MBA講師世界戦と最後のSingapore | 世界でエンタメ三昧【第56回】
MBA講師で世界デビュー戦
第45回で早稲田MBA講師をしてからちょうど1年。今年の2月はSingaporeのNTU(Nanyang Technology University)にて講師をしてきました。NTUはMBA世界ランキング25位(http://rankings.ft.com/businessschoolrankings/global-mba-ranking-2019)とアジアのトップ大学、肩を並べるのはUCLAやカーネギーメロンなど米国アイビーリーグ。こうしてみると早稲田・一橋・慶応といった日本トップMBAは、100位にも入っていない状況なのですよね…今回は早稲田から25名、NTUから10名の生徒を迎え、昨年の内容を発展させて、Entertainment Business Strategyというコースを持ちました。
コロンブスが卵を割って立てたという話がありますが、一度知ってしまうと大抵のことはそれほど恐ろしいものではなくなるようで、1年目にあれほど四苦八苦していた授業準備が今年は平和的に半年前から準備し、2週間前にはほぼ目途がついている状態。なにより「楽しんで授業をできる」という昨年にはない心の余裕も生まれました。テーマは出版・新聞から始まり、アニメ/音楽/スポーツの日本市場・米国市場を俯瞰しながら停滞するコンテンツ業界での成功事例を語り、ゲームの海外展開の成功要因から最後はミュージカル・美術オークションといった最も原初的なエンタメ産業がどう成立しているかの構造分析まで一気に一週間で集中講義。
僕自身も最も楽しみにしていたのは、毎度2回分かけて呼ぶゲスト講師。新聞市場の成功例としてNewspicksのチーフエコノミストの友人を呼び、なぜ衰退産業においてアプリサブスクモデル・米国での大型買収ができたのかという話を聞き、多くの生徒が熱心に耳を傾けました。そしてもう一つは個人的にどうしても呼びたかった元リクルートの上司。米国法人の社長までやっていたはずが、一気に転身してアーティストの支援家として工芸大学で学生をやりながら、美術品の収集家をしているという魅力的なキャリア。またその方の紹介で出会った、これまた魅力的な20代の若者。灘高→ハーバード大学からパフォーマンスアーティストを経て、アートの世界で起業の真っ最中。この52歳と38歳と26歳で教える「美術ビジネス論」は僕も想像がつかない内容で、話しているうちにどんどん展開してしまい、ある生徒はこのディスカッションをみて、迷っていた起業に踏み切る決意をしたというコメントまでくれました。
エンタメ産業の未来
授業を振り返って総括してみると…日本のエンタメ産業は1900年ごろから新聞社・鉄道などのインフラ系企業が始めたミュージカル・演劇から始まり、音楽レコード・ラジオ・映画と資本系が数珠つなぎになった護送船団方式のような形式をつくりあげ、最終的にテレビと広告によって「商品ベースでヒットするかどうかの不安定産業ではなく、マスメディアとしてインフラ産業化させ、固定化した競争のなかで収益を安定させた」ことで、この100年大きく反映してきました。世界のヒットキャラクターを並べると見事なほどにアメコミ・映画の米国と、漫画・アニメ・ゲームの日本、この2か国だけが突出したコンテンツ生産地なのです。
そうした世界二大エンタメ生産地の日本も、「失われた20年」の呪縛から逃れられません。高齢化・人口減・バブル崩壊後のデフレ社会で、1990年代半ばからほぼすべての成長エンタメ業界が減退傾向。その状況を脱して新しい世界の兆しをみせはじめているのが、アニメ・ゲーム・音楽/スポーツです。その特徴は「海外」「デジタル」「リアルのイベント事業」です。海外とデジタルへのシフトは誰もが知るところですが、実はデジタルが進めば進むほど、コンサートやイベントのようなローカルかつアナログなエンタメの価値はあがっています。2010年以降はスポーツの興行から音楽のコンサートまでうなぎのぼりの状態。
こうしたエンタメ業界の横断俯瞰のなかで見えてきた、日本のエンタメ業界の唯一無二の特徴。一つは緊密な信頼関係の村社会で実現されるクリエイター大国、そしてその創造欲求をひきあげる「新しいトレンドをどんどん先食いする好奇心⇔旧いものがずっと残りやすい伝統体質」という両極にあるユーザー特性です。この国にあるものはこの国でしか生まれないものが多い。それこそが日本エンタメの価値であり、その価値をいかに外で理解してもらうかというプロモーションが足りていないのです。それを実現しているのが村上隆や草間彌生で、個々のアーティスト・作品のほうが目にとまりやすく、引き揚げやすい。それを会社単位・ポートフォリオ単位でどうしていくか、今成功しているゲームだけでなく、スポーツや音楽、映像事業にまで広げていくことが自分のライフワークだなということを改めて実感した一週間でした。
海外事業に賭けた10年間を振り返り
実は私事ですが、19年3月をもってちょうど5年間の海外生活を終え、日本に帰任することになりました。この講義が海外最後の大きな仕事でしたが、まさに集大成を注ぎ込み、自分の5年間を振り返るよいタイミングとなりました。
海外への最初の興味は2008年、リクルートでフィリピンのエンジニア人材を日本に連れてくる仕事をきっかけに、もっと海外に出ねばならぬと決意をしたのがちょうど10年前(実はその仕事にアサインしてくれた経営企画部時代の上司が、前述の芸術講義で招いたその方でもあります)。その後、DeNAやDeloitteで海外展開を支援する仕事をしながら、自分の英語力のなさに絶望し、一念発起で英語MBAであるMcGill大学に入学。コンサル・執筆・週末MBAと新生児の育児が重なり、人生で最も激しい2年間を過ごしながら、2014年の卒業と同時に、まさにそのカナダのバンクーバーでBandai Namco Studioのゲーム開発スタジオを立ち上げるという仕事に就く幸運を得ます。
ゲーム開発のスタジオマネジャーというニッチでとても面白い仕事、その苦闘の連続はこのTORJAでも、Newspickでも(https://m.newspicks.com/news/1000522/)連載させてもらいました。2本中止となるものの、3本のゲームを立ち上げ。幸いその1本は、ゲーム業界の幕開けでもあったPacmanを使ったゲームで、世界で3千万人がDLするような大ヒットにもなりました。世界100か国以上から「毎日」100万以上ものダウンロードで積みあがる瞬間の感動は、いまだになかなか味わえるものではありません。2016年にはシンガポールに拠点を移し、インドネシアで開発したJKT48のゲームを途中でクローズする作業の傍ら、マレーシアで政府とやりとりしながらデザイナーを擁するアートスタジオを作る仕事にも携わりました。人生で2個もゲーム会社を0から作る経験をさせてもらえたことは、いまだに自分の基盤を支えています。
2016年秋にブシロードのシンガポール拠点に入社、オーナー企業でその創業者と隣り合わせという贅沢な環境で、酸いも甘いも噛分ける奥深い「経営とは」をリアルに背中をみながら学ばせていただきました。「トレーディングカード」という初めてモノ・在庫を扱う仕事を手がけました。シンガポールのベンチャー企業にも数社投資し、こんな20代がいるのかという次元の違う優秀な経営者にも影響をもらっています。(https://gamebiz.jp/?p=191148)同時にBanG Dream!という日本で数百万人が遊ぶ(全てのアプリでトップ10位に入る規模)アプリの英語版をリリース、現在もシンガポールではおそらくトップ級といえるモバイルゲームのパブリッシュチームを作りあげました。当時から時間をかけて手掛け、ようやく実った名探偵コナンのゲームも、ちょうどシンガポールが映画の舞台となるこの年に、英語版としてこの春には日の目を見るはずです。なにより最近私のSNSの大半を占めるようになった新日本プロレスの米国展開はとても魅力的な事業で、僕の人生をかけても日本コンテンツがこれほど米国で大きな胎動をつくれる瞬間には立ち会えないだろうなとかみしめながらやっている状況です。
振り返ると色々なことを経験させてもらいました。草分け山分け、とにかく面白そうなほうへほうへと邁進してみたら、振り返るとあたかも最初から計算していたかのような一本の道ができていて、前を向けばさらに方々に峻険な山がそびえたっているような気分にいま浸っています。ひとまず自分の人生のPhase2でもあったカナダ・シンガポールの挑戦は幕を閉じて、いまPhase3で日本から海外にという動きを、ブシロード本社からやっていくつもりです。TORJAの特集も56回、日本には戻りますが変わらずこうして意見発信していくこの場は続けていくつもりですので、ぜひ引き続き愛読いただけると幸いです。
中山 淳雄
ブシロードインターナショナル社長。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオでバンクーバー、マレーシアで新規事業会社設立後、現在シンガポールにて日本コンテンツの海外展開中。東大社会学修士、McGill大学MBA修了、早稲田大学MBA非常勤講師。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。