園長先生!気付けば息子も大きくなりました・・・第13回 「思い多き8月の日々・・・」
20年前に誕生した「池端ナーサリー・スクール」。その園長であり創設者の池端友佳理さんのそばにはいつも日系三世のご主人・マークさんと現在21歳で大学在住中の健人くんがいた。母親であり、教育者であり、また国際結婚移民をした友佳理さんとその家族の笑いあり、涙ありの人生をシリーズで振り返ります。
文■池端友佳理 (池端ナーサリー・スクール園長)

このカナダで日本語や日本文化が生き続けて行く。単純そうに聞こえながらも、日系人の歴史の複雑さを知れば知る程、改めて身を引き締めなければと言う思いがする。8月は特に日本人にとっては忘れられない、いえ、忘れてはならぬ月と言えるだろう。1945年8月15日第2時世界大戦、終戦。この戦争で、日本人犠牲者は軍人、一般市民を含め310万人もの尊い命が奪われてしまった。
その中には、原爆投下による被害者も含まれる。1945年8月6日に、アメリカ軍が日本の広島市に、また同月9日には長崎市に投下した原子爆弾のため、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの一般市民が亡くなった。
その原爆投下後、生き延びたとは言え、障害や後遺症を被り、普通の生活が出来ずに、苦しみながら生きる姿も数多くある。年々薄れて行くかのような第二次世界大戦への思いや関心。今も尚、世界各国で続く戦争。
私の亡き父は昭和一桁生まれ。子供の頃から特攻隊に志願していたのだ、とよく話していた。特攻隊に関する映画も幾度となく見て来たが、若くて優秀な若者達が自らの命を国のために散らせて行く…ちょうど同じくらいの年齢である健人の姿が重なり、毎回号泣となる。その死を誇りに思えなどとは!残された母達の思いは、いか程か、想像することすら不可能。もちろん、戦争を題材にした映画はどれも辛く悲しい内容であり、人類が生み出した最悪の悲劇そのものである。どのような立場であれ、愛する人達を戦争で失うなど、考えただけでも身震いがする。

もちろん、戦争が生み出した悲劇はここ北米に住む多くの日系人をも襲った。マークの祖父母家族も例外ではなく、当時は大変な迫害を受け、財産も失い、バンクーバーから追われる様にしてトロントにたどり着いたとの事であった。もちろん日本語も話してはならない環境であったから、2世3世と続くに従って、日本語も消えて行った。日系子弟と呼ばれる私達の子供の世代で、この事を知っている人がどれ程いるだろうか。
かくいう私も、この第二次世界大戦の結果、戦争もなく平和な時代にぬくぬくと育って来ており、若い頃は、戦争とは、もう起こりうる事のない過去のもの、映画の中の世界と言う感覚だったのかも知れない。
1991年、湾岸戦争が勃発した時、当時通っていたESLの学校で中近東系のクラスメート達が肩を抱き合って声を出して涙していた光景を目の当たりにして、初めて『戦争』と言うものを現実のものとして、肌で感じた。戦争は過去のものではなく、今現在もなお世界中で起こっているのだ、と。その時期のESLのクラスの討論会では、「私は今までなんて恵まれた環境の中育って来たのだろう」とつくづく思わさざるを得なかった。クラスメート達の国では無事生きて行くために日々を過ごし、カナダに移民して来たのも、危険から自らの又は家族の身を守るために、と言う人々も多かったからだ。観光の途中でふっと立ち寄ったカナダに居着いてしまった私なぞ、クラスの中で大きな声ではその経緯を話せなかった。
日本からのTV中継が容易になった今、この時期、毎年のように繰り返し流れる戦争に関する放送。そして、それは決して忘れてはならぬ追悼の記念行事でもある。

第2次世界大戦での多くの体験を風化させる事なく、日本は全世界の中で唯一、核被害を受けた国として、核兵器絶滅のために、いや、核兵器だけでなく、無意味な戦争自体をやめるべきだと、声を張り上げ訴えたい。戦争の残酷さ、無意味さを訴え続ける意味でも、原爆の被害を受けた唯一の国として日本は立ち上がるべきであろう。
しかしながら、原爆の恐ろしさを知っているはずの肝心の日本は、東日本大震災から1年5ヶ月も経った今も、福島原発事故の処理さえ出来ずにいる悲しい現実。自然災害は避けられない悲劇を生む事があると痛感したが、避けられるはずの人災の被害を被った人々の怒りは静まる事がないだろう。平和だった生活が人の手によって瞬時にして消え去ってしまったのだから…。私には原爆投下と原発事故が重なって写る。
誰がどう責任を取ってくれるかも分からず、恐怖に怯えながら生きて行かねばならぬ現実が今の日本にあるのだ。
ひしめき合って今もなお避難生活所で暮らす人々、放射線の積算線量を測る小さな器械を身に付けた乳幼児、ペット同伴が出来ず、福島に取り残された家畜や動物達….インターネットやTVなどから入って来る情報に心が痛み、胸が張り裂ける思いがする。

思い多き8月の日々…。過去を忘れる事なく、現実を受け止めながら、私は小さくても自ら出来る事を日々行って行きたい。
また、ナーサリーの園児達にも伝えたい。ケンカをするのはみんなが悲しい気持ちになってしまう事だよ、って。他者を思いやる気持ちを常に持って欲しいと切に願う。みんなが優しい気持ちを持って成長してくれれば、世界は平和になる、と信じて。いつか訪れる平和のために。
私達の子供、そしてそのまた子供達の平和のために…。
池端友佳理 – 京都出身。大阪の大学看護科を経て同大学病院の産婦人科で看護師として経験後、1990年に渡加。伴侶は日系カナダ人三世。一人息子(大学生)の母。1993年に自宅で池端ナーサリー託児所を開設。1999年日系文化会館内に池端ナーサリースクールを設立。園長を勤める傍ら、カナダ唯一の産後乳房マッサージ師として活躍中。













