園長先生!気付けば息子も大きくなりまし…第51回
「悲しみの感染力」
22年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在23歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
数ヶ月前に、我が家の犬の一匹が病気になった、とこの場でも書いたのですが…その10歳のヨークシャテリアのマフィンが8月の終わりに安らかに永遠の眠りにつきました。闘病生活は辛そうでしたが、最期は家族全員いる中で、とてもなついていた息子の彼女に抱っこされている時に、彼女の腕の中で静かに息を引き取ったのです。その日は朝からマフィンの様子が特におかしかったので、私は仕事を休み、めいっぱい一緒に時間を過ごしました。残りの家族も仕事等、各自調節してマフィンが息を引き取る前には家に戻って来て、本当に幸せな最期を過ごせたので悔いはありません。腎不全に陥ってからはいつ何が起こるかも分からない、と覚悟はしていましたが、やはり実際に大切な家族の一員を失うというのは私達家族にとって、かなり大きなインパクトを与えるものでした。
我が家にはもう1匹、マフィンより少し大きな、クーザーと言う名のオーストラリアンテリアが居ます。彼はマフィンが病気の間、私達がマフィンを中心に生活している事は一目瞭然でしたから、クーザーは本当にたくさん我慢をしました。彼は本来、大のお散歩好きで、朝晩必ずお散歩を要求していましたが、マフィンは一人で歩けない事もあり、誰かが抱っこして散歩に行くという状況だったからなのか、マフィンの調子を伺っている様でした。大好きなご飯が欲しい時もマフィンは何も食べられない時が続いたりしたので、かなり遠慮ぎみでした。
マフィンが最期の瞬間を迎えた時、家族全員泣きました。止めどなく流れて来る涙を拭いながら、マフィンを抱きしめていたその間、クーザーは泣いている私達の顔をペロペロとなめてはじっと見つめて一人ずつ回っていったのです。クーザーだって本当はきっと、とても辛くて一緒に涙が流せるものであれば、流していたのだろうと思います。私達の顔をなめた後、彼はダイニングエリアの隅っこに横たわりました。
そして、次の日も、次の日も…。ただ、横たわり、お腹がすいたという訳でもなく、散歩に行きたいという訳でもなく…私達が泣いているのを横にただただ、部屋の隅で眠っていたのです。ご飯も食べなくなってしまいました。私としては、当たり前の様に残されたペットに私が癒される場面を期待していたのす。しかし、実際には、クーザーの方が別人(犬)のように、朝から晩までただただ眠り続ける犬になってしまったのです。
クーザーまで病気になってしまっては困ると思い、ネットで調べてみると、犬も仲間の死によってペットロス症候群に陥る事が多々あるとの事。そして、それが元で仲間の死を追う様に数ヶ月の間に亡くなってしまうケースもあるのだと知りました。大好きな家族メンバーを2匹いっぺんに亡くすものかと、私と息子の彼女は(特にクーザーの前で)『泣かない』事を誓い、笑顔を心がけました。すると、数週間の間に驚く程の変化がクーザーに現れたのです。クーザーは泣かない私たちを見て、私達のそばにいる事が多くなり、お腹がすけばご飯を、散歩に行きたくなれば外に行きたいと意思を伝える事を再開したのです。そして、数週間の間に元の生活にまで戻ってきました。愛犬を亡くし、別の犬と生活を続ける状態は人生において初めてでしたが、この事から本当に多くの事を学んだ気がします。
ちょうど20年前、私の父が息を引き取る際、そしてその後も、当時3歳だった健人が周りに居た事を常に意識して、最期を迎えようとしていた父と接していたのを思い出しました。また、父が息を引き取ってからも、悲しくて涙は出て来るものの、母や健人の事を考えると目の前で号泣する事は出来ませんでした。
これを同じ状況と言って良いのかどうか分かりませんが、大人が周りに与える、特に小さな年齢の子供達に対する影響の大きさを改めて考えさせられました。
大人(家庭)が子供に与える影響…それは、2人目(3人目の子供)の誕生であったり、引っ越し、家族の病気、そして家庭不和であったり、状況は様々であっても、子供にかかって来る環境によるストレスなどは小さな子供であればなお、その影響も大きい事が考えられます。子供だから、動物だから…ではすまされません。自分が辛い立場にあっても、大人の環境の変化で周りも多大な影響を受けている事を考慮し、その上で必要なフォローをして行かないといけません。そしてそれは、最終的に自分が落ち着きを取り戻すための術と言えるのかもしれません。