東北の小さな酒蔵の復興にかける熱い想い 第29回
東日本大震災で岩手県でもかなり大きな被害を受けた陸前高田市。この震災での陸前高田市の死者数は1599人、行方不明者は215人と、死者の数は岩手県内で1番多く、死者と行方不明者の合計でも岩手県内で1番大きな被害を受けた市です。
陸前高田市の戸羽市長は、2011年2月に行われた陸前高田市長選挙で激戦を制し市長に就任したばかり。その一か月後に東日本大震災が起きた。この震災で、戸羽市長は何とか生き延びることが出来たが、自宅にいた奥様は津波に流されてお亡くなりになってしまいました。震災当初、奥さんを探しに行けず、公務を優先し、市民の避難や市の陣頭指揮を執っていた戸羽市長。その当時二人の小学生の父親でもありました。
そんな大変な被害を人的にも、物理的にも受けてしまった陸前高田市ですが、テレビなどでも大きく報道された、「奇跡の一本松」が今また大きな注目を集めています。
陸前高田市の沿岸には約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り育ててきた高田松原がありました。風光明媚なこの高田松原の松は7万本とも言われ、昭和15年には国の名勝に、昭和39年には陸中海岸国立公園に指定されました。
夏には海水浴のお客さんで大賑わいする、まさに陸前高田市の象徴でした。
そんな7万本の松が、東日本大震災の津波で、流されてしまい、7万本の中のたった1本だけ松が奇跡的に残りました。これが「奇跡の1本松」です。
しかし、その奇跡的に生き残った松も、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。しかし、震災直後から、市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備することといたしました。
そして、見事に保存整備された「奇跡の一本松」は、今、あの7万本もの松があった高田松原の跡地にあります。
現在では、この「奇跡の一本松」を見ようと、県内外からたくさんの観光客の皆さんや、震災についての勉強のための視察や、学生たちの修学旅行など、たくさんのお客さんが奇跡の一本松を見に来てくれています。
多くの県外の方々は、想像を絶する被害を受けた陸前高田市に「観光」で行くことをためらいます。たしかに、震災直後でしたら観光なんてとんでもありませんでしたが、震災から3年以上経過して、今陸前高田市は復興を遂げようと官民一緒になって様々な復興プロジェクトに取り組んでいます。
その中の1つが「復興ツーリズム」という考え方で、これほど大きな震災の記憶を後世に残して行こう、そしてもしも同じような震災があった時のために、自らの安全を考えられる勉強の機会にしてもらおうと、陸前高田のボランティアの皆さんは、観光で陸前高田に来てくれることをとても強く願っています。ボランティアの皆さんは、自ら「震災の語り部」となり、当時の避難した時の話や、復興に向けて頑張っている話など、積極的に語ってくれます。そんな皆さんに会いに、奇跡の一本松を見に陸前高田にぜひおいでください。
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本文:南部美人 五代目蔵元
東京農業大学客員教授
久慈 浩介