町田樹さんが嫌悪感を覚える言葉|オリンピック選手もサポートするカナダ公認マッサージ・セラピストが教える身体と健康【第117回】
町田樹さんとは親しい知り合いではありませんが、10年位前に怪我をしたフィギュアスケーターのサポートのため、日本まで呼び出されて「Stars on Ice」というスケートショーで名古屋・大阪・札幌と一緒に移動した際の出演メンバーだったので面識があります。町田さんは、その後スケートを離れ現在は国学院大学准教授の肩書を持つ研究者として第2の人生を歩んでいます。
当時の町田さんの印象としては、スケートショーのツアーでは多くのスケーターがリラックスモードの中、周りに影響されずに自分のルーティンを大事にしていた印象が強いです。ある日、スケートショーが開催されるアリーナ内でトイレに行くのに迷子になり、さまよっている時に人気のないライトも暗い道具置き場の様なスペースで黙々と自分のプログラムの動きを一人でショーの本番に向けて確認していた姿や、いつも礼儀正しい姿勢が印象として残っています。
……………… 町田さんの記事より …………………
現役時代、記者会見やインタビューの場において、「頑張ります」というありふれた返答をすることが嫌いだった。頑張るのは当たり前でしょう。なるべく自分の心境を具体的に語るとか、例えを使いながら目標を分かりやすく伝えるとか、できるだけ実のある言葉を繰り出そうと心がけていた。
嫌悪感さえある「感動を与えたい」という言葉。もう一つ、当時から「頑張ります」と並んで町田さんが首をかしげてきたアスリートの言葉。違和感を通り越して、嫌悪感さえあるという言葉。それが「観ている人に感動を与えたい」だそうです。
町田さんが現役だった十数年前くらいから、『感動を与えられるように頑張ります』ということを語るアスリート、もしくはスポーツ界関係者や政治家が増えたように感じています。東京五輪の招致活動も関係していたかもしれません」
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と語っています。
これらの言葉を、町田さんが受け入れられなかった理由は、「アスリートがいなければスポーツ文化は成り立ちません。これは確かですが、その一方でアスリートのほかにも、競技団体で働く人、用具を製造する人、施設整備に関わる人、さらに観戦してくれる人たちがいて、初めて競技が振興できているわけですから、そういう人たちに対して『与える』という上から目線での発言には違和感を抱いていました。」
「そして本来、感動するか否かは受け手に委ねられているものです。Aさんは感動しても、Bさんは感動しないことだって普通にあり得ます。『感動を与える』という表現は、あたかもアスリートがベストなパフォーマンスを発揮すれば、誰もが喜ぶと一方的に『感動』を押しつけている印象を受けます。スポーツは無批判に『良いもの』とされ、皆が感動するだろうと思い込むことの傲慢さみたいなものを、現役時代から感じていました。」
「感動」は送り手の創造力と受け手の感受性があって初めて生まれるもの。それなのにスポーツの力という錦の御旗の下、「感動」が氾濫している。
この事に関しては、患者さんでありGood Friend でもある、フィギュアスケート世界チャンピオンを4回手にしたことがある、Kurt Brouning氏からも全く同じような話を聞かされたことがあります。
青嶋: 「フィギュアスケーターにとって一番大切な物は何?」
Kurt: 「観客の心にスネークインして、自分に振り向いてもらうこと!」
つまり、自分のジャンプやステップを観客に見せびらかしたり押し付けるのではなく、相手が知らぬ間にこっそり相手の心の中に忍び込んで観客の心を魅了する演技をするといった趣旨でした。
最近のスケーターやスケートコーチは真逆の考えの人も多く、いかにジャッジや観客にアピールするか?に力を費やしているケースも長年目にしてきました。バレエを真似た動きの練習をして感情移入を向上させるとか、テレビ局担当の衣装デザインを依頼して見た目に訴えるなどの手段を使います。
そもそも、バレエの一部のピースを抜き取って練習するという発想自体に疑問を感じますし、衣装にお金をかければジャッジの印象良くなるのか、これは何の勝負なのか、と思うことがありました。
このような事柄がエスカレートすると町田さんのお話しに繋がるのかなと感じましたし、加えて、町田さんがもう一つ危惧している、アスリートに「感動を与えたい」と言わせるような世の中の空気というのは、私自身が一時期、雑誌やテレビ取材などに対応していた際にいつも感じていたことです。
日本の大手新聞3社の囲みインタビューを受けていた際に、余り私の話すことには興味が無さそうでしたので、「このインタビューをしなくても本当はもう原稿出来てんじゃないの?」と質問すると大手新聞社記者が「国民が読みたいのは真実じゃなくて、綺麗なストーリーなので大体原稿は出来てます」と言われた経験があります。
アスリートにいま伝えたいこと
これからの時代を担うアスリートは、いかに自分の言葉で語ることができるかどうかが大事だと思います。スポーツを観る側、語る側の人たちも、アスリートからそのような言葉を引き出そうとすることを自制する必要があるでしょう。
パリ五輪ではいつも以上にアスリートの発言に注目が集まることと思います。そのとき、カメラを向けられたアスリートが自らの意思で、自らの考えや心情を語ってくれることを期待しています。