ハリウッドに挑戦したソニーとパナソニック|世界でエンタメ三昧【第72回】
ソニーとパナソニック、4倍の差を作り出した1990年の分岐点
戦後のベンチャーの電機メーカーとして伍してきたソニーとパナソニック、ただ成熟期に入ったバブル後の軌跡はあまりに対照的です。バブル期の1990年から10年ごとの事業ポートフォリオを図1で比較しています。
1990年、ソニーはCBSレコード(現:ソニーミュージックSME)とコロンビア(現:ソニーピクチャーズSPE)を買収し、新進気鋭のソフト産業に乗り出した時期です。まだエンタメの売上・利益は2割程度。1993年プレイステーションによるゲーム事業の大成功は知られた通りですが、2000年になるとそのゲームが危機的な500億赤字を出し、映画も低調。まだ元気だった本業の電機が2千500億の利益で支えています。2010年から大きく様相が代わります。電機の落ち込みと対照的に、映画・ゲーム・金融の3本柱が利益の大半を稼ぐ会社になります。そして現在の2019年は電機も含めた最高のバランスで利益8千億、時価総額9.4兆円という日本4位の大企業です。
対するパナソニックは驚くほど安定的です。売上7.5兆、営利2〜4千億でこの40年を過ごし、90年代に映画のMCAや音楽のビクターで展開したソフト化路線は、00年代に入って潰えてしまいます。基本的にはハード事業が中心で、うまく収益事業を白物から自動車・住宅などにシフトして規模を維持してきての2019年の売上7.5兆、利益3千億。ただし時価総額2.5兆は日本企業で50位前後と、ソニーに4倍差をつけられています。
両社の分岐点は間違いなく1990~95年の5年間にあります。2社ともに大きな失敗と言われたハリウッド企業買収が、30年後にこうした差を生み出すことになった背景は、僕自身が今まで見聞きしたビジネスストーリーの中でも最も興味深い部類です。
ハリウッドに食い物にされたソニー
1990年といえば日本企業の世界的影響力が最高潮だった時代―世界時価総額ランキングトップ50のうち32社を日本が独占、NTTが世界一でした。現在の2020年でトップ50が米国34社、中国7社、日本1社であることを考えると、当時の日系企業は我々が現在Tencent、TikTok、Alibabaに感じる脅威以上の存在だったはずです。
ソニーは1988年にCBSレコードを2千700億で買収、音楽業界で世界大手3社の一角につけます。当時のソニーの決済スピードはまさに異次元レベル、最初に空港でCBSレコード社長のイエットニコフから受けた12・5億ドルの売却オファーを「20分」で盛田・大賀まで含め承認しています。何度も転がされながら、最終的には3度も買収提案にイエスといったソニーが20億ドルで買収。そして翌年の1989年にはコロンビア・ピクチャーズを、当時の親会社コカ・コーラから買収した総額は、約8千億にも及びます(実額部分35億ドルだけで当時日本企業の海外M&A最高額、そこに負債15億ドル、ワーナー和解金10億ドル)。これが現在のSPE(ソニーピクチャーズエンターテイメント)です。
ですが、ここからが日系企業あるあるで、最初にイエットニコフ経由で入った2人の経営者ジョン・ピーターズとピーター・グーパーが「メチャメチャやった」のが最初の5年でした。この2人、プライベートジェット機と大豪邸を買い、オフィスビルも大改装しながら、1億円以上もの脚本を買いあさり(ほとんど映画化されていない)、〝ソニーランド〟の建設案まで持ち込んだりと、とにかく甘やかされ、好き放題の事業経営を行っていました。2人は買収時の株で70億円、周囲の想像どおり1年半で追い出されたジョンはさらに退職時だけで60億円近い好条件を獲得し、まさに「狂乱」の限りを尽くした。では経営のほうはどうだったかというと、『バグジー』『フック』『ラスト・アクション・ヒーロー』など失敗作も多く、すべてが悪循環。当時「ハリウッドの最もホットなスポーツは〝ソニー宝くじ〟。うまくいけばクビになっても即席億万長者になれる」と寄ってたかってソニーに訴訟を起こしたりゴネたりといったことが横行していた時代で、一言でいうと「カモにされた」のである(『ヒット&ラン』1996に詳しい)。
1994年にピーターも後を追って退任すると、赤字5億ドル含めて、3千500億円の償却が行われます。毎年1〜2千億の純利を叩いていたソニーもこのFY1995が絶不調の3千億円の赤字。1996年に大手6社で最下位に沈んでいたSPEは膿を出し切ったところで、新社長ジョン・キャリーのもと『ジェリー・マグワイア』『Men in Black』などのヒット作が出始める。年間8億ドルの製作費を1〜2本の大型($100M規模)、5〜6本の中型($50M)、10〜12本の小型($25M)で配分し、年間20本のポートフォリオ制作に乗り出し、確率的な失敗もシステム上に組み込んでようやく健全な経営状態に戻ってきたのが90年代後半でした。
ここで撤退せず、拘り続けた結果、最終的に結実したのが『スパイダーマン』(2002)です。この版権は当時、権利もバラバラに切り売りされたものを買い取ったうえで、訴訟・交渉戦略が大きく当たりました。別途、虎の子で入手していた『007』の映画化権をMGMに譲る代わりに(MGMはずっと007シリーズを作ってきたプライドと愛着があった)、MGMから商品化やパッケージ権を交換条件で受けて、ある意味「訴訟を武器として使う」米国流のやり方で獲得したものです。同時多発テロの暗く沈んだ世相に傷つきやすいダークヒーローというスパイダーマンが想定外のメガヒットとなり、興行収入4億ドル、海外含め8億ドルの大ヒットとなります。SPEの収益は前年比プラス26%の8千027億円で、紆余曲折あった10年間の結晶ともいえる作品だったと言えます。
何もしなかったパナソニック
「うちには品川にソニーという研究所がありますから」と常に新ジャンルに挑戦するソニーを「マネシタ電機」としてなぞってきたパナソニック(当時松下電器)は、ソニーと同じ轍を踏んできました。だがSPEと違うのは、むしろハチャメチャだったのが米国側ではなく、日本側だったというところでしょうか。1990年にハリウッドで売上30億ドルのMCA(傘下にユニバーサルを持っていた)を約8000億円で取得。創業者のワッサーマンはやり手の経営者で、SPEとは違ってその後の5年間も堅実に経営し、売上5〜6千億円、利益2百億円強を稼ぎ続けています。
ですが水面下で大きな本社の人事交代劇があったことで、両社の〝結婚〟は最初から一度も交わらずに終わった感があります。日本では1992年のナショナルリースと欠陥冷蔵庫問題の引責を受けて、ソフト化路線とMCA買収を推進していた谷井が失脚、1993年に後任に据えられたのは(幸之助の娘婿)松下正治会長の息のかかった、日本の営業たたき上げで「マルドメ」と言われる森下社長でした。
松下正治・森下にとって、MCAの案件は自分たちのあずかり知らぬところで進められ、批判の対象でしかありませんでした(谷井前社長は幸之助の遺言に沿って正治の会長退任を正直に迫ったことで関係が大きく悪化していた)。正治会長は1991年段階でも「(MCAを)買うのはいいが、その金を銀行に預けておけば年間600億の利子が手にできる」「利益率6%なら銀行に預けておくのと変わらないが、もう4%を割り込んでいる」といった発言を繰りかえしています。銀行預金との比較をしている時点で、事業や地域のポートフォリオを変革しようといった戦略的視点とは全く異なるメンタリティでした。
やる気に満ちたワッサーマンに対して、パナにとってのMCAは「前社長路線の全否定」対象でしかありませんでした。英ヴァージン・レコード買収の話もありましたが、途中であわてて中断させられています。またテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」の建設プランも建設候補地まで決まっていたところ、森下社長が却下しています。またさらに米国3大地上波放送局のCBSの買収案件も、一顧だにされないような断られ方をしています。不穏な関係に危惧しつつ、超重要案件ということで81歳の会長ワッサーマンが社長シェインバークを連れ立って日本本社に訪問、2時間延々と誰だかわからない幹部に説明していたところ、遅れてきた森下社長から「話聞いてますか?その案件はもう却下されてます」という言葉を聞いた時は、血の気がひいて土気色になっていたという話です(『パナソニック人事抗争史』)。
数々の良案件に理解すらしようとしない本社に業を煮やしたワッサーマンは、最後に交渉材料にスピルバーグがMCA・ユニバーサルから離脱して作る「ドリームワークスSKG」の特別出資枠2億ドルを「最後のお土産」のつもりで持ってきましたが、一切興味を示されなかったときにすべての希望を捨て去ることになります。当時のパナにとって、これらすべての案件は「もう、面倒や」という対象でしかなく、報酬1億の森下社長と40億円のワッサーマンにおかしやないかという議論ばかりが出ており、経営の次元が違いすぎたというしかない悲劇的な案件でした。5年間放置に近い経営で、売却額は約5千800億、買収額から2千億強の減損でした。
人事と戦略が企業の命運を握る
その後のパナはソフト志向を捨て、堅実なモノづくりへの回帰を唱え、「利益率の高いブラウン管に再投資する」としてノキアのブラウン管工場の買収したり、(後に普及する液晶ではなく)プラズマ一本槍への投資といった迷走が続きます。その膿が顕在化するのは2010年代に入ってから。なんだかんだ業績がそれほど低迷しなかったため、正治会長は(1977年から会長職)99歳で亡くなる2012年まで在任でありつづけ、森下社長もまた2000年会長、06年相談役と長きにわたって院政を敷くことになります。
企業の戦略は、ときに属人的かつ党派的に選択されることがあります。ソニーとパナの違いは、決して戦略の違いではありません。ソフト化というキーワードは両社ともが掲げていて、戦略に従った挑戦と、異文化M&Aでは付き物のトラブルを乗り越える、あくまで成長プロセスにあった両社ですが、そうした時に、総額1兆円近い投資・損失を超えてもその戦略を守り抜いたソニーと、「何が正しいかではなく誰が正しいか」で2千億の赤字で戦略から撤退してしまったパナが、いま30年後になってこうした結果の違いに結びついているのです。
果たしてあの時代にユニバーサルに始まり、ヴァージンもCBSもUSJもドリームワークス(DW)もパナソニックの資本傘下になっていたらどうなっていただろうかと夢想せずにはいられません。そうなっていたら映画業界はSPE・ユニバーサル・DWでシェア2割以上、音楽市場はSME(ソニーミュージックエンターテイメント)とユニバーサルミュージックでシェア5割以上、米国TV放送局のCBSまで、と日本企業のコンテンツ業界のプレゼンスは圧倒的になっていたことでしょう。それは、まさに夢のまた夢…。
中山 淳雄
ブシロード執行役員&早稲田MBAエンタメ学講師。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオで北米、東南アジアでビジネスを展開し、現職。メディアミックスIPプロジェクトとともにアニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を推進している。東大社会学修士、McGill大経営学修士。著書に“The Third Wave of Japanese Games”(PHP、2015)、『ヒットの法則が変わった』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)ほか。新作『オタク経済圏創世記』(日経BP、2019)も発売中!仕事・執筆の依頼はこちらまでatsuo.no5@gmail.com