落合 賢監督 インタビュー
TORJA New year Special Interview
これまで多くの時代劇を生み出してきた京都・太秦で、50年以上も斬られ役を続けてきた俳優・福本清三の生き様を描いた映画「太秦ライムライト」
落合賢監督 インタビュー
映画製作の名門・南カリフォルニア大学、アメリカ映画協会付属大学院を卒業し、これまで数々の賞を受賞してきた落合監督。最新作「太秦ライムライト」は、昨年8月にモントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭で最高賞にあたる「シュバル・ノワール」賞を受賞している。昨年11月26日に開催された日系文化会館でのQ&Aセッションが盛況に終わった中、落合監督にこれまでの経緯や本作品の撮影秘話などを聞いた。
1983年5月31日、東京生まれ。12歳の頃から映画を撮り始め、高校卒業後、ジョージ・ルーカス、ロバート・ゼメキスらを輩出した名門・南カリフォルニア大学(USC)の映画製作学科に入学。大学卒業後、アメリカ映画協会付属大学院(AFI)映画監督科に進学。2008年12月に同大学院を卒業。これまでに「ハーフケニス」、「井の中の蛙」「美雪の風鈴」などの短編映画をはじめ、長編映画「タイガーマスク」を発表し、国内外の映画祭で数々の賞を受賞している。
若い頃から映画に興味があったようですが特別なきっかけは何かありますか?
8歳の頃、映画館の大きなスクリーンで「ジュラシック・パーク」の恐竜が草を食べるシーンを初めて見た時に、映画の魅力に惹きつけられました。幼いながらヘリコプターが夕日に向かっていくところでスティーブン・スピルバーグの名前が出てきたのを覚えています。それで、中学校の文化祭で「僕らと三人の強盗達」というアクション映画を作りましたが上手くいかず、もっと上手くなりたいと作り続けて、高校を卒業したらアメリカに留学させて下さいと親を説得しましたが、条件が2つ出されました。まず、世界でトップの映画学校に入ること。それがダメであれば留学はいいけれどビジネス、もしくは法律を学びなさいと。もう一つは、映画をやるのであれば大学院まで出ること。大学院まで出れば、映画監督になれなくても学校で教えることができるから。それでUSC(南カリフォルニア大学)を出て、その後アメリカ映画協会付属大学院を出た後はフリーで映画を撮っていました。大学院を卒業するまでにリサーチをして気付いたのは、日本やアジアの映画監督でハリウッドで成功している人、イチローさんなど海外で成功しているスポーツ選手は、まず愛国心がある。やっぱり日本が嫌いだから出てきたという精神ではいけない。もう一つは必ず日本で成功してから海外に出て自分を試している。それで、一度日本で映画を作ってから海外に戻ろうと思い、大学を卒業した後、日本の企業を回って初めて出来た作品が「タイガーマスク」です。「太秦ライムライト」は2本目ですが、そこで出会ってきた一つずつの出会い、頂いたチャンスに全力を尽くしてきたのが今に至るまでの経緯です。
これまで難しい局面に立たれたことはありますか?
難しいというか、努力という言葉はやりたくないことを我慢して頑張っている感じがするので僕はあまり好きではありません。どちらかというと楽しんでいる面が大きかったと思います。19歳で渡米して、英語が喋れない、お金もない、友達も家族もいない、実習も含め色々な意味で壁は沢山ありましたが、英語で勉強することによって全部新しいことにチャレンジしている楽しさはあったと思います。映画製作の中で一番大切なことは、チームと一緒に仕事をすることなので、僕一人というより皆で頑張っているという意識があったので、本当に毎日が楽しかったです。
努力とは思わずに楽しむコツというのは何かありますか?
多分一番難しいのは自分の方向性を見つけることだと思います。どの方向に走っているか分からない時に走るのが一番怖くて一番難しい。ただ、「英語を勉強する」というのは漠然としすぎていて、それだけで海外に来た学生はなかなか英語が上達せずに挫折して帰る人が多いです。他のことを目指して英語を勉強した方が伸びていくので、自分が目指したい方向性を見つけられたら、今やっていることが努力という気持ちにならずに楽しめるかと思います。
「太秦ライムライト」を作ることになった経緯は?
大野裕之さんが書かれた脚本は4年前にはありまして、それが巡り巡ってプロデューサーのKo Moriさんに渡り、Koさんから2年前に脚本を渡されたのがきっかけです。それで福本さんのドキュメンタリーや著書「どこかで誰かが見ていてくれる」などを拝読して興奮したのを覚えています。大野さんと一緒に京都の殺陣教室で福本さんに教えて頂いた後、「実はこういう企画で監督をさせて頂いてて、ぜひご一緒させて頂きたいです」と伝えました。とても驚かれていましたが、福本さんの昔のこと、時代劇に関する思いを聞いてもっとこの方と仕事したいと思いました。
撮影中のエピソードについて教えてください。
沢山ありますが、福本さんがとても謙虚で、誰か役者さんの前を横切らない、必ず後ろにいる、カメラフレームの端に立つなど。でも、殺陣や撮影の時には完全にカメラの位置を意識しているので、指示しなくてもきれいな場所にいてくれるというのは、長年の経験からだと思います。
僕が印象に残っているのは二人の長いセリフの掛け合いのところです。福本さんと相手役の山本千尋さんにとって殺陣のシーンは慣れていますが、お芝居の部分はやはり緊張するみたいで、それに時代劇と現代劇の演技の違いにも気を配ってもらいました。二人が長い道を歩きながら、「結婚するなら香美山さんみたいな人がいいです」、という長回しのシーンがありますが、沢山セリフもありますし、始めは何度も撮り直しになってしまいました。一度リフレッシュのために全く映画とは離れてもう一回やってもらった時にすごく自然にいっていて、「あっ、この映画でこのシーンが成立するということは、この二人の関係は本当に成立するんだな」と感じて、そのシーンが終わった瞬間スタッフからばあっと拍手が出ました。何回もやったシーンというだけでなく、二人のお芝居は本当に素晴らしかったです。スタッフ一同、二人に対して愛情を持って接していた現場だったと思います。
この企画自体、今まで50年以上誰かの引き立て役をやってきた福本さんを今回は皆で支えようと、彼の魅力に惹きつけられた京都のスタッフ、キャストの皆さん、僕らも含めて海外のスタッフが集まってこの作品を作り上げるということだったので、そういう意味では福本さんを中心に一致団結していました。
愛国心を持つことが世界でも日本でも成功するとおっしゃいましたが、ご自身の愛国心の形は?
愛国心といって日本を舞台にする必要はないと思います。居場所を失くした主人公が自分の居場所を探すストーリーに惹きつけられるので、アメリカと日本で生活している僕にとってそういうアイデンティティの問題が愛国心でもあるのかと思います。それは必ずしも場所じゃなくて、誰か人、もしくは福本さんのように仕事でもいいと思いますが、一人一人自分に合った場所を見つけていかなきゃいけないと問い続けることに意味があると思います。
最後に、読者へメッセージをお願いします。
福本さんは子供の頃から食べる為に斬られ役として、ひたすら毎日を一生懸命生きてきました。「5万回斬られた男」という異名を持っていますが、それは5万回立ち上がってきたことだと思います。大切なのは、倒れてもいいけれど立ち上がること。海外にいて困難に立ち向かうことも沢山ありますが、この映画をご覧になって福本さんの生き様が少しでも皆さんの刺激になって頂ければと思います。
作品紹介
太秦ライムライト uzumasa-limelight.net
かつて「日本のハリウッド」と呼ばれた京都・太秦の切られ役、香美山(福本清三)の生き様を描いた作品。時代劇の減少に伴い出番が減り、一度は引退を決意するも愛弟子さつき(山本千尋)の為に最後にもう一度撮影所に戻る決意をする。