園長先生!気付けば息子も大きくなりました…第54回
「漢字で遊ぶ」
22年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在23歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
皆さま、明けましておめでとうございます!!いつも私のコラムを読んで下さり、ありがとうございます。温かいお言葉やメッセージを頂くと、本当にとても嬉しくなります。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、今年は申年という事で、我が家の息子健人が年男になります。昨年は無事大学も卒業し、現在、新たな夢に向かって突き進んでいます。本当に年月の経つのは早いなぁと驚くばかり。日本語が大好きで今でも日本語を維持していますが、未だに漢字には悩まされている様です。そして、幼少時代も日本語学校にて、漢字には苦労してきました。前回はその漢字の取り扱いが日本で随分変わって来ていると言う事を書きましたが、今日は実際に私が健人に取り組んできた漢字の遊び方をお話ししたいと思います。
そうなんです、漢字の遊び方です。学び方(学習法)かな〜…とも考えたのですが、学ぶというよりは遊び感覚で楽しんでいたので、この表現の方が適切かな、と。
最初はやはり、カードです。市販もされているカード等を利用するのも良いですね。表には絵、裏に漢字が書いてあるものを見せる…どこでもよくされている学習法ですが、これだと一通り1回すればあっという間に飽きてしまうし、時間も持ちません。
そこで、このカードからヒントを得て自分で作った漢字カードは裏表式ではなく、2枚のカードに絵と漢字というセットをいくつも作ったのです。例えば、犬の絵と「犬」という漢字は1セットです。このセットを小学校で習う漢字に沿って作っていきました。これを絵を見せて漢字を探させるカルタ方式にしたり、全部裏返して並べ、場所も覚えながらめくって絵と漢字を一致させて遊ぶ、神経衰弱にしたり。同年代のお友達と一緒に遊べればなお良しです。これはまだ低学年の頃によくしていましたし、楽しいので結構たくさんの漢字を覚える事が出来ました。
そして、学年が進むにつれ、難しい漢字が増えて来ます。その時は漢字パズルを作成しました。偏(へん)や冠(かんむり)や旁(つくり)、構(かま)え、垂(た)れ、繞(にょう)など、漢字の構成部分ともう一つの部分を組み合わせて一つの漢字を作れる様なパズルです。さんずい偏やごん偏、ウ冠やしんにょうやえんにょうなど色々と組み合わせられる様にします。まず、読み方を聞かせ、構成部分を見つけ、その後別の部分を見つけます。組み合わせる事が出来たらノートに漢字とその漢字を使った例文を書かせます。健人に考えさせて例文を書かせましたが、その際、あまり堅い内容にするのではなく、ウケ狙い的な要素をたくさん入れる様にしました。健人が小学校の頃等はダジャレも大好きだったので、例えば総理という漢字が出て来た時「小泉総理ひげそーりー」などと健人がクスクス笑いながら書き、私に見せるのが楽しい、早く見せたい…と言う感覚にさせられれば成功です!結構、何を書いてくるのか、見るのが楽しく感じますよ。
全くの余談ですが、昔、Spelling Bee (スペリング・ビー)をTVで見ていて、単語の語源というのは漢字に似ているな、と思いました。スペラー達はスペルを丸暗記しているのかと思いきや、そうではなくかなりのテクニックも持っているのです。英単語には一定の法則性があり、それらを熟知する事により、たとえ知らない単語でもスペルがかなり推測できると言うのです。例えば、アクエリアムという言葉の語源は水を意味するアクアから来ていると分かれば接頭辞にAquaが来る事が予想出来るという事なのです。それを聞いて、水の語源のさんずい偏が思い浮かんできました。英語も漢字も、語源が大切で、そこから文字や言葉は成り立っているのだと改めて納得出来ました。ですから、漢字の成り立ちや語源を教えてあげれば、漢字もすーっと、頭に入って行くのではないかと思います。
とは言え、前回のコラムでも書きましたが、漢字は手書きしないと覚えるのは難しいどころか、身に付いている大人であっても、使わないとどんどん忘れていってしまうものです。こんなIT機器時代だからこそ、特に子供達の脳は手先との繋がりを必要としているのだと思います。日本人同士のお友達と交換日記したり、日本のおじいちゃんおばあちゃんとお手紙交換をするなど、少しでも漢字や日本語の文章に興味を持ってもらえる様、手書きを意識しないといけませんね。
池端友佳理ー 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。