カナダでゲーム屋三昧 #18
アマチュアとプロフェッショナルの間
「(この機械は)範囲がとてつもなく広いし、とことん奥が深い。近所の仲間でも遠くの仲間でも一緒に楽しめる。文字通り世界中に友達ができるのだ」。一度つないでしまえば、料金もさしてかからなかった。無線なのでインフラもいらない。無数のアマチュア愛好会が生まれ、自作キットが市場にあふれ、皆が自分たちでこの機械をつくった。オープンな仮想コミュニティがたくさんできた。お互いが自由に意見を発信し、遠くにいる人間にもアクセスし、交流することができた。人々は声や音を電波にのせて見ず知らずの人に届ける喜びに熱狂した。
これはPCとインターネットの話ではありません。100年以上前、ラジオが登場した時の話なのです。当時の書記にふれると1990年代、ネット黎明期に「オタク」達が熱狂していた頃と、言っていること、やっていることがほとんど違いありません。インフラが必要な有線放送に対して、タダ乗りがしやすい無線放送の技術は、人々に新しいエンタメの予兆を感じさせました。それはお仕着せの「作られたコンテンツ」ではなく、「自分たちで作るコンテンツ」なのです。

エンタメの歴史を紐解くと、業界によってそのスピードに違いはあるものの、常に技術そのものは商売にならないこうしたアマチュアから生まれています。それが徐々に許認可制度などで集権化していき、ごく限られた企業のみが高額な投資をもとに行うパッケージメディアへと変わっていくのです。
活版印刷技術によって、文字がかける人間は「個人」として意見をばらまいていたが、徐々に販路開拓やマネタイズの問題につきあたり、出版社・新聞社といった「企業」が行うようになります。ラジオもアマチュアがつながり合って、手作りのコンテンツを放送していたYouTubeのような時代から、徐々にラジオ局が番組表に基づいて提供していくようになります。電話だって最初は独占物ではなかったので、村で勝手に線をひいて、狭いコミュニティで商売ではなくインフラとして使っていた時代がありました。それも許認可事業としてAT&Tなど「電信事業」として集権化されていきます。例外はTVくらいでしょうか。最初から公共放送として「企業」にしか道が開かれなかったので、アマチュアがつけ入る隙はありませんでした。
ネットもいつしか、現在の自由な意見発信から、こうした集権的な動きへと向かうのでしょうか。「ネットがあるから子供たちが勉強しなくなる」「2ちゃんねるのような危険なメディアがあるから、政府が規制すべき」、といった意見が聞かれますが(2015年という今でもこうした意見があることに驚きですが)、まさにこれこそ本・新聞・ラジオ・TVで既に実行されてきたことなのだろうと思います。
人々は自由さを求めながら、どこかアマチュアを信用していない。商売として成立させるプロフェッショナリティをもたない人間が提供するコンテンツは質が低く、「モラルが疑われる」といった意見はここ数十年どころか100年以上にわたって業界規制を強化してきた立場です。ネットへの自由なアクセスを禁じている中国がまさにこのスタンスですが、行き過ぎると他のメディアと同様、「きちんと管理できる大きな事業者(Yahooや楽天?)が『正しい』コンテンツを国民の嗜好に合うように提供し、定額で運営できるようきちんとお金もとって、かつ国民の知識レベルを上げられるよう質の高いメニューを用意していく」みたいな話になってくるかもしれません。
「アマチュアからプロへ」のトレンドは良し悪しの問題ではなく、産業の新陳代謝を維持するために不可欠なエコシステムなのだろうなと、私は思います。ファミコンでもPCゲームでも携帯ゲームでも、最初はみなアマチュアの遊びみたいなものでした。アマチュアしかやらないからこそ面白く発想も多様です。技術的な限界はありながら、ドラクエ1や2といった当時のBlockbusterは4〜5人のチームでつくってます。「こんなの面白くない?」という数人の超個人的・アマチュアな発想に、100万人が熱狂するようなミラクルが起こります。
売れてくると必然的に人が集まってきます。チームが大きくなるので意見がどんどん出てきて、色々聞きすぎるとだんだん丸くなった発想しか通らなくなります。同じことをする競合がたくさん出てくるので、差別化する発想をどんどん極めないと、マーケティング的に失敗します。お金を入れる経営側の期待値も高くなるため、冒険しにくくなっていきます。結果としてプロフェッショナルがお金をかけて「個人の着想よりも集団力でつくる」コンテンツになっていきます。
ユーザーの期待値もどんどんあがってきて、アマチュアの作品を好まなくなるので、作り手とユーザーどちらが原因かということではなく、相互作用みたいなものです。でもそうした成熟した中でもパッとインディーズな作品がパッとメインストリームに躍り出る「切れ目」があるかどうか、というところが業界の栄枯盛衰を決めるのだろうなと最近思います。携帯ゲームも毎年そういうアメリカンドリームのような作品が生まれます。2013年には「Flappy Bird」という1人のベトナム人がつくった鳥を横スクロールで飛ばし続けるゲームが何千万人を集めるヒットコンテンツになり、2014年は「Crossy Road」という2人のオーストラリア人がつくったゲームで1億近いダウンロードと10億円以上の収益をあげました。5年以上前に日本で、3人でつくったDeNAの「怪盗ロワイヤル」がのちに年間300億円以上もの大ヒットコンテンツになったのも同じ話です。
全員がプロ化して、同じ方向での競争になってくると、ユーザーも飽きてしまう。誰も100mのスピード競争ばかりがみたいわけではないのです。たまにはチープでも笑ってしまうような変なコンテンツだって必要なんです。ということでプロがどんどん競争していく中で、たまに突飛な発想で挑戦してくるアマチュアが新しい視点・市場を切り開き、最終的に市場が活性化します。その意味では、玉虫色な話ではありますが、「遊びの市場にも常に『あそび』の領域が必要であり、閉じた空間にしないことが大事」ということなのです。

中山 淳雄
Bandai Namco Studiosのバンクーバー法人にて、欧米向けモバイルゲームの開発スタジオ責任者。2004年東京大学西洋史学士、2006年東京大学社会学修士、2014年Mcgill大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)を経て現在 に至る。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)、他寄稿論文・講演なども行っている。






