グルメの王様のおしゃれ美食道 第35回
「文楽の素人鰻」






昭和の落語の名人桂文楽の名作に「素人鰻」があります。武士が明治維新後慣れないうなぎ屋を家族と共に開くことになり、要の職人に神田川の金なる男を抜擢。この金さん腕は抜群なのだがいかんせん酒癖が悪く騒動ばかり起こす、というストーリーなのですが、トロントで本物のうなぎ料理が食べられないのは、この専門の職人が居ないからに他なりません。
私のうなぎ歴の中で燦然と輝くのは、半世紀前の高校時代、父に連れて行ってもらった麻布「野田岩」です。個人的にも親しかったようで歓迎を受け、二階の少々古めかしい感じの部屋に通されました。本当に時が止まったような部屋で、飾ってある貴重な写真など珍しげに眺めていたまでは良かったのですが、さー待てど暮らせど本命の鰻重が出てこない。しまいには座敷にある座布団を枕に寝てしまい、父に笑われたことを覚えています。そして待てば海路の日よりあり。遂に登場した東京を、いや日本を代表する味に接し、感激しました。
それから、大学三年生の時昼食は毎日鰻屋で食べる鰻重でした。三年生時代は一二年生の時の勉強の努力により?週四日しか登校しませんでしたが、今思い出しても連日の同じ料理によく飽きなかったとわれながら感心します。
野田岩は創業二百年。江戸時代寛政年間に遡ります。裕福なお客様に恵まれ鰻を山の手の味として広めました。同店の食材としてのうなぎは、狐の様に口先がとがった通称狐うなぎに始まると言われるエピソードがあり興味深いのですが、製法はあくまでも基本に忠実で、素焼きの後脂分を取る為に蒸してふっくらさせ、味醂と醤油のみのタレに付けては焼くを繰り返す。手順は単純ですが、これに素晴らしい熟練の技が加わります。そして素材へのこだわりも野田岩の真髄で、これ又熟練工の目利きが不可欠です。先日久々に訪れ、感激を新にしましたが、料理店の大切な要因のひとつであると確信する「土地柄」と「道すがら」ですが、大好きな思い出一杯の東京タワーを眺めながら店内に入る快感は、やはり江戸の風情。粋ですねー。
さてうなぎの世界において、野田岩と双璧をなすのが、これも日本を代表するうなぎ屋の「宮川本廛」です。お蕎麦の藪同様、宮川を名乗るうなぎ店は全国に山ほどありますが、その頂点がこのつきじ宮川本廛です。こちらは創業百二十年。創業者は大政奉還の年に生まれたといいますからこちらも大変な歴史ですね。秘伝のタレが自慢で先程の熟練の技に加え、この秘伝のタレもその美味しさに威力を発揮しているようです。
今回は子供の頃から親しく食に関して定評がある銀座松屋デパート店に出向きました。最高峰のうなぎを手軽にデパートで食べられる幸運に感謝ですね。
うなぎを料理として食べることを考え出したのは、何とあのエレキテルの平賀源内。
ちょっと驚きです。落語の中でも、めったに食べられない高級料理として登場するうなぎは流石発明家の知恵だったのですね。やはり鰻は玄人に限る。素人ではいけやせん。
辻下忠雄
エッセイスト・生活礼儀情趣導師(生活開発プロデューサー)
1947年東京大田区に生まれる。成城学園出身。フランス料理界、ナイトクラブ界、中国料理界の大御所として多くの逸材を育てた父と、料亭経営の傍ら歌舞伎の舞台にも立った祖父の下で育つ。美食歴59年究極の美食家。紳士の中の紳士。ベストドレッサー。生活信条は「明るく・楽しく・仲良く」超楽天主義者。トロント在住。





