世界でエンタメ三昧 #36 ~激動のアニメ産業~
作り手に還元されないアニメ産業の海外市場成長
日本を代表するアニメ産業―「株式会社日本」の産業グローバル化の先兵として、大きな期待を背負い、メジャーなエンタメとして存在感をあげてきました。例えば17年1-3月のクールで最も活況をにぎわした「けものフレンズ」では、Twitterのトレンド入りから始まり、動物園とのコラボやミュージックステーションに声優出演など、いわゆるメジャーなTV番組やリアルの世界にアニメコンテンツがどんどん浸透している過程を体感しました。ところが一方で、産業の就業実態をみるとなぜかそうした市場への好感触とは対照的な話ばかり。平均年収332万、月平均労働時間260時間(平均休日4-5日、平日就業11時間)、労働者としてみればかなり厳しい数字が並んでおり、この違いが一体何からくるのか、甚だ疑問でもあります。
アニメ産業の捉え難さは「制作会社の売上という狭義市場」「アニメに関わる商品全体の広義市場」の2つに大きな分断があるところから始まります。図1で2つの市場を並べてみました。広義市場はアニメに関わるすべての商品に消費者が払った総額である消費総額市場。玩具などの「商品化」が一番大きなものとして、「海外」もかなりの規模を占め、意外にも「TV・映画・音楽」といったメジャーなメディアでの市場は控えめ。ここで注目すべきは、狭義市場である「アニメ制作会社売上」と広義市場が必ずしも連動していないという現実です。2000年代前半の市場成長は「制作会社に還元されるアニメ市場成長」であり、狭義市場比率は上がり、17%まで伸びています。ただその後は急落し、2012年以降の急成長期にあっても実はその比率はほとんど上がらないどころか下がってきている事態。最近のアニメ業界の成長は「制作会社に還元されないアニメ産業成長」であったことが分かります。
それもそのはず、アニメの製作費はここ10年ずっと変化がなく、いわゆる制作原価があがっていません(13話で宣伝費込2.5億円程度)。それなのにアニメの制作本数は図2でみるように、止まることなく増え続けている。アニメでの一攫千金を夢見て、より多くのアニメ制作委員会(資金の出し手)が結成されるようになり、母数が増えるがゆえに「当たるアニメ」の確率は下がっており、実は誰かが特に儲かっているというわけでもない。単に多くのプレイヤー(制作よりは資本)が集まりすぎて、競争過多になっているというのがアニメ業界の現状なのです。
深夜枠とDVDで日本独自のアニメ産業が切り開かれた90年代後半
このトレンドはどこに向かっていくのでしょうか?産業全体としてみれば広義市場のように成長し続けるのでしょうか?ひとつ今回のテーマで考えるべきは、コンテンツ産業にとって実は市場成長とは、その中身よりも、外側である「売り方」によって大きく規定されてしまうものだ、という点です。どういうことかというと、アニメ産業の成長はビデオやDVDなどデバイスの普及と非常にリンクしており、そうした外側の技術革新なくして市場成長が見込めない、ということ。図2の映像コンテンツ産業の市場推移をみてもらうとそれが一目瞭然です。
アニメ産業は、過去何度も大きな市場ブームを経験してきました。第一弾が80年代のビデオの普及。家庭用ビデオの存在はハリウッドを含めた映画産業の復権のために大きな役割を果たしましたが、それはアニメにとっても同様で大きな効果をもたらしました(ちなみにビデオソフト全体においてアニメは映画・TVドラマより大きく、音楽と並んで最大規模の収益ジャンルです)。地上波でたくさんの人にみせて、そのうちの0.1%といった本当に限られたコアなアニメファンだけビデオ・DVDを購入してくれることで成り立ってきたのが最初の流れです。
第二弾は90年代後半のテレビ東京を代表とする深夜枠のアニメへの開放と、それに伴うDVD普及を前提とした映像メディア販売です。OVAといってTVで放送を前提としない一部の購入層だけを相手にしても成り立つモデルも、このDVDモデルによって成り立つようになります。1本5千円で全6巻で3万円。これを5000人が買ってくれて1.5億円の製作費を賄う。いわゆるサザエさん、ドラえもん、クレヨンしんちゃんといった視聴率1%で100万人を相手にする地上波とは全然異なる土壌で、「深夜アニメ」として数千名の購入ファンがいればアニメがつくれる、という作り方です。この作り方が「発明」されて以来、2000年代前半にアニメの制作本数は急速に増えます。96年に年間85本だったアニメは、06年には年間279本と3倍以上になります。このほとんどは「深夜アニメ」で新規に増加した枠から生まれたものです。(深夜アニメ枠はこれ以降も増え続け、2015年には深夜アニメの制作分数はついに全日アニメを抜くところまできています)。
売り方は作り方を変えます。こうした「ミニマムな顧客層が支える」ことがなりたつのであればアニメ自体も大衆受けを必ずしも狙う必要がなくなります。いわゆる「大きいおともだち」向けのニッチなアニメがどんどん出てくるようになり、米国がピクサー型で映画を中心としたマス向けコンテンツになっていったのに対して、日本は日本市場にしか成り立ちえないような独特の狭くて深い、多様なアニメ文化が生まれます。これが現在まで規定を成している、いわゆる「大人が楽しめる日本アニメ」へとつながっていくのです。
パッケージの死と映像配信
このビデオ→深夜枠・DVDという流れは80年代から30年かけて多様なアニメコンテンツを生み出す土壌となりましたが、それがこの10年間で大きく変化を起こしています。図2でみるように映像ソフト市場は2005年をピークに減少し続けています。ブルーレイという技術革新はDVDの売上減少を支えることができず、減衰をなだらかにする役割しか担えていません。これは第34回で音楽業界が浴びた洗礼と同じものであり、いわゆる「パッケージ型商売の終焉」にあたります。ただ恐ろしいのはこうした時代にあり、かつ制作費が上乗せになっているわけでもアニメ制作会社が増えているわけでもないのに、制作本数はさらに上乗せであがってきているという事実です。
この市場の歪さを支えるのが、まさに「海外市場」であり、国内ロジックとは異なる次元で新たな資本の担い手になるプレイヤーの存在です。パッケージの死とともにこの5年間で急激に存在感を示しているのがNetflixを先駆けとする「動画配信」のサブスクリプションモデル。アニメ専業でいえばCrunchrollやFuNimation、アニメコンソーシアムジャパンといった存在です。アニメ産業の未来のカギは、いまやパッケージではなく、動画配信ビジネスにおけるアニメコンテンツの取り扱い方にかかっているといっても過言ではないでしょう。コンテンツ産業にとって、販売プラットフォームの存在こそが自らの存在の水準を決定づける重要なものです。次回はここについて深堀りしていきたいと思います。
Bushiroadシンガポール法人COOとして日本コンテンツの海外展開に取り組む。リクルートスタッフィング、DeNA、コンサルを経て、直近バンダイナムコスタジオでバンクーバー、シンガポール、マレーシアで会社設立・新規事業展開に携わり、現在 に至る。東大社会学修士、McGill大学MBA修了。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP, 2015)、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない? 』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)他。