテージがあります。
ですが、日本語をつかえる分野というのは、90年代をピークに日本企業の撤退、日本人の減少でどんどん減っています。
わたしは20年間、NYでは最大手の不動産会社(アメリカの会社)で不動産取引の仲介(ライセンスが必要)をしていましたが、日本人のクライアントは年々減る一方で、どんどんアメリカ人のクライアントにシフトしていきました。
4年前、東日本大震災をきっかけに、日本でも税金を払うことで何か復興のお役に立ちたいと思い、日米で会社を起業しました。
NYベースの新進デザイナーたちの服やアクセサリーを直輸入で日本に紹介するオンラインの会社です。日本にもオフィスを置き、心から信頼できるパートナーに任せてビジネスは丸4年を迎えました。生き馬の目を抜くといわれるほどきびしいニューヨークで起業し、サバイバルしていくには「Win-Win」のビジネスであることがとても大切だと思います。お客さまにも喜んで頂け、しかもNYのきびしいファッション業界でがんばっている新人たちを応援できます。また日本で税金を払い、一方、NYの会社から買い付けることでNYのファッション業界にも貢献できると考えています。
また、利潤追求だけに追われるのではなく、起業の原点でもある社会への還元にも意識が高い会社が伸びているように感じます。
わたしの会社でも、福島県いわき市で今も不便な仮設住宅暮らしをされている重度身障者の方がたの施設「東洋学園」とRoom to Read, 子供地球基金へ売り上げの一部を寄付しています。
■ご自身にとってNYとは…?
第二の故郷、楽しいことは日本の10倍、その代わり辛いことも日本の10倍ではねかえってくる人生修行の場でもあります。
体質作り』
コモンるみ 人気ブログ『だれも書かない★ニューヨーク1%未満★』著者(http://ameblo.jp/rumicommon/)。NYベースの新進デザイナーたちのファッションを日本に直輸入で紹介するオンライン・ストア「Rish New York」代表(www.Rishny.com)。大学在学中女性誌『JJ』のライター、大学卒業後地方放送局でアナウンサー、その後母校大学院修士課程を受験し社会福祉学を学ぶ。後に婦人画報社(現ハースト婦人画報社)中途入社し女性誌『25ans』の編集に携わりNYへ移住。渡米後、読売アメリカ社に記者として入社、主にライフスタイルやカルチャーに関する記事を寄稿。NY不動産の主に売買の仲介は20年。2008年より大都会NYの貧困と闘うソーシャルサービス系NPOInwood Houseの理事。2008年10月4日銀座EstnationでRoom to Readチャリティイベントを主宰、一晩で1千万円以上の寄付を集める。その他、インドに3軒図書館を寄付、3人のアジア人女性にそれぞれ10年間の奨学金を支給。