園長先生!気付けば息子も大きくなりました…第56回
「犬に名前をつける日②/パピーミル出身のビオラ」
22年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在23歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
パピーミル、それは「子犬工場」の事。営利目的で、特に人気の犬種(時にネコやその他の愛玩小動物)を劣悪な環境下で大量に繁殖させる悪徳業者(ブリーダー)のことを言います。
昨年11月の頭にパピーミル出身の保護犬ビオラを我が家に迎え入れました。8月に愛犬2匹のうちの1匹を亡くし、悲しみに打ち拉がれていた後でした。残された1匹、クーザーも相棒を失いうつ状態になってしまい、食べない、遊ばない、散歩も行かない、ただ臥せって眠ってばかりの一日でした。あまりに可哀相で、新しい犬を迎えたらクーザーも少しは元気を取り戻すかもしれないと考えましたが、すでに11歳の初老犬です。仔犬を迎え入れたら、そのテンションの違いに疲れてしまい、元気が出るどころかうっとうしく思うに違いありません。それに、私達は新しく犬を迎えるなら絶対に保護犬と決めていましたので、信頼の置けるレスキュー団体を見つけ、受け入れ家庭として適切かどうかなど様々な調査を受けた後、無事アダプションが成立しました。
8歳のオーストラリアンシルキーテリア(推測)、名前はビオラ。2015年の10月にアメリカのパピーミルオーナーが殺傷処分施設に連れて来た所をカナダのレスキューグループに保護され、トロントにやって来ました。ビオラは8年間、一度もケージの外に出た事はありませんでした。保護団体の話では、ビオラは保護当時、全身の毛は糞尿などの汚れでベタベタ、口腔内も歯肉炎で歯茎は腫れ上がり、歯は黒く小さく劣化しており、一部を残してほぼ全ての歯を抜かなければならない状態だったそうです。全身の毛を洗って剃り、皮膚病や中耳炎、そして口腔内も治療し、人の手に渡せる状態になった時点でビオラは我が家にやって来たのでした。
当初は、骨格の割りに痩せ細った体、怯えた目と体勢。当然、呼んでも来るはずはなく、トイレトレーニングなど以ての外でしたので、したい時にしたい所で排泄する。どんな小さな物音にも敏感に反応し、怯えて逃げ出す状態でした。ケージの外の世界を知らずに育っていましたから、散歩はもちろん、リードやハーネスも芝生すらも恐怖の対象でした。
トイレトレーニングは乳幼児のと同じだから、時間がかかってもいつか大丈夫…子供と関わる仕事をしていますので、忍耐力には自信があります。なので、周りの心配をよそに私には不思議と不安はありませんでした。
そして、ビオラは驚くべき変化を日に日に見せてくれる様になりました。物陰にいつも隠れて怯えた目をしていたビオラは、今では喜びや嬉しさを体中で表現する様になり、家の者が帰って来ると大喜び。ちぎれんばかりにシッポを振ってジャンプしながら嬉しそうに右に左に走り回ります。トイレに行きたくなると裏庭のドアまで行って私達の顔を見つめます。「ごはんだよ〜」と言うと、喜び勇んで2本脚で飛び上がってご飯の所までやって来ます。体をすりすりしてじゃれる事を学びました。「散歩行くよー」と言うと玄関までやって来て、リードとハーネスを付けるまで、また、今の季節はちゃんとブーツを履き、ジャケットを着るまでじっと静かに待っていられます。本当に素晴らしい進歩です。
何よりも…ビオラが来て1ヶ月程が経った頃、クーザーが命も危うい程の大病をし、入退院を繰り返したときがありました。心優しいビオラはクーザーにじっと寄り添い、クーザーも心地良さそうにしていた、そんな2匹の姿に涙が溢れ出て来ました。
ビオラはパピーミルで何十回となく出産を強いられて来たのです。望みもしないお産でも、ちゃんとおっぱいをあげ、優しく生まれたばかりの赤ちゃんをなめたりしてお世話をしているビオラの姿が目に浮かんできました。誰からも愛情を受けた事はなく、お産の後労いの言葉をかけられる事もなく、ただひたすらに赤ちゃんに愛情を注いで来たビオラ。そしてあっという間に赤ちゃんは取り去られて行く。それでもまた同じ事の繰り返し、赤ちゃんに愛情を注ぐ…優しいお母さんだったに違いありません。ビオラのクーザーに対する態度からもよく分かります。これからは私達がビオラを守ってあげる…ビオラが家族になってくれて良かった…本当に、心からビオラを愛おしく感じる毎日です。そして、これからますます家族として成長を見せてくれる事と確信しています。
池端友佳理ー 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。