世界で最も有名な会場で世界で最も大きなスポーツ団体に挑む | 世界でエンタメ三昧【第57回】
新日本プロレスMSG興行という「事件」
「サンキューライガー、サンキューライガー」「オーカーダー、オーカーダー」、蒸気がかって白ずむほどの人の熱気のなかでこだまする観客の声援。誰もが立ち上がって手をたたき、示し合わせたように声援を送る観客の動きはその一糸乱れぬこと、まるで群衆全体が一つの生き物のようだ。ときには10歳にも満たない白人の女の子が「ターナーハーシー!」と両脇の親を置き去りに、大声援を送る。その面々をみると驚くのは、日本人どころかアジア系の観客の少なさだろう。1〜2割にも満たないのではないだろうか。圧倒的大半はコケイジアンと呼ばれる白人か、ときにアフリカンアメリカンである黒人、そして中南米のラテン系の顔つきもちらほらみられる。生粋の「アメリカ人」が日本人レスラーに口角泡飛ばして声援を送り、必殺技が繰り出されるたびに技名を連呼する。果たして、ここは本当にアメリカだろうか。
これは2019年4月6日土曜日の夜、ニューヨークにおける「The World’s Most Famous Arena(世界で最も有名なアリーナ)」と刻印されたマディソンスクウェアガーデン(MSG)で起こった「事件」である。新日本プロレスが現地団体ROHとの共同で開催した「G1 Special Card」の一幕である。18年8月と半年以上前に発表された瞬間、チケット販売サイトはパンクするほどのアクセスに見舞われる。発表とともにPCを立ち上げた私の友人はチケット購入決済画面で10分ほどのフリーズとともに、すでにチケットが売り切れたことを知らされた。16,000席という巨大な会場の席が、16分と立たずにSold Outしたのである。新日本の関係者も含め、いったいアメリカで何が起こっているのか戸惑いを隠せなかった。
北米のプロレス業界のみならずスポーツ業界が沸いた。なぜなら1960年以来、MSGにおける興行を実現したプロレス団体は世界一のWWE(ワールドレスリングエンターテインメント)のほかには一切なかったからだ。なおかつ非公式にMSGから聞くところでは、歴史上のMSGのチケット販売で最も早くSold Outした最短記録であるという。それがアメリカのどのスポーツ団体よりも、日本のプロレス団体によって実現されたということは信じがたいことであった。
WWEは年間1000億円規模の売上を誇り、米国で数千万人が視聴するプロレス興行団体である。プレミアリーグのマンチェスターユナイテッド(約800億)、アメフトのダラスカウボーイ(約700億)、メジャーリーグ野球のNYヤンキース(約500億)よりも大きい「世界最大のスポーツ団体」でもある。規模こそ20分の1ではあるものの、世界2位の規模をほこる新日本プロレスが、そのWWEにも堂々伍して米国市場に展開していくのだというエポックメーキングな事件であった。
選手たちの夢、米国メジャーへの挑戦
日本スポーツの北米挑戦の歴史は野茂英雄にはじまるといってよい。1995年、年棒を1/10以下まで落として地べたからのメジャー挑戦。この先駆者を皮切りに、伊良部、佐々木など挑戦者は急激に増え、30年以上いなかった日本人大リーグ選手は、野茂後の20年で50名以上を数える。その勢いが01年に北米進出し、MLBで殿堂入りするほどの活躍を遂げたイチロー以降に加速したことは言うまでもない。実はプロレスにおいても同じような歴史がある。WWE(過去はWWWF)への挑戦は1961年ジャイアント馬場に始まり、80年のキラー・カーン、93年ブル中野、98年FUNAKIなど実は長い間、日本はレスラーの優良輩出国でもあった。中田やイチローのような進出の橋頭保を築いたのは、中邑真輔だろう。2016年から渡米し、そのWWEで日本人初のヘビー級王座にもう一歩というところまできている。野球、バスケ、プロレス、いずれも日本の10倍以上もの市場をもつ米国への挑戦は、日本アスリートにとってドリームであり、今後もまたそうだろう。
だが今回の「事件」が様相を異にするのは、アスリート個人ではなく、団体として、いわば経営主体としての新日本がそのまま北米市場に殴り込みをかけたということである。「新日本プロレス」というコンセプトそのものを商品として提供し、米国の東海岸で好評を博し、記録的な数字を打ち立てた。これは「パワーレンジャー」や「ポケモン」などの勢いと近いのではないかと勝手に想像する。そしてスポーツ団体としては、おそらく日本史上で最大かつ初めてのことだったと言える。
「スポーツとしてのプロレス」が米国を席巻
なぜこんなことが起こりえるのか。アニメ・ゲームなどと同じように、日本発のプロレスが海外、特に世界最大の市場でもあるアメリカでウケているのはなぜなのだろうか。それはまさに「ブルーオーシャン」と呼ぶべき、競争なき世界プロレス界におけるポジショニングによるものであろう。90年代後半までは新日本プロレスと倍程度の差しかなかった米国のWWEは買収に次ぐ買収で競合を飲み込み、近年では1000億近い売上と引き換えに大人から子供まで「映像」で視聴する文化を前提とした、放送コンテンツの価値に特化したエンターテイメントへと生成されている。
TV放映のためにCM枠を設けて会場での視聴に待ち時間を設けたり、ストーリーを楽しむため、戦っている時間よりもマイクパフォーマンスしている時間のほうが長かったり、「試合よりも演出」を重視したつくりになっている。
競合のいない米国プロレス界ではこうしたWWEのやり方=プロレスとなってしまい、試合自体を楽しみたいといったユーザー需要は無視されやすい。そこに新日本の勝機があった。90年代・00年代を通じて興行に特化して試合のリアリティを磨き続けてきた「異なる文脈」を背負った団体だからこそ、他米国プロレス団体にはない味を出すことができる。同時に米国プロレス業界において一強他弱を保持するマネーパワーゲームである「WWEによる引き抜き」という驚異にも、言語の壁や商習慣の違いというバリアもあり、なにより組織との信頼関係を重視し試合を作る職人性の強い日本人レスラーは、同じ米国内のレスラーほど容易には「転職」しない。
WWEというメインに対して、競争のないブルーオーシャンな市場であるがゆえに、新日本というサブはユーザーの異なる需要を満たし、エンターテイメントというよりはスポーツに近いものとして消費されている。日本では当たり前の「試合自体を楽しんでもらうこと」が、WWEが一般化しすぎた米国では「新しいプロレス」として消費されているのだ。これは日本のプロレス自体が2000年前後の総合格闘技との距離感のなかで独自に追及し続けてきたプロレス自身の価値が、米国発のWWEとは異なる価値を生み出していることの証左でもある。
米国における日本スポーツのポテンシャル
多くのスポーツは英国から発祥したが、それをビジネスにしたのは米国だ。階級主義的でお金を稼ぐことを卑しめた欧州的価値観と対置して、米国はスポーツをショービジネス化し、儲けることで全員を豊かにした。世界最大のテレビや映画のメディアコングロマリットと手を組んで、ライブ映像の価値から天文学的規模の市場を生み出した。当然ながら(サッカーのみ例外として)ほとんどのスポーツは米国を世界最大の市場としている。
社交クラブのように業界団体を構成し、放映権やスポンサーシップ収入を吊り上げるスポーツ業界は、閉鎖的と揶揄される日本のコンテンツ業界に輪をかけて閉鎖的である。参入するためには資格のようなものがいり、マーケティング・PRから興行の仕方まですべてが異なるプロトコルにあわせて「米国でのスポーツビジネス」をやっていかなければならない。果たして日本のプロレス団体にそれができるのか。新日本にどこまでのポテンシャルがあるのか。
今回のNYイベントはまだまだ米国挑戦の第一歩に過ぎない。2020年オリンピックという時代の切り替わりの先に、誰もが歩んだことのない道に足を踏み出す覚悟とその先への期待を確たるものにした19年の春だった。
中山 淳雄
ブシロード執行役員&早稲田MBAエンタメ学講師。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトを経て、バンダイナムコスタジオで北米、東南アジアでビジネスを展開し、現職。メディアミックスIPプロジェクトとともにアニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を推進している。東大社会学修士、McGill大経営学修士。著書に”The Third Wave of Japanese Games”(PHP,2015)、『ヒットの法則が変わった』(PHP、2013)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP、2012)ほか。