カナダでゲーム屋三昧 #16
人類が「遊び」はじめた3万年前
人は豊かになればなるほど遊びます。これは誰にとっても納得できる話でしょう。家計を支えるのに必死な状態で、ゲームはもとより旅行にいったり、武芸を習ったりする余裕なんかもなくなるわけですから。文化・レジャー・娯楽、こういったものは、およそ生活にとっては機能的には無意味なものばかり。あくまで誰かと仲良くなるためだったり、社会のなかでステータスに起因するものだったり、単に時間を潰す一瞬の娯楽だったり…中山的にはレジャーの領域は「かりそめ消費市場」と呼んでいます。

図1(世界各国の1人あたりレジャー市場&GDP)のように世界のレジャー市場(アミューズメントパークから、出版・音楽・動画・映画・ゲームなどのコンテンツ、カルチャースタディー的なのものも含め)をGDPと相関させると、概ね「GDPが上がればあがるほど、レジャーに使うおカネも増える」という点が見えてくるかと思います。世界最大の$400Bを誇るUSAに対し、世界2位の日本が$190B、11位のCanadaが$31Bといった状況です。ちなみにラインより上にいる日本・フランス・英国などは「GDPとして稼いでいる分に対してレジャーへの出費が多い」国であり、ラインより下は(カナダ・オーストラリア・スイスなど、自然豊かで生活満足度が高い国が多い傾向ありますね)、「GDPとして稼いだ分よりはレジャーへの出費が少ない」国になります。日本人はよく遊びますね。
レジャー(娯楽)と言われるものは1000年以上前から存在してますし、将棋・すごろくといったものは平安時代にも存在してました。ただそれが一般人に普及して「市場」と言われるような商取引の規模になるのは、一般人がレジャーに投資できるようになった戦後。それもディズニーランドができた1983年やファミリーコンピューターが生まれた1984年といった80年代に大きく花開いた新興産業です。
人はいつから娯楽に興じていたのでしょうか?将棋・すごろくのようなボードゲームは平安時代のみならず、5000年前の中東などでも見つかっています。だいぶ昔から遊びは存在していました。そしてここで本題。もはや結論が見えているような話ですが、「なぜ人類は進化できたのか」という壮大な謎を追ってみたいと思います。ネアンデルタール人という「人間の祖先(新人)と違った人種」がいたことはご存知でしょうか?ちょうど20万年前に生まれ、欧州・中東に50万人ほど棲息し、ちょうど3万年前に姿を消しました。絶滅したのです。彼らは今の人類に非常に近い種でありながら、あくまで別の進化をたどった「もう一つの人類」のようなものです(お互いで子供を作れなかったレベルの違いという説もあります)。なぜ我々は進化し、彼らは絶滅したのか。

600万年前にチンパンジーから分かれて2足歩行が始まり、250万年前に石器の製作が始まり、170万年前に脱アフリカの移動とともにハンドアックスなど芸術性を感じる石器が生まれ、10万年前から死者の埋葬が始まり、7万年前に思考を図像化する形跡が生まれ、3万年前には洞窟に絵や彫刻が描かれるようになります。これらはまさに人類の脳の進化であり、この過程で猿人・原人・旧人・新人と枝分かれした「別の人類」はことごとく絶滅していきました。ちょうど3万年前、なぜ新人だけが生き残れたのでしょうか?
これは結構意外な話なのですが、その違いは「芸術」と言われています。旧人も石器は作りましたが、動物の骨を加工したり、絵を書いたりはしません。でも、新人は象牙に人間の姿を描きました。これは彫刻という「技術的知能」と、人間関係という「社会的知能」が結びついて起こる高度な作業です。新人は、言葉は流暢に操れずとも、絵というシンボルを使い、人と人の間にみえる何かを表現し、伝えようとしました。「社会的知能」のあけぼのです。
つまりネアンデルタール人が絶滅し、人類が進化した背景には「社会的知能の発達」があり、それがそのまま「芸術・文化が生まれた時代」だったのです。芸術は、氷河期真っ最中で食糧もままならない3万年前の人類にとって、生存に不可欠なものではなかったはずです。けれども彼らにとって、「アイデンティティの創出」「ネットワーク(関係性)の構築」という機能は、石器を削り食料を確保する合間を縫ってでも行うべき大事なことだったのです。
はい、だんだん飛び過ぎた話からオチに近づいてきました。芸術もレジャーも機能的なものには見えませんが、人間らしさを象徴する知能の育成に一役買っているのではないかな、というのを最近私は思ってます。私はいま「創造的産業」といわれるところで働いています。「Atsuo、この絵ってどう思うかな?」「このバトルのルールだと、皆どのくらい『自分らしい戦略』を実感しながら遊んでくれるかな?」こうした会話を日々繰り広げながら、ヒトの目をはっと惹いて、思わずログインしてしまって、ついつい毎日プレイしてしまうゲームを創ろうと血眼になりながら働いております。それは事業存続のための収益確保が最大の目的ではあるものの、こうした闘いそのものが、3万年前に狩猟の様子を壁画に残したり、死者の埋葬のための装飾品をつくったりしていた祖先たちの動きと重なります。
ゲームは余計なものを全て排除した「簡略化された社会」です。そこで日々味わう悲喜こもごもを追体験・想像体験してもらいながら、人類らしい感情(競争や協力、自分らしさ、コントロール感、賭け)を関係性加重のストレスフルな社会でも取り戻してもらうことをサービスとして提供する産業です。大言壮語に聞こえるかもしれませんが、自分としては3万年前の「人類進化の最初の分岐点」を再現するような、人の頭の中に新しい発火を引き起こすプロダクトをつくるつもりで、今も日々頑張っております。
中山 淳雄
Bandai Namco Studiosのバンクーバー法人にて、欧米向けモバイルゲームの開発スタジオ責任者。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 に至る。著書に“The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)、他寄稿論文・講演なども行っている。




