芸術に学ぶエンタメビジネス① ―芸術は爆発だ!|世界でエンタメ三昧【第69回】
「カベにかけた土地」と言われた投機対象の絵画
日本において「芸術」は歴史的に人々の関心から長く遠ざけられてきた世界でした。なぜエンタメ屋の私が「芸術」について語るのか。それは「芸術」もまた一つの作品であり、マンガの物語やゲームの体験世界と同様に、人々に新しい体験をもたらすものだからです。それは絵画だけでなく陶器や工芸、彫刻や写真も含め「芸術」はすべからくエンターテイメントと同じ機能を果たすものです。
30年前、日本の美術品市場はいまの10倍規模でした(図1)。1990年バブル時期の6147億円という美術品輸入額はその後91年に1414億、92年は652億と2年で10分の1に縮小します。これは家庭用ゲームのアタリショックと同じレベルの市場縮小ですね。いまとなっては夢のような時代ですが、当時は「絵はカベにかけた土地である」とまでいわれ、安田火災が購入したゴッホ「ひまわり」の53億円は1987年当時の史上最高額の取引でした。
夢のまた夢―それ以来、日本の芸術市場は二度と当時の水準に戻ることはありません。バブル期の反省か、「芸術」に対するコンプレックスか、日本は経済規模に比べて圧倒的に美術品市場が小さい国なのです。図2が世界560億ドルのアート市場ですが、(GDPで世界25%シェアの)米国が40%を握り、イギリス21%(GDP3%)、中国20%(GDP15%)、仏国7%(GDP3%)と続きます。英仏が経済規模に比べ、圧倒的な文化的価値をもっていることが分かります。比べると世界5位の日本はGDPでは7%のシェアがありながら、アート市場は3%程度。30年前の狂瀾が夢のようです。ちなみにこの世界アート市場の国別シェアはスポーツのライセンス市場と結構似ています。
芸術とは我々の価値を「おびやかす」もの
「なんか凄いのはわかるんだけど…ちょっと私は分からなくて」と美術館に行く人の多くは何らかの劣等意識を抱えているのではないでしょうか?「わかる・わからない」という敷居を観る側に要求するのは、エンタメにとっては危機的です。格式が上がりすぎて、いわゆる「マニアがジャンルを殺す」状態になりやすい。そのジャンルを過学習した人間が排他的かつマウント行動をとりやすく、ユーザーランキングのピラミッドが先鋭化する反面で参入要件をグンとあげ、全体のパイが広がらないのです。
絵なんて昔は家具の一部でしかありませんでした。18世紀までは絵描きは、家具職人や石工職人と同列でした。べつにそこに貴賤の概念はなく、調度品に注文するように富裕層が自画像を絵描きに発注していた時代です。そうした発注ベースでモノを提供する「職人」に対して、どうやって「芸術家」「建築家」「作家」といわれる人種が生まれてくるのでしょう?
日本語でいう「芸術」は、19世紀に西洋文化の流入とともに作られた造語です。その高尚さやステータス感は100年に続く欧州文化への劣等意識から生じる残滓のようなもので、明治維新の時代に「芸術≒西洋絵画」という結びつきがあまりに強くなり、多くの日本画家がリンゴや裸婦像を描き、パリを目指しました。でも大事なのは「なぜリンゴや裸婦を描いた絵画が当時のフランスで『芸術』とみなされたのか」です。
「芸術」はセンセーショナルなもので、多くの人々の価値観を転倒させる社会的インパクトに付与された称号です。フランス革命以後に「民衆」という一般的な人々が自分たちのアイデンティティを確立し、18世紀以前に宮廷で描かれた豪奢な絵画を否定するために自分帯の卑近な対象を絵に描きました。「これは絵に描きとめておく価値があるものだ」ということを表現するために。でも18世紀以前の宮廷絵画もない日本で、かつ「裸婦」にフランスほどの特別な価値観をもっていない日本がそんなものを描いても芸術でもなんでもなかったのです。
岡本太郎が言うには「芸術は『美しさ』は目指しても『きれい』を目指してはいけない」とのこと。なぜなら『きれい』は陳腐化したフォーマットだから、です。汚れていても美しいものはいっぱいあります。ゾッとする恐ろしい美しさ、という表現だってあります。『美しい』とは価値観に一つの筋があり、自分がそこに感銘を受けること。それに対して『きれい』はその時代のフォーマットに沿って違和感のないもの、当たり障りのないもの。誰もが『きれい』と芸術をたたえたものは決して長い年月味わわれるものにはなりません。
私自身も、とあるゲームの物語に触れるとき、びっくりするようなビジネス書に出会う時、それは「芸術」に触れる瞬間と遜色ない感覚に陥ります。でも、それはいわゆる「名作ゲーム」でも「ベストセラー」でもありません。他人の社会的評価というバイアスがかかった時点でその感覚はちょっとした染みが生まれてしまいます。自分自身が手をとったもので、なんら余計な情報がないなかで奇跡的な出会いも手伝って、価値観の転倒は衝撃的な影響をもたらします。それを味わった後、それまで良いと思っていたものがもう良いと思えなくなる。そういう感覚が「芸術」と呼ばれるものの価値なのだと思います。
マンガもアニメもゲームも、芸術を企む一手段である
「絵画」という形式はすでに埃をかぶった、高尚な価値が余計に付随されてしまったがために、なかなか素直に味わえません。アーティストの目的が自らの価値観の表出(と、人によっては他人への影響力)であるなら、別にそれはゲームでも何でも構わないはずです。
アニメ化までされた『殺戮の天使』というサイコホラーゲームを生み出した真田まことという作家-保育園のときから絵本作家を目指し、創作を続けてきました。子供のころから自分がみた夢を書き溜めて、その続きを物語にして、小学校では長編8作完成させるほど「物語を創作したい」という欲求に満ち溢れるクリエイターでした。大学時代は演劇にハマり、いくつも戯曲を書いて受賞歴もあります。そうした作家がツールとして選んだのが、なんと「RPGツクール」でした。ゲームの経験もほとんどないままに自分なりの物語を300MBという制限のなかで設計し、ユーザーに体験してもらう「体験世界そのもの」を設計する。その結果生まれた『霧雨が降る森』というホラーゲームがフリーゲームサイトでダウンロード1位に輝くことで一躍その作家を有名にします。
ゲームづくりは必ずしも技術ではありません。むしろゲーム作りは素人でも、人に伝えたい物語やメッセージが明確にあり、それをゲームというメディアに載せて人の価値観に転倒を与えれば、その企みは成功したと言えるでしょう。「芸術家」を目指すためになぜか「絵画」を選び、「リンゴや裸婦像」を描く。その時点で呪いは発動しており、その作家は芸術が本当に目指しているところからどんどん遠ざかっているのです。
形式を問わず、人々の価値観に「ゆらぎ」をもたらそうと画策している作家こそ、その活躍の形式に寄らず、アーティストと呼ばれるタイプの人間です。そうした人間が日々行っていることは必ずしも技巧的なものだけではありません。延々と絵を描き続ける、延々とゲームをやり続ける、延々とマンガを描き続ける。そうした「守」の部分ももちろん大事ではありますが、基礎的な技巧だけでは社会的にインパクトのある価値転換をはかれるはずもありません。それはあくまで従来の価値体系に対する説得性をもたせるための手段にしかなりません。それを「破」り、「離」れる作業を身体化させることなく、アーティストにはなれないのです。
日本の価値転換が世界に与えた衝撃
ここまでの話では、結局芸術のなんたるかは局所的にしかつかむことはできません。形式を問わず、価値観を破り離れるきっかけを与えれば芸術になる。では一歩進めて我々が見るべきは、「なぜその時その瞬間に人々は価値観を崩したのか」ということです。アートの歴史はまさにその価値体系の転換の歴史であり、なぜヴィクトリア絵画から印象派になり、それが世紀末芸術へとつながるのかの社会コンテクストの変化と機を一つにしているのです。
私の疑問は一つ、なぜ2010年代に「日本」が広く海外に受け入れられたのか。第36回第36回でアニメを基軸とした日本のコンテンツが海外に受け入れられている流れを書いたこの10年の動きは、実はアートの世界でもまた同じ動きをしているのです。図1で2010年から17年で日本の美術品の輸出額が70億から580億と8倍以上になり、洋画を中心とした輸入額と引けを取らない取引額になっているのです。ではなぜ日本の「芸術」品が輸出されるようになってきたのか。一体どこでどのように日本の「芸術」が受け入れられるようになってきたのか。そのお話は次回以降のお楽しみに!

中山 淳雄
ブシロード執行役員&早稲田MBAエンタメ学講師。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオで北米、東南アジアでビジネスを展開し、現職。メディアミックスIPプロジェクトとともにアニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を推進している。東大社会学修士、McGill大経営学修士。著書に“The Third Wave of Japanese Games”(PHP、2015)、『ヒットの法則が変わった』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)ほか。新作『オタク経済圏創世記』(日経BP、2019)も発売中!仕事・執筆の依頼はこちらまでatsuo.no5@gmail.com