もっと日本にCanLit! 第8回
モーゲンスタン陽子 第8回 マーガレット・アトウッド
今月はいよいよ、泣く子も黙るカナダ文学界の巨匠、マーガレット・アトウッドの作品を紹介したい。世界中であまりにも賞賛されている作家であり、経歴について今さらここでふれるのも気が引けるので、あえて省略させていただこうかと思う。
数ある傑作のなかでどれを紹介するか迷うところだが、私が比較的最近読んだ小説二作に触れてみたいと思う。
一作目は『アリアス・グレイス』(日本では『またの名をグレイス』の題で訳本が出ている)。
1843年にカナダで実際に起こった殺人事件に取材した小説。主犯のジェイムズ・マクダーモットは絞首刑となるが、問題は共犯とされる少女グレイス・マークス。アイルランド移民のグレイスは当時十六歳。いったん死刑を宣告されるも、終身刑に減刑される。物語は、監獄ですでに十数年を過ごしたグレイスと、グレイスの無実を信じて恩赦を申請しようと試みる団体に雇われた医学心理学者、サイモン・ジョーダン博士(架空の人物)を語り手として進む。果たして、グレイスは本当に無実だったのか。それとも……。
実は、本作品を読んでも答えは出ない。判断は個々の読者に委ねられている。カナダ在住の読者にとっては、今では想像もつかないような古風な当時のトロントの描写、ヤング通りやリッチモンドなど馴染みのある名称、そして、欧州と比べるとすでにきわめて民主的な十九世紀の北米の考え方などが新鮮に映るだろう。アトウッドが本作執筆のために行ったであろう取材・調査の分量には圧倒される。
もう一作は、『ザ・ハンドメイズ・テイル』(邦題『侍女の物語』)。近未来の暴力国家(かつてのアメリカ合衆国)を舞台としたディストピア小説だ。女性は「国家の所有物」であり、「保護」の名のもと、組織的な監視下におかれている。女性の労働、教育は禁止。個人的所有物や名前さえ持つことを許されず、国家にあてがわれた「役職」に就いているのだが、なかでも主人公オブフレッド(フレッドの所有物の意)の役職であるハンドメイズは司令官付の侍女で、その子孫を供給すべく月一度の「儀式」、すなわち性交を強制される、いわば性の奴隷なのだ。
突拍子もないストーリーのように思われるかもしれないが、歴史を紐解くと、古今東西を問わず女性たちが似たような目にあってきたことに気づくだろう。恐ろしく現実味を帯びたこの作品は、一部のフェミニストたちにとってバイブル的な存在であるほか、エコ・フェミニズム(エコ・クリティシズムという、環境学的な観点で文学を読み解く比較的新しい文学批評があるのだが、そのなかでとくに、「女性の抑圧と環境破壊には互いに通じるものがある」として七十年代ごろから提唱されるようになったセオリー)の代表作ともいわれている。
ぞっとする内容にもかかわらず、その文体は詩のように美しい。アトウッドの想像・創造力とともに、ただただ「脱帽」としか言いようのない、現代カナダ文学の傑作中の傑作といえるだろう。
モーゲンスタン陽子
作家、翻訳家、ジャーナリスト。グローブ・アンド・メール紙、モントリオール・レビュー誌、短編集カナディアン・ボイスなどに作品が掲載されたほか、アメリカのグレート・レイクス・レビュー誌には2012年秋冬号と2013年春夏号に新作が掲載。今年6月にはアメリカのRed Giant Books出版から小説『ダブル・イグザイル/ Double Exile』刊行。翻訳ではカナダ人作家キャサリン・ゴヴィエ氏の小説『ゴースト・ブラッシュ』の邦訳を担当。2014年6月彩流社より刊行。また同月、幻冬舎より英語学習本も刊行される。筑波大学、シェリダン・カレッジ卒。現在はドイツのバンベルク大学院修士課程在籍中。最新情報はwww.yokomorgenstern.comまたはフェイスブック参照のこと。