石井 竜也さん インタビュー
日本を代表するアーティストの1人、石井竜也さん。今年デビュー30周年を迎え、活躍の場は音楽活動に留まらず、芸術、産業デザインなど多岐にわたる。コンサートでは今日のために編曲し和楽器を上手にポップスに調和させた「古都」、「哀愁」、ご自身の監督作品河童の主題歌「手紙」、ソロ活動でのヒット曲「はなひとひら」の全4曲を熱唱した石井さんに今回のトロント公演実現のきっかけや編曲された楽曲、衣装などについてお話を伺った。
今回トロント公演が実現したきっかけはなんですか?
このイベント関係者の1人、アジア・パシフィック・ファウンデーションディレクターのクリスティーン・中村さんが日本の大使館に勤めていた頃から彼女のことを知っていました。私の妻がカナダのノバスコシア出身なのですが、1度妻のパスポート関連でトラブルがあった時に中村さんにお世話になり、以後親しくしてもらっています。当時中村さんが在日カナダ大使館にいる間に大使館の中にあるホールでチャリティーコンサートを開かせて頂いたこともあり、今回トロントでこの様なイベントがあると誘われたので是非やらせていただきたいとお返事をして実現しました。こういう権威ある方が集まる場所に出られるかどうかは登竜門みたいなものでもあります。なかなか日本でもない機会なので嬉しいですし、光栄だと思っています。
アーティストであり、ミュージシャンでもある石井さんからみて、カナダを表すならどのような言葉になりますか?またトロントの印象は?
今日は少しカルチャーショックを受けています。JCCCは日本みたいだけど、日本ではない。日本人だけど英語で話をしている。とても面白い異次元に来たような感じで関わらせていただいています。カナダを言葉で表現するなら人種のるつぼですよね。日本ではマルチカルチャーという言葉自体があまり使われていないので、このいろんな文化が混ざっているのはとても面白いですよね。それは実は米米CLUBや僕自身に通じるところがあると思っていますし、まぜこぜになった所からの方が面白いものが生まれると思っています。日本のことばかり考えて日本のことばかり大事にしていると逆に日本がダメになってしまうと思います。例えば焼き物などでこうしなきゃいけない、そうしなきゃいけないって決まりごとばかり作ってしまうと自由が全くなくなるじゃないですか。新しいものができて、古いものが再評価されたり貴重になるはずなのに、自由がなくなって新しいものが生まれなくなってしまう。これは僕の持論ですが文化の源流っていうものは壊すことで繋がっていくと思っています。
今回の公演のために和楽器とピアノ、バイオリンを組み合わせて編曲されたそうですが難しさなどはありましたか?
まず、演奏スタッフを連れてきてしまえば簡単なのですが、それではカナダでやる意味がないと思い、カナダでもスタッフや演者の方を紹介してもらいました。今回は琴とバイオリンがカナダの方で、ピアノと尺八の方はいつも日本で一緒にやっているメンバーについてきてもらいました。なかなか練習もままならないところで練習時間も割いていただいてとても嬉しいですね。編曲するにあたって民謡や演歌になってしまっては意味がないのでポップスの中に留めたいと思っていました。ただそれが実は難しくて、さらにそこから日本を感じてもらうのは余計に難しい。カナダぐらい日本から離れていると日本も韓国も中国も同じアジアになってしまうのですよ。そこで日本の文化を伝えるには日本の文化を踏襲しつつ洋の文化に傾ける、グラデーションにすればいいのだと思いました。本当の着物ではただ日本人ですと主張しているだけになってしまうかもしれませんが、少し工夫することで西洋の人も受け入れやすい日本の形があったりします。そこからカナダの人が着物を着てみたいとか、日本の文化に興味を持ってくれると思います。
本日の衣装もとても素敵な着物風ですが、特別に作られたものですか?
日本人はやはり1つの文化の中で育った単一民族なのでいろいろなことを混ぜる、というのは上手く見えていても実は苦手ですよね。文化を混ぜるということで私は「靴で履く着物を作れないか」、「着物の生地を使わずに着物を作っても良いのではないか」など考えました。今日着ているのは全てスーツの生地を使って作った和装なんです。この生地ならあまりシワもつかないですし、靴と合わせることもできます。この衣装を作ったきっかけは神社仏閣でのコンサートが多くなって、その時に洋服だとあまり雰囲気が出ないな、と感じたからです。1番初めは薬師寺でやらせていただいて、その後は厳島神社や上賀茂神社でもコンサートを行いました。私は舞台・衣装セッティングも全て自分で行っているので、歌の表現だけに留まるのがあまり好きではないのです。徹頭徹尾貫き通したステージをファンに楽しんでもらいたい、1人ディズニーランドみたいな感じです。例えばセットに関して、仏教のことを調べたりしながら作ります。それでお金を掛けすぎてしまう部分もあってスタッフ泣かせのアーティストだな、って自分でも思うのですが、いざコンサートが始まるとスタッフも私がやりたかったことを理解してくれて、夢中になっていってくれます。今はとても良いスタッフに囲まれていると思いますよ。それにせっかく遠くから見に来てくれるお客様がいるので、そこで自分の世界をちゃんと見せられるかどうかが私にとっての勝負なのです。もちろん歌も聴いて欲しいですが、歌は表現方法の一つなので全体の世界観を見て欲しいです。
今日の公演も含め、歌だけではなく、衣装やセットなど総合的にプロデュースする時に意識していることはありますか?
音楽だけだどアピールが足りなくなってしまいます。なので工夫してどの国の人がみても、日本の人が見ても面白いな、と思えるものを企画していきたいです。文化をわかりやすく工夫して伝えることが大切で、例えば若者が多いならパンクやインディアンの要素を入れたり、革で作った袴と革ジャケットを着てみたりと、一度固定概念を壊すことで大きく爆発してエネルギーを持ちます。あと僕は今、家紋に凝っています。スーツにも家紋をつけたりするのですが、今日の衣装にも自分でデザインした家紋を入れています。エンジェルの羽が好きなのでそれをモチーフにした羽家紋です。羽家紋というものは昔からあるのですが、少し違うものなので僕の好きな羽をデザインに使いました。神社仏閣コンサートの時は必ず家紋の入った衣装にします。純・日本というわけではないのですが、日本の匂いがプンプンしているっていうのが大事です。
日本文化を外に伝えることを意識されていますが今後も海外公演を行なっていきたいですか?
今これから2020年のオリンピックに向けて日本もいろいろな意味で文化を世界に向けて広げていかなければならないと思います。ただ日本という島国から出て行くということは大変ですよね。また文化を広げるためにただただ伝統文化を押し付けるのはやはり無理があると思います。日本の文化を傾けすぎてはダメですが、少し洋風に傾けることで格好良くなったり、興味を持ってくれやすくなると思います。1番大切なのはまず興味を持ってもらうことです。日本人はあまり自分の考え方や自分を人前に出すことを嫌う民族ですので、海外でもあまり「俺が俺が」という人は見かけない気がします。そういった意味では私が「俺が俺が」という日本人になってみたいと思いますし、世界でもっと活動していけるチャンスがあればどんどん出ていきたいと思います。その時は日本人を見に来てくれているので英語でやるのではなく、日本語でやっても構わないと思っています。サービス精神で下手な英語を使うよりも丁寧な日本語の方がいいと思っています。例え言葉がわからなくても込められた気持ちは伝わると思います。
芸術活動も行なっている石井さんですが、今回一緒に持ってこられた作品について聞かせてください。
顔魂という作品を創っています。普通のだるまにはもう気持ちが入っているので、真っ白いだるまに特殊な粘土をつけて顔を創っています。とても複雑な作業になるので見た目以上に大変な作業で、1度に10個程度同時に作るのですが、完成まで4ヵ月ぐらいはかかります。それでももう300個以上創りましたし、完成していないのが100個近くあると思います。この前薬師寺の中にある東院堂で展覧会をやらせていただきました。そこでは1300年前の菩薩様や国宝と一緒に並べて頂きました。僕は時空を超えた作品を創ることを意識しているのですが、その時の物は特にモダンアートですが、もっと古く見えるテイストで創りました。ひょっとしたらお寺を分解した時に一緒に出てきたのかな、と思ってもらえるように非常に細かく創りこみました。全部違う顔や表情で違う思うが込められています。今回持ってきたのは津波の後に創ったものなので少し荒れていますが「悪魂浄化」というタイトルで魂の悪いところが浄化される感じを表現しました。
今年でデビュー30年を迎えられる石井さんから今を頑張る若者にアドバイスをお願いします。
僕は外国での生活をしたことがないのでどれだけ大変かはわかりません。でも外国の生活をしている妻を見ているので相当な苦労をしていることは知っています。外国の生活は文化や言葉が違うだけでも大変だと思いますし、中に入って気がつく影の文化もあると思います。そういうことでみんな苦労すると思いますが、苦労に打ち勝てるのは若い時だけです。20歳や19歳の時は苦労して当たり前。僕は苦労できる時に苦労はできるだけしてほしいと思います。それが後になって面白いものを生み出しますし、「無駄な苦労をした」という話をたまに聞きますが無駄な苦労はないです。日本にいても10代、20代の人は苦労しているはずです。そこを頑張って乗り切らないと良い30代にはなれないのです。30代になって何かしら掴んだり見えてくるのは10代20代の時に踏ん張ったからですよ。文化にも恋愛にも陽射しと日陰、良い所と悪い所があって、若い時は日陰の部分ばかりを見てしまいがちですが、その日陰の部分にもそれなりの理由があるのです。長く住めばそれなりの理由があると気がつけると思いますし、カナダはいろいろな国の人がいて、いろいろな文化が共存しているので住みやすいと思います。自分の文化を出すも出さないも自由ですし、もしかしたら日本よりも自由な部分もあると思います。繊細な文化を持った日本人にとって、悪くいえば大雑把、良くいえば大らかなこの国は広すぎるかもしれないですが、同じ人間なので深い話をすればどこか同じ部分で繋がります。だからこの国がどうの、あの国がどうのって考えないほうがいいですよ。今留学してきている人で踠いて苦しいと思っている人は、踠いていることこそ楽しいと見方を変えて、踠ける自由があると思った方がいいと思います。
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1959年生まれ。高校卒業後、画家を目指し上京。’85年米米CLUBとしてデビュー。楽曲の作詞・作曲、ステージセット、コスチュームなどバンドを総合的にプロデュースし、’89年「KOME KOME WAR」、’90年「FUNK FUJIYAMA」でMTV VIDEO MUSIC AWARDを2年連続受賞。さらに「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などを含め多くのヒット曲をリリースする。’97年の米米CLUB解散後(’06年再始動)、ソロ活動開始。毎回テーマ性のある全国ツアー、アートパフォーマンス、オーケストラライブなどを展開する。また音楽活動に加えて映画監督、インダストリアル・デザイナー、芸術家としても活躍している。